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2017年11月 3日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(36)和姫入内

元和5(1619)年4月、安芸広島城主・福島正則は
無断で居城の修築をしたのを幕府にきつく咎められたが
傲慢にもこれを軽視し、本丸の一部を破壊したのみで
新築の二の丸・三の丸には手もつけなかった。

6月2日、幕府はついに福島正則を改易処分とし所領を没収した。
ただし、正則のこれまでの功労を認めて
信濃川中島45,000石を与えて蟄居謹慎を命じます。

法を犯すものは大名と言えどもこれを許さず
これはすなわち、徳川秀忠の英断ではないだろうか。

(福島正則:) あいやしばらく!
広島城の改築については正則は本多正純に届け出ており
正純が握りつぶしたもので、これは陰謀に他ならない。

いや、本多正純はこのころすでに窓際族、
今や秀忠の信頼厚く、幕府の権勢を一手に握る人物は
土井利勝、ついで酒井忠世であり、
正則は頼るべき人物を見誤ったのである──。


和姫入内にあたり、後水尾天皇の女官・お四御寮人と
皇子・賀茂宮、姫・梅宮を遠ざけろと迫る徳川秀忠に、
卒倒した関白・二条昭実は、元和5(1619)年7月14日
関白を罷免されその日のうちに亡くなります。

天皇は、二条関白の逝去を嘆き
秀忠がなぶり殺したという噂も出てきています。

京都所司代・板倉勝重75歳は、就任以来19年
この一件は慚愧に絶えずと解任を願い出ますが、
秀忠は勝重のこれまでの忠誠に感謝しつつも、
もうひとつ頼みたいことがある、と笑います。


安芸広島の福島正則を川中島へ改易したので、
没収した広島に、紀州和歌山より浅野長晟を移し
紀州に伊勢を加えた555,000石には
駿府より徳川頼宣に与えることにします。

上方に徳川を配置することで、大坂や御所に
睨みをきかせたいという思惑なのです。

さて、頼宣が移った後の駿府ですが、
誰に与えるかは秀忠は何も言いませんが、
内心では、次男の国千代にしようと思っているようです。


7月25日、伏見城を出発した秀忠は
諸大名を従えて宮中に参内。

9月5日、秀忠の参内を受けて近衛信尋(天皇実弟)は
自邸に秀忠の腹心・藤堂高虎を非公式に召し出して
和姫入内について話し合いを行います。

お四御寮人と賀茂宮・梅宮を後水尾天皇より離すこと、
九条忠栄を関白に推挙することを条件に
和姫を入内させることを約束する高虎。

こういう形で、秀忠の強い推挙により
九条忠栄が再び関白に返り咲くことになったわけです。
忠栄の正室は、お江の生んだ完子姫であります。

さらに4日後、

京都所司代は、万里小路充房を丹波亀山へ流罪、
四辻季継・薮 嗣良を豊後に流罪、
中御門宣衡・堀河康胤・土御門久脩の出仕停止・謹慎と
不良公家の処罰を通告し朝廷への圧力を強めます。

これを宣告したのは勝重でありまして、
秀忠は公家の一掃をさせたかったわけであります。


へそを曲げた天皇は、天皇の位を退位して
実弟の近衛信尋に譲ると言い出します。
近衛信尋の母・近衛前子は、だからこそ幕府に
弱みを見せてはならないと退位は問題外との立場です。

もし後水尾天皇が退位すれば和姫入内の話もなくなります。
そのための嫌がらせという、精一杯の抗議なのでしょう。
そこには、後水尾天皇の典侍と生母という嫁・姑の争いも
絡んでいるようで、幕府はわざと反応せず放っておきます。


正室についてのゴタゴタは江戸城内でもあり、
鷹司家との縁組みが決まっている竹千代は、
どうしてもその正室との約束を破談にしたいと
徳川頼房に相談していたようで、

家臣の娘を側室としてたくさん置けば気が楽だとか
正室は持つ必要がないとか
竹千代にいろいろと吹き込んでいる模様。
秀忠は頼房を水戸に移し、謹慎を命じます。


10月、幕府は大規模な人事異動を発令。

下野小山城主・本多正純を宇都宮城主に、
竹千代傅役・青山忠俊を武蔵岩槻城主に、
京都所司代・板倉勝重は高齢につき
後任として嫡男の重宗に決定します。


元和6(1620)年2月18日、
後陽成天皇の生母・新上東門院が
かねてより病気療養中のところ崩御。

幕府にとっては、和姫入内について
反対を唱える有力者が去ったことで
天皇は譲位を取り消し入内を受け入れることになり
事態は好転する……はずですが、

関白・九条忠栄は、かつて幕府が出した
不良公家への処罰を旧に戻すことを条件にしています。
朝廷には朝廷のメンツがあるのです。

高虎の奔走のおかげで天皇の態度が軟化し
和姫入内が6月8日に決まります。


5月8日、和姫一行は華々しく江戸を出発し
28日には二条城に無事に到着。
疲れのせいか和姫が病床に伏し、
入内の日は18日に延期となりました。

そして6月18日、和姫はその名も和子(まさこ)と改め
後水尾天皇の女御となります。
後水尾天皇25歳、和子姫14歳──。


9月6日、
秀忠嫡男・竹千代は父の命により元服し
徳川家光と名乗ることになりました。

そして次男・国千代は、
秀忠の「忠」に織田信長の「長」で
徳川忠長と名乗ることになりました。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
──────────
[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 辰之助 (徳川家光)
三林 京子 (阿茶局)
田村 亮 (藤堂高虎)
石倉 三郎 (青山忠俊)
渡辺 いっけい (本多正純)
──────────
山口 果林 (近衛前子)
寺田 農 (二条昭実)
鈴木 瑞穂 (板倉勝重)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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樹木 希林 (お福)
蟹江 敬三 (福島正則)
林 隆三 (土井利勝)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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