vol.246・おともだち
vol.246・おともだち
(パーソナリティ:Kassy)
第246回放送です。
おともだち。近くてとても大きな存在。
昔の偉人も、おともだちについていろいろ語ってくれています。
※公開が遅くなりましたことをおわび申し上げます。
今回のListening Pointは……
なかま!
番組に関するご意見・ご感想は、
この記事のコメント欄へお願いいたします。
vol.246・おともだち
(パーソナリティ:Kassy)
第246回放送です。
おともだち。近くてとても大きな存在。
昔の偉人も、おともだちについていろいろ語ってくれています。
※公開が遅くなりましたことをおわび申し上げます。
今回のListening Pointは……
なかま!
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1946(昭和21)年7月・ロサンゼルス。
アメリカに戻ってきた天羽賢治は
真っ先に父母が暮らす家に向かいますが
あいにく外出しているようで、留守です。
賢治はしばらく待ってみますが、帰ってこないようなので
街中をいろいろと歩いてみます。
見つけたのは「加州新報」、
賢治がしばらく勤めていた新聞社です。
記者の顔ぶれはまったく変わってしまいましたが、
賢治の主義主張によって捕らえられていた
編集長の松井竹虎は復帰して元気そうです。
とぅまどん、おいの妻になってくいやんせ──。
西郷吉之助は、菊池源吾として
愛加那とともに奄美大島で生きていく決意をしました。
大島の女性は、結婚をすると左手にハジキを入れます。
夫や、新しい家族の魔除けのためです。
吉之助は、海の向こうの薩摩で何が起こっているのか
何が起きようとしているのか全く知りませんでした。
昭和21(1946)年7月5日、極東国際軍事裁判所には。
検察側証人として、陸軍少尉の田中隆吉が出廷しています。
満州における軍事的侵略についての検察側立証で
田中は、昭和3(1928)年の張作霖爆殺事件、
昭和6(1931)年の満州事変の首謀者のことを質問。
田中は、自分の詳細な経歴から事件概要にいたるまで
よどみなくスラスラと答えます。
それも手元に資料なく、すべて口答です。
天羽賢治は、このような立証は
FBIがギャングを捜し出すやり方だと察知します。
昭和21(1946)年5月3日、
極東国際軍事裁判所。
井本梛子やチャーリー田宮、
元外務大臣・東郷茂徳の他にも
元総理大臣の広田弘毅や東条英機、平沼騏一郎、
元陸軍大臣・荒木貞夫なども出廷しています。
汽車の中では、女性たちが明るく歌を歌っておりますが
同じ車両に乗り合わせた天羽 忠たちは、
「あれが大和撫子かね」「変わってしまったなぁ、日本は」と
嘆かわしく感じています。
そんな忠は、鹿児島の天羽家に帰ってきました。
菊池源吾と名を変えて
薩摩から遠く離れた奄美大島にやって来た西郷吉之助。
生きる気力を失い、死の渕をさまよっていた時
島の娘・とぅまに救われ、再びこころを取り戻したのです。
あなた様の首にしがみついて、ずっと祈ってました。
どうかあなたを助けてくりしょり、ち──。
安政6(1859)年。
吉之助が奄美大島に来てから数ヶ月が経ちました。
また、薩摩からのあの砂糖船が来る季節がきました。
サトウキビを収穫し、砂糖を作る作業をしている農民たちに
吉之助は薩摩から届いた米を炊いて握り飯をふるまいます。
大島に流された罪人とはいえ、薩摩からは
食糧給付がそれなりに(困らない程度に)あったのです。
とぅまは、今日でそんなに消費してしまったら
明日からの食糧をどうするのか気にしますが、
芋も多少は残っているし、魚釣りだって上達したとドヤ顔です。
とぅまは、変なヤマトンチューだな、と笑います。
しかし龍 佐民は、大島にとって米はこの上ないご馳走だとし
子どもたちに夢を見せるのはやめてほしい、と控えめに忠告します。
東京・帝国ホテルでは
キーナン主席検事による記者会見が開かれます。
先日来 行われてきた被爆者へのヒアリングをもとに
故意に戦争を始めた日本の指導者の犯罪行為を明らかにし
将来の戦争を防止するために東京裁判を開くと発表。
征服者として指導者に制裁を加えるわけではありません。
天羽賢治の恩師とも言える東郷茂徳は
開戦にずっと反対の立場をとっていましたが
パールハーバーの時の外務大臣ですので
罪は免れないでしょう。
vol.245・時間管理術
(パーソナリティ:Kassy)
第245回放送です。
いまやるべきことは何か、限られた時間でよりよく
多くの課題をこなすためにどう考えるか? を追究しました。
※公開が遅くなりましたことをおわび申し上げます。
今回のListening Pointは……
サルでも分かる!
