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2017年10月10日 (火)

プレイバック葵 -徳川三代-・(29)大坂夏の陣

史上最大の兵力が動員された大坂冬の陣は
寄せ手の徳川方20余万人、
籠城の豊臣方は5万ないし8万と伝えられている。

兵力の優劣もさることながら、
ここで注目すべきは両軍の大砲の差である。

家康がオランダ・イギリスから購入した大砲は十数門、
中でも最新式のカルバリン砲は長さ4.8m、
口径16.2cm、弾丸重量16.4km、射程距離6,300m。

はるか離れた城の外より弾を放てば、
外堀内堀をゆうゆう飛び越え
本丸に達するスグレモノであった。

これに対し豊臣方の大砲は旧式の青銅製フランキ砲、
長さ2.9m、口径9cm、弾丸重量・射程距離は定かではないが
時々暴発する恐れもあり、明らかに見劣りする代物であった。

そして徳川方が備前島より放った砲弾は
6,300mの弧を描いて天守閣へ落下。
淀殿の心胆を授からしめ、勝敗を決するに至ったのである──。


慶長19(1614)年12月17日、
茶臼山の徳川家康本営に朝廷から緊急派遣の勅旨が到着。
武家伝奏の広橋兼勝と三条西実条であります。

今回は戦を止めろと天皇からの勅命があったわけですが
武家同士の争いは武家が決着をつける、と
家康は朝廷の介入を突っぱねます。


翌18日、淀殿を説得していた常高院は
単身大坂城を出て和睦の交渉に向かいます。

交渉の場所には、家康の計らいにより
今里の京極忠高陣所が選ばれます。
忠高は京極高次の嫡男で、常高院の娘婿であります。

そして徳川方から阿茶局が合流。
阿茶局は常高院に和睦の条件を提示します。

豊臣家所領を安堵し、
淀殿の江戸下向も必要なしと言う一方で
大坂城の二の丸と三の丸は取り壊し、
大野治長は江戸へ人質を出すこと、と。

淀殿を始めとする豊臣方は、
家康の条件など信じられないといいながら
滅亡するまで戦い続けるのか、と突きつけられると
何も方策なく黙り込んでしまいます。

再び今里へ向かった常高院は、
誓紙交換を条件に提示された和議を呑むと伝えます。


和議がなると家康は、後事を徳川秀忠に託し
25日には京都二条城に凱旋します。

その日、摂津岡山の秀忠本営には
織田有楽斎と治長の姿があり、和議の条件について
徳川方と豊臣方との考えの相違があり
それで対立が始まってしまいます。

徳川方は、惣堀は全ての堀を意味し、
二の丸・三の丸の破却とは堀もすべて埋めることだと主張。
豊臣方は、惣堀は外堀を意味し、自分たちで埋めるから
手出しはいらない、と言うわけです。

黙って聞いていた秀忠は、豊臣方の言い分を一蹴して
騒ぎ立てるかもしれない、という大坂城の浪人衆たちを
城の外に出してしまえ、と冷ややかです。

治長らがいざ城に帰れば、浪人たちは紛糾します。
真田幸村は、徳川との戦はまだ終わってはいないとし
破壊された櫓はまた築き、埋められた堀は掘り返せばいい、と
豊臣秀頼を守って戦い抜くことを宣言します。


慶長21(1615)年1月、
大坂城の埋め立てを見届けた秀忠は
伏見城に引き揚げます。

26日に宮中に参内して豊臣家との和議成立を報告し、
28日には京から東海道を下って江戸城に向かいます。
江戸城に戻ってきたのは2月16日でした。


3月15日、常高院と大蔵卿局が秀頼の使者が駿府へ。
多くの浪人衆を召し抱えたまま堀埋め立てを行ったので
城内の金銀に不足が生じ、幕府に金の無心に来たのです。

家康は、大坂方が密かに兵糧や材木、火薬などを集め
再び挙兵に及ぶ恐れありとの報告を京都所司代から聞いており
それが真実かどうかが判明するまで、
常高院たちの身柄を駿府城で預かることにします。


そして大坂城に、家康からの通告書が届けられます。
約定違反は不都合につき、
秀頼を大和か伊勢へ国替えを命じる内容です。
それに応じられなければ浪人衆を放逐せよ、と。

いまの豊臣家には、浪人衆を召し抱える金銀がありません。

このままでは戦えないと判断した秀頼は、
大和か伊勢への国替えを受け入れようとしますが、
淀殿は秀頼を子ども扱いして黙らせます。
『城を枕に討ち死にせよ!』


4月5日、秀頼から国替え拒絶の報告があり
家康は再び陣触れをします。
出陣命令は西国大名にまで発せられ
関東・奥州まで含めて大坂に集結したのは約15万人。

24日、人質とされていた常高院が大坂城に戻されます。
家康の意向としては、浪人衆の放逐が第一なのですが、
それが叶わなければ、大坂城を脱出して
大和郡山城に避難せよ、と。

『手遅れじゃ。もはや浪人衆は手を付けられぬ』
意地で家康に反抗する淀殿の姿ではなく
もうどうしようもない状態です。


29日、泉南樫井付近で浅野幸長軍と大野治房軍が衝突。
それをきっかけに秀忠軍も動き始めます。

5月6日、徳川方と豊臣方がついに激突。
道明寺で開戦となりました。

後藤又兵衛隊は道明寺で伊達政宗軍と交戦。
これを救援すべく薄田隼人正と毛利勝長が急行。
殿は真田幸村です。

しかし──。

道明寺の戦いは豊臣方の苦戦で、又兵衛と隼人正は戦死。
勝永と幸村が政宗軍と交戦を続けています。
木村重成も若井で戦死、長宗我部盛親は八尾から撤退します。

『出陣じゃあ!』
たまらず秀頼は下知しますが、
天王寺に敵兵を引き込んで一気に叩き潰す予定なので
大将の号令すらも届かない状態に陥っています。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 菊之助 (豊臣秀頼)
三林 京子 (阿茶局)
田村 亮 (藤堂高虎)
渡辺 いっけい (本多正純)
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西郷 輝彦 (真田幸村)
保坂 尚輝 (大野治長)
馬渕 晴子 (大蔵卿局)
神山 繁 (本多正信)
波乃 久里子 (常高院)

津川 雅彦 (徳川家康)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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林 隆三 (土井利勝)
小林 稔侍 (片桐且元)
小川 眞由美 (淀殿)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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