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2017年11月27日 (月)

プレイバック葵 -徳川三代-・(43)女の一生

寛永3(1626)年、秋。
幕府は二条城にきらびやかな行幸御殿を造営。
後水尾天皇の行幸を仰ぎ奉った。

行幸初日の9月6日は、夜来の雨も晴れて
まず中宮和子の行啓あり。
騎馬束帯の武士20人を先立てて、お供は
内大臣、中宮太夫など公家8人、殿上人16人。
牛車の周囲には柳生宗矩ら5人が装束りりしく警護。

次に天子のご生母・中和門院のお出まし。
お供は前関白ら公家8人、殿上人18人。
次いで徳川家光は天子お出迎えのため束帯で参内。
これに従う大小名は実に300余り。

時至り後水尾天皇の行幸あり。
お供は関白左大臣以下、公家殿上人数百人。

第2日目の9月7日は快晴、
朝餉(あさがれい)の後、家光より献上品あり。
夕方には大広間にて絢爛たる大競演が開かれた。

第3日目の9月8日は
内々の朝餉の後、秀忠より献上品あり。
この日天皇は天守閣から四方を展望した。

第4日目の9月9日は能楽の天覧あり、
共演の誘いあるも天皇は二日酔いのためこれを固辞。

第5日目の9月10日、天皇は再び天守閣に昇って四方を展望。
秀忠、家光、忠長に献杯を賜り、御所へ還幸。

徳川幕府がその名誉をかけ、
全力を尽くしてお迎えした二条城行幸は大イベントであり
少なくとも江戸時代にあっては、空前にして絶後の饗応──。


9月11日深夜、二条城に江戸から井上正就が到着し
大御台・お江の危篤が徳川秀忠に伝えられます。

秀忠は徳川家光を呼び出し、危篤のお江への見舞いに
徳川忠長を江戸城に向かわせる旨を伝えます。

自らが と家光は言いますが、今回の行幸の主催であり
明日には拝任の勅使、明後日には参内して御礼言上と
イベントが続くため、家光は動かせません。

秀忠・家光の名代として
稲葉正勝が忠長に同行することになり、
翌12日、慌ただしく二条城を出発していきます。


朝廷は今回の二条城行幸を機に
左大臣秀忠を太政大臣に、
そして右大臣家光を左大臣に任じます。

その勅使を迎えている間にも、
忠長と正勝らは江戸に駈けていきます。


翌日、秀忠と家光は
任官の御礼言上に京都御所に参内します。

中宮和子にもお江の危篤を伝え、
腹に宿す第三子の無事の出産こそが
親の何よりの喜び、と和子を励まします。


9月15日未明。
常高院、千姫ら娘たちに見守られながら
お江はついに旅立ちます。

危篤状態に陥って数日、何も言わぬままの旅立ちに
みな嘆き悲しみます。


その夜、夢枕にお江が立ち
飛び起きる秀忠ですが、
もしや……と考えると恐ろしい気分になります。


日を継いで馬も乗り継ぎ、
忠長と家光が江戸城に到着しましたが、
お江の死に目には会えませんでした。

訃報が二条城に届いたのは9月18日でした。

秀忠はただただ呆然と座したままです。
二条城から江戸城への帰国の采配や葬儀の指図など、
残された者のやらなければならないことが山積みですが
秀忠には気力がなく、家光に全任することにします。

10月18日、お江の亡きがらは麻布野で荼毘に付され
芝増上寺に葬られます。
享年54、おくり名は崇源院。

秀忠が江戸城に戻ったのは、
盛大な葬儀の3日後のことでした。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 辰之助 (徳川家光)
酒井 美紀 (中宮和子)
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三林 京子 (阿茶局)
波乃 久里子 (常高院)

津川 雅彦 (徳川家康(回想))

神山 繁 (本多正信(回想))
田村 亮 (藤堂高虎(回想))
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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小川 真由美 (淀殿(回想))
樹木 希林 (お福(回想))
林 隆三 (土井利勝)
岩下 志麻 (お江)
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制作統括:川合 淳志
演出:重光 亨彦

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