プレイバック葵 -徳川三代-・(45)春日局(かすがのつぼね)
後水尾天皇は、後陽成天皇の皇子であり
生母は近衛家より迎えられた中和門院前子(さきこ)。
後水尾天皇の中宮・和子(まさこ)は徳川秀忠の五女で
東照大権現・徳川家康の孫にあたる。
後水尾天皇の子は、和子が生んだ
女一宮興子、女二宮、高仁親王(すけひと)。
寵愛を受けたお与津御寮人が生んだ
賀茂宮は他界し、梅宮は11歳──。
後水尾天皇と中宮和子の皇子であり
徳川秀忠の孫に当たる高仁親王が
寛永5(1628)年6月11日に薨去。
立太子を前に、わずか2歳で薨去したのです。
秀忠の落ち込みようはひどいものでした。
ただ、和子が4人目を懐妊していることもあり
その子が皇子であることだけを祈って
天皇の隠居所である仙洞御所の建設は続けさせます。
高仁親王の喪が明けた8月2日、
後水尾天皇は、和子を前に
天皇退位の気持ちに変わりはない、と宣言します。
「天皇の位、女一宮に……譲る」
それを聞いた秀忠は、慮外なり! と大反対。
女帝の話は突っぱねます。
8月10日、遠江横須賀城主で江戸城西の丸年寄の
井上正就は不慮の死を遂げます。
享年52。
目付・豊島信光の乱心により刺殺されたのです。
殿中で乱心に及び、譜代の老臣を殺害に及んだ大罪ゆえに、
豊島家の断絶はもちろん、一族連座で罰することになりますが、
恨んだ旗本が年寄を刃傷に及べるのは殿中しかないという
豊島を擁護する声が存在するのも確かなのです。
家光は、信光とその嫡男を切腹として豊島家を断絶。
しかし親族の連座はありませんでした。
9月26日、大御所秀忠は
幕府要職に「老中」職を設け、
酒井忠世、酒井忠勝、稲葉正勝、
そして土井利勝に老中を命じます。
9月27日、中宮和子は第二皇子を生みますが、
皇子は生後10日にしてあえなく逝去。
秀忠は、お江の死後に悪いことが続くと
涙を流して位牌に手を合わせます。
12月22日、秀忠次男の徳川忠長は
織田信良の息女・信姫と華燭の典を挙げます。
忠長23歳、信姫15歳。
ところが忠長は、久能山に埋蔵した金銀を
家光が江戸城に移す予定であると知ると
忠長は大権現の遺命により預かっているものとし
反対の立場です。
いいから家光の言うことを聞け、といら立つ秀忠に
忠長は、軍用金と引き換えに大坂城をくれなどと言い出し
将軍の弟であるからそれぐらいは当たり前、という
すました顔をしています。
秀忠はもはや、忠長に呆れてしまっています。
寛永6(1629)年正月、秀忠と家光は
朝廷に年賀拝礼の使者を遣わしますが、
後水尾天皇はその答礼を見送ったままです。
閏2月2日、家光は高熱を発して病床に伏します。
疱瘡(天然痘)にかかり重体に陥ったのです。
大人になっての疱瘡はことのほか重病で
死亡率はおよそ5割──。
家光は、駿河から見舞いに訪れた忠長や
御台所の鷹司孝子の見舞いすらも断り
見舞いに江戸城に向かっている諸大名にも
帰国を命じるほどの徹底さであります。
お福は、何としても家光を救おうと
生涯の薬断ちを決意します。
3月17日には、秀忠は上野の東照社を参詣し
家光の病気回復を祈願。
その甲斐あってか、1ヶ月半の闘病の後
家光はようやく病気平癒。
4月17日には日光山東照社にお礼参りをします。
5月22日、勅使武家伝奏・三条西実条と
中院通村が江戸城に家光を訪ね、改めて
後水尾天皇から女一宮への譲位の意向が伝えられます。
背中に腫れ物が出来、政務がとれないというのです。
女一宮が後を継ぐと女帝ということになりますが、
初めてのことではないとはいえ、直近では
宝亀元(770)年に崩御した称徳天皇でありまして、
859年前のことであります。
勅使の申し出を吟味した幕府は、
6月5日、女一宮興子内親王への譲位は
「時期尚早」との判断を下します。
京都所司代の報告によれば、中宮和子が懐妊し
産み月は9月とのことで、
病気の天皇は子を作れるのか、ということになり
天皇退位はしばらく先に、という結論に至ったのです。
無論、勅使は懐妊の事実を知りませんで
幕府側から「隠していたのか!?」と問いつめられれば
大汗をかいて否定するしかなく。
幕府の言い分を聞き入れるしかありませんでした。
8月1日、関白の近衛信尋は幕府の奏請によって罷免。
天皇の様子を探りたい家光は、お福に
家光の名代として上洛し、病気見舞いの御礼言上と
産み月近い和子のお世話を命じます。
任にあらず、と固辞していたお福でしたが、
女官の上洛であれば角が立たぬ、と言われて
うーん、と頭を抱えてしまいます。
結局、密命を帯びたお福は上洛の途につきます。
8月27日、和子は皇女を生みます。
またも姫か、と秀忠は膝から崩れ落ちます。
京に到着したお福は
9月12日、初めて中宮御所に赴きます。
しかし願い出た参内の件は、
関白や五摂家も首を縦に振りません。
無位無官の、将軍の乳母に参内させるのは
前代未聞だと言うのです。
阿茶局は、お福が幼少の頃
母親の実家である三条西家とつながっていることに目をつけ
お福を三条西実条の妹ということにすれば、
参内も可能性が広がる、と提案。
「阿茶の言うようにしてほしい」との和子の言葉もあり
お福は阿茶局に一任しますが、
もし謁見がかなわなかったら、自害して果てると
実条に断った上でです。
10月10日、お福は宮中に参内し
後水尾天皇の謁見を受けます。
お福が将軍の名代として
伊勢皇太神宮に参拝したことを受け、
天皇はお福を殊勝の心がけだと褒め
局の称号を与えることにします。
「春日局と名乗るがよろしかろう」
天皇からの献杯を受けます。
しかしこのことは、誇り高い公家衆の憤激を買い
重大な展開を招くことになってしまいます。
作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 辰之助 (徳川家光)
酒井 美紀 (中宮和子)
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天宮 良 (井上正就)
三林 京子 (阿茶局)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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金田 龍之介 (天海大僧正)
林 隆三 (土井利勝)
樹木 希林 (お福)
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制作統括:川合 淳志
演出:佐藤 譲
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