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2017年12月 8日 (金)

プレイバック葵 -徳川三代-・(46)女帝即位

寛永6(1629)年10月10日、
徳川家光の乳母・お福は
宮中に参内し後水尾天皇の謁見を賜り、
その名も「春日局」となった。

しかしこのことは、誇り高い公家衆の憤激を買い
重大な展開を招くことになってしまいます。

公家衆の憤激とは、
お福は無位無官の一介の乳母に過ぎず
このような女性に参内謁見を許すのは
朝廷の尊厳を著しく傷つけるものだからである。

確かにお福は家光の名代として参内したが
それが朝廷に対する幕府の嫌がらせに他ならず──。


「考うるところあり、本日皇位を退いた」
寛永6(1629)年11月、後水尾天皇はついに退位。
中宮和子との間に生まれた長女・女一宮興子内親王に
皇祖皇宗の神勅を得て天皇位を譲ることにします。

皇位継承は、幕府の関知するところにあらず、と
天皇は幕府には報告していません。
和子は天皇に代わって、急の譲位を
江戸の父・徳川秀忠宛に書状を送ります。

そして和子は、
後水尾天皇の退位に伴って女院の尊称を受け
東福門院と号すことになりました。

こうして朝廷と幕府は
天皇の譲位についてしこりを残したまま
寛永7(1630)年の春を迎えます。

秀忠は、即位の礼など譲位に向けて着々と進む朝廷に
わざと知らんぷりをして、朝廷の意のままに進むかどうか
江戸から眺めていることにします。


3月1日、秀忠四女の初姫が病没、28歳。

常高院は江戸城を訪れ、
一家を挙げて看病にあたったと弁明しますが
夫の京極忠高は、相撲見物に出かけていたらしく
それが秀忠の不興を買います。

忠高が対面を申し入れますが、対面は許さず
しかも会わずして蟄居を命じます。


徳川家光は、弟徳川忠長を駿府より呼びつけ
信濃高遠城主・保科正光の子である幸松丸を駿府に呼んで
家光に許可なく対面したことを詰問します。

さらに、家光が疱瘡で病床にあった折
将軍の後継者は自分であると放言を吐いたそうで
家光はそれも耳に入れています。

家光は、3代将軍に子がなかった場合は
尾張五郎八丸か紀州長福丸かが後を継ぐと
東照大権現徳川家康の遺命によって決まっており
何があっても忠長が後を継ぐことはない、と断言します。

「二度と……思い上がるな」
家光は不気味な笑みで忠長を睨みつけ
忠長は失意のまま駿府へ帰国します。


6月23日、正光と幸松が江戸城に登城。
家光に拝謁します。

家光はひどくご機嫌で、親しげに話しかけます。
実弟忠長とは違う、優しい兄のまなざしです。
これまで不遇の暮らしをさせてしまった罪滅ぼしに
ゆっくりと埋め合わせをしたいと考えているようです。

遠慮なく会いに来い、と幸松に伝え、
自身の嫡男がありながらそれを廃嫡し
幸松を嫡男として今まで育ててくれた正光に
家光は頭を下げて詫びます。


7月3日、重病の床にあった
後水尾天皇の生母・中和門院前子が薨去、享年56。

秀忠は江戸から著名な薬師や学者を遣わして
看病に当たらせていましたが、その甲斐なく……。


秀忠は、自分と家光から
それぞれ弔問の使者を朝廷に送ることを決め、
さらには女一宮即位を受け入れることにします。

ここで女帝について。
これまでの女帝の一覧は以下の通り。

(1) 推古天皇 592〜628年
(2) 皇極天皇 642〜645年
(3) 斉明天皇 655〜661年
(4) 持統天皇 686〜697年
(5) 元明天皇 707〜715年
(6) 元正天皇 715〜724年
(7) 孝謙天皇 749〜758年
(8) 称徳天皇 764〜770年

合計8人……ではなく、合計6人であります。
(2) 皇極天皇 と (3) 斉明天皇 は同一人物、
(7) 孝謙天皇 と (8) 称徳天皇 も同一人物、
つまり2度、天皇を務めたというわけです。

さらに、(1)〜(4)の古代飛鳥時代の女帝は
すべて天皇のお后、皇后から天皇になったものですが、
(5)〜(8)の奈良時代の女帝は皇后の経験がありません。


もともと朝廷の守護職である武士は
武を以て文を犯すことはやってはいけませんが、
天皇譲位を引き止めなかった朝廷の不遜は許せません。
よって、女一宮即位の礼は幕府が主導して行うのです。

武家は先例により即位の礼に参列できませんが、
参列できなくても実権さえ握っていれば
それでいい、と秀忠は家光を見据えます。

それは諸大名にも通達させまして、
10万石以上の大名は上洛する必要なし、
代理のものが参列せよ、とのお達しです。

9月12日、京都御所紫宸殿(ししんでん)にて即位の礼あり。
女一宮興子内親王、8歳で皇位に就きます。
「明正天皇」誕生であります。

9月16日・一条兼遐(かねとう)邸に五摂家を集め
幕府の態度を明らかにしたのは言うまでもありません。


10月5日、伊勢安濃津城主・藤堂高虎が逝去、享年75。


駿府領の浅間神社神官より幕府に直訴がありました。

訴状によれば昨年11月11日、忠長は数万の勢子を率いて
猿狩りを催して1,200の猿を殺したとのことで、
浅間神社は八百年来、殺生禁止の地であり
猿は神獣として祀られております。

このころの駿河大納言忠長卿の乱行はすさまじいものがあり、
わざと侍女に体当たりして殴る蹴るの暴行を加えたり
腰を持つ者の尻を刀で突き刺し、暴れたり、
といったものです。

「あのたわけが……」
秀忠の表情は明らかに青ざめています。


作:ジェームス 三木
音楽:岩代 太郎
題字:ジェームス 三木
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[出演]
西田 敏行 (徳川秀忠)
尾上 辰之助 (徳川家光)
酒井 美紀 (中宮和子)
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すま けい (伊達政宗)
三林 京子 (阿茶局)
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中村 梅雀 (語り・水戸光圀)
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波乃 久里子 (常高院)
林 隆三 (土井利勝)
樹木 希林 (お福(春日局))
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制作統括:川合 淳志
演出:尾崎 充信

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