プレイバック山河燃ゆ・(50)宣告
昭和23(1948)年8月。
東京裁判という最高の機密を扱うスタッフは、
東京の服部ハウスに移らされます。
天羽賢治もそれに倣い、天羽エミーやアーサーが暮らす
ワシントン・ハイツから服部ハウスに移るわけですが、
全く自由がない生活で、これが裁判の判決が出るまで
ずっと続くのかと思うと、先が思いやられます。
外部との通信手段は全くなく、
家族との手紙のやり取りだけは認められていますが
検閲が入った上でのやり取りです。
ほぼ監獄といった方が正確かもしれません。
一方、被告たちが収容されている巣鴨プリズンでは
のんびりと将棋を打つものもおりますが
東郷茂徳や広田弘毅は一様に厳しい表情です。
「我らのうちの何人かは、死刑なのか……」
広田弘毅はため息まじりに呟きます。
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