プレイバック葵 -徳川三代-・(35)竹千代の屈折
徳川家康薨去の際、存命である側室は11人いたが、
これら11人の去就をざっとお目にかけたい。
次男結城秀康の生母・於万は
落飾して「長勝院」となり、そのまま北ノ庄城に居住。
六男松平忠輝の生母・於茶阿は
「朝覚院」となって江戸市内に居住。
九男徳川義直の生母・お亀は
「相応院」となって尾張名古屋城へ。
十男徳川頼宣と十一男徳川頼房の生母・お万は
「養珠院」となって駿府城へ。
十一男徳川頼房の養母・お梶は
「英勝院」となって江戸城三の丸へ。
子を産まなかった阿茶局は
「雲光院」となって江戸城大奥に居住。
お仙は「泰栄院」となって駿府城に居住。
お竹は「良雲院」となって江戸城内比企尼屋敷に居住。
お六は「養儼院(ようげんいん)」となって
江戸城内比企尼屋敷に居住。
お夏は「清雲院」となって江戸城三の丸脇の屋敷に居住。
お梅は本多正純の江戸屋敷に居住。
お梅は家康存命中に下げ渡され、正純の妻となっていたのである。
将軍秀忠はお気の毒である。
父の側室11人まで相続することになったのである──。
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