番組に関するご意見・ご感想は、
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終点停留所の旅“たそがれ”第199弾です。
今回はF岡県F岡市の
S良高校バス停をご紹介します。
高校の前にバス停。
電車や地下鉄という交通機関がない現状(※)で
バスが高校の前にまで乗り入れてくれるというのは
非常に助かり、ありがたいことです。
しかも一部便は構内にまで乗り入れるという。。。
(※)目の前に、あるいは付近を走行していない、という意味
ワタクシが通っていた高校は、電車の最寄り駅から徒歩15分だったので
近くにバス停があったり、バスの直接乗り入れがあったりはなかったですが、
もしもウチの高校だったら、と考えることがよくあります。
もしバスが直接乗り入れをしていたら、どこからどうアプローチをするか。
全国大会出場の応援バスなどを高校が出した時、構内まで乗り入れたなら
ゆめタウン側から正門前を通り過ぎてプール側から入った? とか
いやいやそれともどこか広い駐車場に集合させて、そこから向かった? など
実際にバスを乗り入れさせるわけでもないのに、妄想して楽しんでいますw
昭和20(1945)年・秋
GHQ(連合軍総司令部)──。
マッカーサー元帥が大使館を出たと言う知らせが入りました。
今から5分30秒後にGHQの建物に到着するはずです。
元帥の副官をしているチャーリー田宮たちは
その時間に合わせて総出でお出迎えです。
その直前にマニラからGHQ入りしていた天羽賢治は
原爆調査のために広島に向かう前に
チャーリーとの対面を果たすところでしたが、
偶然、元帥の到着に立ち会えます。
その後、チャーリーを待っていた賢治は
前を通りかかった日本人男性に声をかけられます。
その声の主は、島木文弥でした。
もうすぐお前の夫がやってくる
海の向こうから
私の夫が……?
しかし、災いも連れて来る──。
災い……。
幕府に追い詰められた西郷吉之助は
薩摩藩からも見放され、
ついに月照とともに錦江湾に身を投げますが、
海から救い出された吉之助は奇跡的に蘇生しました。
共に身を投げた月照が落命したと大久保正助に聞き
吉之助は声を絞り出します。
「ないごて助けた……ないごて死なせてくれんやった」
1945年(昭和20年)7月26日
[ポツダム宣言発表]
無数の爆弾が日本の町に投下され
壊滅的な惨状に陥ります。
──米英中の陸海空軍は数倍の増強を受け
日本に最後的打撃を加うる
日本の抵抗終止まで戦争を遂行する決意の増強なり
自由の民に対するドイツの抵抗の結果は日本の先例たらん
われらの軍事力の使用は
日本軍および国土の完全な壊滅を意味すべし──
Happy Happy Birthday !!
都市高502さん♪
今日、5月8日は
“ヘビーコメンテーター”の都市高502さんの誕生日♪
てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。
──────────
The best way to avoid responsibility is to say, "I've got responsibilities."
