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2017年11月17日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(40)親ごころ

まずはこのごろご他界の方々のご冥福をお祈り奉る。

12月17日、武家伝奏 従一位・広橋兼勝他界、享年65。
二十余年にわたり朝廷と幕府の仲介役を務めた功労者であった。

元和9(1623)年3月20日、出羽米沢城主・上杉景勝逝去、享年69。
「巨星落つ」かつて天下を揺るがした戦国の風雲児もついに旅立つ。

8月4日、筑前福岡城主・黒田長政が京都で卒去、享年56。
知謀人に優れ、関ヶ原の合戦では裏の立役者であった──。


元和9(1623)年7月27日、伏見城で将軍宣下あり
徳川家光はめでたく征夷大将軍と任ぜられます。
3代将軍は20歳、これにより前将軍徳川秀忠は
大御所として家光の後見に当たります。

9月、将軍家光は江戸城本丸へ、大御所秀忠は西の丸へ。
そして9月23日、前関白鷹司信房の息女・孝子姫が
宮中より下向し江戸城西の丸へ入ります。
この孝子姫こそ、家光の御台所となる人物であります。

「ふつつか者ではございますが、よろしゅうお引き回しのほどを」
孝子姫は、秀忠・お江に手をつき頭を下げます。
秀忠もお江も、そして常高院も、
孝子姫の美しさに惚れ惚れしています。


大御所秀忠の指図でいろいろ動いており、
その一つひとつについて家光は家臣たちから報告を受けます。
と言っても秀忠の指図なので、家光は何も言うことはなく。

傅役の青山忠俊は、ひとつぐらいは華々しく采配を振るい
新将軍としてアピールを、と言いますが、家光は、
華々しくはないが、と断った上で衝撃的なことを口走ります。
「そちを罷免したい」

家光幼少より家臣にあるまじき無作法の数々を重ね
掴んで揺すって将軍の器にあらずと暴言を吐き、
衣服を脱ぎ捨て肌を露にして斬るなら斬れと脅し、
重病の床につく家光を無理矢理出立させようとし……。
ああいう無念さ、口惜しさは生涯忘れぬ!

家光は目を見開いて、忠俊を睨みつけます。
大御所のご意向を尋ねてみなければ、と
難色を示す家臣たちの口を封じ、
忠俊の所領を没収し蟄居を命じます。

一方、家光の将軍就任によって
お福は本丸大奥のナンバー1となり
治世や人事にも多大な影響力を発揮するようになります。
お福はこの時45歳。

将軍としての第一が傅役罷免であることは
恐らくはお福の差し金かと噂されます。
「あの女狐め!」と忠俊は睨み返します。


11月19日、後水尾天皇の女御・和子は女の子を出産。
大喜びの天皇は、女一の宮興子姫と命名します。

12月26日、江戸城本丸大奥で
家光と孝子姫の婚礼が執り行われます。


元和10(1624)年は、「甲子改元」により
2月30日をもって寛永元年と改元されます。
「甲子改元」とは、甲(きのえ)子(ね)の年に
元号を改めるという古来からの習わしであります。


婚礼をして早3ヶ月、
家光は大奥に入らず孝子姫とも睦み合わず
このままでは子どもは出来ないと
常高院はやきもきしております。

徳川家康は遺言で、武家相続についていらぬ争いを避けるために
「必ず長子をもって相続させること」「将軍家に世継ぎなき時、
 尾張徳川もしくは紀伊徳川より将軍を立てること」
を命じています。

将軍徳川家光のみならず、尾張徳川義直、紀伊徳川頼宣も
揃いも揃って未だ嫡男を上げておりません。
このままでは4代将軍は継ぐ人物がいなくなってしまいます。

そこで秀忠は、この後も家光が嫡男を上げなかった場合
仙千代を4代将軍に、と考えているのです。
仙千代は、秀忠の兄・結城秀康の孫であり、
徳川直系の長子にあたる、というのです。


秀忠は天海大僧正を呼び、
徳川忠長の処遇について相談します。

忠長は将軍の弟であるということで、
徳川御三家にも準じる扱いをしてやらなければ
松平忠輝や松平忠直同様に道を誤る可能性があるわけです。

そこで秀忠は、天海大僧正に
忠長の加増を家光に進言してもらいたいというのです。
秀忠が言うと角が立つので、天海には
穏便に事が運ぶよう進言してもらいたいのです。

天海がどのように家光を説得したか分かりませんが、
家光は忠長を呼び、駿河・遠江・甲斐の一部
合わせて55万石の所領と駿府城を与えることにします。

「これで満足か。恩を忘れるなよ」
家光の捨てゼリフに、唇を噛む忠長です。


11月28日、朝廷は女御和子を中宮とします。
中宮とは天皇の后を意味します。

12月19日、朝鮮通信使が朝鮮国王の書簡を携えて
江戸城本丸に入り、将軍代替わりを祝賀します。

家光はその書簡に目を通し
“日本国王殿下”とあるのを見つめます。

これは、朝鮮に“将軍”という言葉は存在するも
日本の将軍とは別の意味に使われるものであり
便宜上、将軍家光を“日本国王”としたものであります。

それを逆手にとり、家光は
自分は日本国王であるのだから、
国王が上洛すれば、その返礼として
天皇が江戸に行幸して然るべき、と言い出したのです。


それを聞いた秀忠は、大権現(家康)でさえ
なし得なかったことだと絶句します。
「わしの隠居が……早すぎたか」


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 辰之助 (徳川家光)
酒井 美紀 (和子)
石倉 三郎 (青山忠俊)
天宮 良 (井上正就)
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三林 京子 (阿茶局)
中江 有里 (鷹司孝子)
波乃 久里子 (常高院)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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樹木 希林 (お福)
金田 龍之介 (天海大僧正)
林 隆三 (土井利勝)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:渡辺 一貴

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