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2017年10月27日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(34)御落胤

元和3(1617)年4月17日、徳川家康の御霊は
一周忌を期して駿府久能山より日光へ移され
盛大な遷宮の儀が執り行われた。
この日、日光山を埋め尽くした参詣者は3万人。

こうして家康は東照大権現の名において
神と崇め奉られたのである。

東照社……東照宮と称せられるのは
まだまだ後の世のことである。
東照の言われは、関東と東北を照らす役割だからで、
西は天皇がおわすので、東だけで問題はなさそう。

しかしなぜ不便な山奥に?
いずれ戦乱の世が戻ってくれば、
自分の墓は必ず掘り返されるであろう。
そう予測した家康は、わざと山奥の不便な場所を選んだ。

日光は要害、東照社は城。
万が一、江戸城が陥落した際には
日光に立て籠って戦う。

我、東照大権現、これを守らん!
徳川幕府は永遠に不滅なり──!


元和3(1617)年6月14日、2代将軍徳川秀忠は
諸大名を従えて江戸城を発し上洛の途につきます。
朝廷に遷宮の報告と御礼奏上のためであります。

一行が伏見城に到着したのは6月29日です。

土井利勝と板倉勝重は広橋兼勝ら武家伝奏を呼び
和姫が入内することが決まってから3年が経つも
未だに日程が決まらず延び延びになっている現状があり
この際、ハッキリと決めてしまおうと強気です。

まぁ、延期になったのは2年前は大坂夏の陣、
そして去年は家康薨去によるものなので、いずれも
幕府側の事情であり、朝廷は関わりないのですが(笑)。

ただ、和姫が入内することに反対している上皇勢力もあり、
受け入れられないのであれば将軍が参内することは出来ない、と
利勝は突っぱねまして、またも参内は延期となりました。


和姫をいったん女御(皇后候補)として入内させ
それから折りをみて皇后とすれば、
朝廷の態度はいくぶんかは和らぐかもしれない。
という九条忠栄の提案で、

7月21日、秀忠は京都御所に参内し
天皇に拝謁して和姫の入内を翌年の春と決めます。


江戸城田安門内の比丘尼(びくに)屋敷に住む見性院は
武田信玄の次女で穴山梅雪の妻、そして家康五男・信吉の義母。
その見性院に、比丘尼屋敷内で見かけた幼子のことについて
常高院が追求します。

しかしなかなか首を縦に振りません。
もしも常高院が言っているのが幸松のことであるならば
それは預かったのではなく妹を介して譲り受けた子であり
今ではれっきとした武田家の子である、と。

引見したいというお江の申し出ですが、
無用の疑いは不本意至極、と見性院は笑って断ります。


8月24日、秀忠は伏見城でイギリス商館長・リチャード=コックスと
ウィリアム=アダムスを謁見。
イギリス国王は、イギリスと日本は仲良くする代わりに
貿易の制限を撤廃して欲しい、と主張します。

そして26日には朝鮮国王の使者、呉 允謙と
仲介役の対馬領主・宗 義成を伏見城で謁見します。
朝鮮国の使者を受け入れるのは10年ぶりであります。

親書の内容は、両国に積年の確執があり手を結べなかったが
徳川家が豊臣家を滅亡させて統一したことは喜ばしいことで
今後は仲良く手を取り合って進んでいきたい、というものです。
秀忠は金地院崇伝と土井利勝に諮ります。


この日夕方、病気療養中であった後陽成上皇が
祈祷の甲斐なくついに崩御します。
これでようやく決まっていた和姫入内の日は
1年延期することになりました。


朝鮮国王の返書は、将軍ではなく
「国王」で良いか、と崇伝が聞いてきます。
天皇を差し置いて国王を名乗るつもりはない、と笑う秀忠ですが
国情が異なるとはいえ「将軍」では世界に通用しないのです。

秀忠はちょっと考え、“日本国 源 秀忠”と書くように命じます。

ここでちょっとした事件が発生します。
朝鮮国使と将軍との板挟みとなった宗 義成は
家臣たちと結託して国書を勝手に改ざんしてしまうのです。
“日本国 源 秀忠”を“日本国王 秀忠”と書き換えたのです。

せっかく日本にまでやって来てくれた朝鮮国使たち
500人の苦労を思えば致し方ないことかもしれません。
もし朝鮮と日本が仲違いになれば、
宗が支配する対馬は戦場となってしまうのです。

この事件は、17年後に発覚します。


9月13日、伏見城を出発した秀忠は
月末には江戸城に到着します。

帰って北ばかりの秀忠は、身内の訃報を聞かねばなりませんでした。
紀州和歌山城の浅野長晟に嫁いだばかりの家康三女の振姫ですが、
産後の日立ちが悪く去る8月29日に他界したのです。
38歳でした。


ゆうゆうと廊下を歩く秀忠ですが、
さささと駆けつけてきた雲光院から報告を受けます。
「見性院殿にお預けの若君、御台所様のお耳に達しております」
秀忠はひざから崩れ落ちます。

まったく落ち着きをなくしてしまった秀忠は
酒をあおって酔っぱらってでしかお江の前に出られません。
寝所でも、お江が入ってきたときにはすでに高いびきです。
そして更に、お江の追求にも関わらず知らぬ存ぜぬとおとぼけ。

いつまでも比丘尼屋敷に住まわせていては
いずれ誰かから危害を加えられるかもしれない、と考え
利勝は、幸松丸を旧武田家家臣に譲ることにします。
信濃高遠城主・保科正光であったのです。

こうして秀忠の御落胤・幸松丸は11月8日に江戸を離れ
母のお静とともに信濃高遠にひっそりと移ります。
ただ黙って江戸を去っていく我が子を一目見ようと
秀忠は江戸城から馬で追いかけ、一行を遠くから見送ります。

「達者で暮らせ」
幸松……幸せを待つ、という思いで名付けたわが子。
涙を流して、複雑な思いで見つめる秀忠です。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
三林 京子 (阿茶局)
石倉 三郎 (青山忠俊)
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丹阿弥 谷津子 (見性院)
鈴木 瑞穂 (板倉勝重)
波乃 久里子 (常高院)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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金田 龍之介 (天海大僧正)
林 隆三 (土井利勝)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:佐藤 譲

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