責任を回避するいちばんの良い方法は、
「責任は果たしている」ということである。
(米国の作家・リチャード・バックの言葉より)
──────────
おめでとうございまーす。
1945(昭和20)年4月・ルソン島。
天羽 忠が所属している大山大隊は
1ヶ月も前に玉砕電報を打って
ほとんどの兵士は戦死、あるいは戦病死を遂げていました。
落野中将、鬼頭軍曹、忠たちは最後の出撃に際して
鉄砲を隠し、ポケットに自決用の手榴弾を入れて
アメリカ軍斬り込みの準備に入ります。
そして夜遅く、米軍キャンプに手榴弾を無数に投げ込み
斬り込みを行います。
斬り込みに入り、武器庫から手榴弾を奪い取って引き下がる。
その繰り返しです。
しかし、このせいで落野中将が落命します。
阿部正弘が亡くなり、島津斉彬が亡くなり、
大老・井伊直弼の独裁になってしまった江戸幕府。
一橋慶喜に将軍を継承させようという動きに着目した井伊は
幕府に楯突いたとして弾圧を開始します。
西郷吉之助や月照も言うに及ばずですが
月照が追っ手から逃れることを諦めかけていた時、
吉之助と有村俊斎は幕府の追及が届きにくい薩摩に
月照を連れ帰ることにします。
折からの土砂降りのどさくさで
やっとの思いで薩摩に入国できた3人は真っ先に西郷家に向かい、
月照を着替えさせ、布団で休んでもらうことにします。
1945(昭和20)年3月9日。
サイパンから飛び立つB29長距離爆撃機が
東京の町に爆弾を無数に落とすシーンを
天羽賢治たちは複雑な表情で見ています。
アメリカ軍が焦土作戦に切り替えたことで
軍隊とは関わりない日本国民の被害が増える懸念がありますが
日系人の中にも、たとえ10万の日本人の犠牲があったとしても
戦争が早く終われば、100万の日本人の命を助けられるから
仕方がないことなんじゃないか、という声があって
賢治はひどくショックを受けます。
終点停留所の旅“たそがれ”第197弾です。
今回はF岡県F岡市の
S原バス停をご紹介します。
電話ボックス。
ケータイやスマホが主流である今どきでは珍しい存在でしょうか。
テレホンカードなんて存在はもはや旧札並みの珍品となり、
硬貨使えますって言っても、それが10円か100円硬貨のどちらかで、
1円5円50円500円硬貨は使用できないし、
通話中にブザーが鳴ったらとか緊急の場合にはとか、
こと細かく説明しなければならない時代でしょうか。
ましてや黒電話と同じ、プッシュ式ではなくダイヤル式であれば
電話の掛け方さえもレクチャーしないといけないかもしれません。
ふと、この電話ボックスを目にした時
そういえば幼いころ、この折戸がバスみたいでおもしろくて
意味なく電話ボックスに入って
ひたすら扉を開閉していたことを思い出しました。
夜間は上部の照明が点灯するので、
明かりに集まる虫や、それを捕まえて食べるつもりのクモが
クモの巣をはったりと環境はいいとは言えませんでしたが、
格好の遊び道具であったことには間違いありません。
ともかく、夜間にも照明が点いているので
コンビニほどの防犯上の役割はないにせよ
あぁ、帰って来た、と思える明かりであることは間違いなさそうです。
vol.244・女優に見る休日の過ごし方
(パーソナリティ:Kassy)
第244回放送です。
ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでございましょうか。
お休みのないワタクシから、皮肉の休日の過ごし方をご提案〜。
※公開が遅くなりましたことをおわび申し上げます。
今回のListening Pointは……
おしごとです!
番組に関するご意見・ご感想は、
この記事のコメント欄へお願いいたします。
Happy Happy Birthday !!
りゅうポンさん♪
今日、5月2日は
“ヘビーコメンテーター”のりゅうポンさんの誕生日♪
てなわけで、Kassyから
奇跡の言葉をお一つ。
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山から遠ざかれば、ますますその本当の姿を
見ることができる。
友人にしてもこれと同じである。
(アンデルセンの言葉より)
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おめでとうございまーす。
1945(昭和20)年2月・ルソン島。
海岸から攻め寄せて来たアメリカ軍の攻撃に
日本軍は大打撃を食らいます。
日本軍にとって、次第に不利な戦況となりつつありますが
それでも祖国を守ろうと勇敢に戦い続けています。
アメリカ軍では、天羽賢治が大尉に呼び出されます。
語学兵の優秀さを認めつつも
投降を促すビラの効果についてかなり疑問に感じていて、
欧州ではビラ5,000枚に対し5万の敵兵が投降したというのに
リンガエンの日本兵に10万のビラをまいても投降者はゼロ。
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