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2017年10月20日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(32)家康の死

物語は進んでますます佳境、
ここでは徳川家康の宗教観について語りたい。

当時の学問や思想は「神道」「仏教」「儒教」を根本とし
貴族から武家、庶民に至るまで、この3本柱を常識としていた。

家康の神道顧問は神龍院梵舜、
仏教顧問は南光坊天海と金地院崇伝、
儒教顧問は道春こと林 羅山であった。

ところが家康は、70歳を過ぎるや
仏教に深く傾倒して昼も夜も写経三昧。
高僧から仏法を聞くこと、天台宗15回、真言宗7回、
浄土宗3回、曹洞宗3回、華厳宗2回、法相宗1回。

そもそも徳川家は浄土宗に帰依し、
関東入部の家康は増上寺の存応上人より
「血脈(けちみゃく・教えを授かること)」を受けていた──。


徳川家康は、2代将軍秀忠の世継ぎである
竹千代を駿府に連れていって、
家康の手で養育したい、と秀忠に相談します。
駿府で元服させ、朝廷に参内させて叙任させるつもりです。

突然の言葉に驚く秀忠でしたが、
竹千代が廃嫡されて国千代が世継ぎになる、と噂され
竹千代が粗略に扱われている現状を突きつけられると
そんなはずはない、とさらに秀忠は衝撃を受けます。

家康が駿府で竹千代を養育し、
もし仮に将軍たる器でないときには竹千代を廃嫡し
尾張義利にすげ替えると聞きません。

それだけ言い残して、家康は翌日
駿府に戻っていきます。


元和2(1616)年1月21日、
75歳の家康は駿河田中で鷹狩りを挙行。
しかしその途中、家康は
腹を押さえて輿から転げ落ち、のたうち回ります。

タイの天ぷらを食べた、食あたりのようです。

家康は、江戸に早馬を向かわせたことを本多正純に聞くと
将軍は江戸を動いてはならない、と命じます。
たかが食あたり程度で将軍が江戸を留守にしていては
奥州の伊達政宗が動き始めるチャンスを得てしまうのです。


しかし秀忠は、
父にまだまだ教えを乞うことがたくさんあると
2月2日に駿府へ見舞いに訪問します。

家康は土井利勝に、自分の死後は秀忠をよく助け
御法度を守るべし、と遺言します。
約束を守らない諸大名は
どんどん取り潰せとハッパをかけます。

蟄居を命じられ、これまでの罪を謝して
駿河八幡の宿所で待機し
家康との対面を望んでいた松平忠輝ですが、
「あれは見捨てよ」とついに対面叶わず。


2月24日、
福島正則や藤堂高虎、黒田長政、
伊達政宗らが駿府城に見舞いに訪れます。

将軍の元で徳川を盛り立てる、と言った政宗。
家康は聞こえないフリをして
「は?」と手のひらを耳に当てて聞き返します。


3月29日、鶴千代の元服式があり
名を「徳川頼房」と改めます。
と同時に、徳川義利には「義直」を、
徳川頼将には「頼宣」の名を与えます。

そして、父・家康の面倒を見させてほしいと
申し出た三女の振姫ですが、
自分が死んでからでは婚期が延びるからと
早く嫁げ、と笑顔を見せます。

振姫は4月7日、
紀伊和歌山城主の浅野長晟の元に再嫁します。


4月15日。
薬師の診立てで、容体極めて芳しからず、
との報告が利勝から秀忠に伝えられます。

家康の遺言を聞き取った天海僧正、金地院崇伝は
それを秀忠にそのまま伝えます。

死後、棺は久能山に納めて神に祀り
葬儀は増上寺で執り行って
位牌は三河大樹寺に建てること。
一周忌の後、日光山に像を立て、我が霊を招くこと。

秀忠は、涙を浮かべます。


──4月17日。

病床の家康は、今後について
枕元に座する秀忠に念押しします。

将軍家が滅亡した時、世継ぎが絶えた時
尾張家から将軍家を立てること。
将軍家、尾張家、駿府家の三家をもって徳川三家とし、
水戸家はこれに殉じて三家の目付とすること。

それだけ言い残すと、フッと安心したか
秀忠に鼓を所望します。
「冥土の土産に、そちの下手くそな鼓を聞いておきたい」

秀忠の鼓は、家康だけではなく
寝所の外で徳川重臣たちが黙って聞いています。
天井を仰ぎ見ていた家康は、
そのまま眠るように亡くなります。

鼓を打ち続ける秀忠。
涙が止まりません。

鼓が終わった時、遠くで控えていた側室たちは
家康の死を悟ります。

元和2年4月17日、前の将軍、太政大臣、
従一位の徳川家康は駿府城で薨去します。
享年75。


廟所に詣でた秀忠は、5月3日に江戸城に戻ります。

最初の議題は、神として祀られる亡き家康の神号です。
「大明神」か「大権現」かで話し合われますが、
大明神を押す神龍院梵舜と金地院崇伝を抑えて
天海の主張する大権現で押し切ります。

豊臣秀吉も神号で豊国大明神となりましたが、
豊臣家は滅亡し、豊国社は壊されることになりました。
天海が不吉だと言って、確かに、と納得します。

こうして家康は「東照大権現」となったのです。


5月17日、江戸増上寺で
家康の葬儀がしめやかに執り行われます。
内々の葬儀なので諸大名の参列を差し止め、
武蔵国の僧侶のみ読経に参ったのです。

心根が優しい秀忠は、特別の計らいで
弟の忠輝を家康の葬儀に参列させます。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
三林 京子 (阿茶局)
山下 真司 (黒田長政)
田村 亮 (藤堂高虎)
渡辺 いっけい (本多正純)
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すま けい (伊達政宗)
神山 繁 (本多正信)
金田 龍之介 (天海僧正)
波乃 久里子 (常高院)

津川 雅彦 (徳川家康)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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樹木 希林 (お福)
蟹江 敬三 (福島正則)
林 隆三 (土井利勝)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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