プレイバック山河燃ゆ・(51)新たなる旅立ち [終]
「戦犯廿五被告に判決下る」
「東條、廣田ら七名絞首刑──無罪なし 木戸ら十六名終身禁固」
「裁かれた「日本国」」「法廷三年」という文字が踊る新聞に
被告たちの刑が一覧になって掲載されています。
絞 首 刑 東条 英機 (65.東京) 陸軍大将、陸相、内相、首相、陸軍参謀総長
絞 首 刑 廣田 弘毅 (71.福岡) 駐ソ大使、外相、首相
絞 首 刑 松井 石根 (71.愛知) 陸軍大将、中支派遣軍総司令官
絞 首 刑 土肥原賢二 (66.岡山) 陸軍大将、在満特務機関長、陸軍航空総監
絞 首 刑 板垣征四郎 (64.岩手) 陸軍大将、満州国軍政部最高顧問、陸相
絞 首 刑 木村兵太郎 (61.埼玉) 陸軍大将、陸軍次官、ビルマ派遣軍司令官
絞 首 刑 武藤 章 (57.熊本) 陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固刑 木戸 幸一 (60.山口) 文相、内相、厚相、内大臣
終身禁固刑 平沼騏一郎 (82.岡山) 首相、枢府議長
終身禁固刑 賀屋 興宣 (60.広島) 蔵相
終身禁固刑 嶋田繁太郎 (66.東京) 海軍大将、海相、軍令部総長
終身禁固刑 白鳥 敏夫 (62.千葉) 駐伊大使
終身禁固刑 大島 浩 (63.岐阜) 陸軍中将、駐独大使
終身禁固刑 星野 直樹 (57.東京) 満州国総務長官、内閣書記官長
終身禁固刑 荒木 貞夫 (72.福岡) 陸軍大将、陸相、文相
終身禁固刑 小磯 國昭 (69.山形) 陸軍大将、朝鮮総督、拓相、首相
終身禁固刑 畑 俊六 (70.福岡) 元帥、陸相、支那派遣軍総司令官
終身禁固刑 梅津美治郎 (67.大分) 陸軍大将、関東軍司令官、陸軍参謀総長
終身禁固刑 南 次郎 (73.大分) 陸軍大将、陸相、朝鮮総督
終身禁固刑 鈴木 貞一 (61.千葉) 陸軍中将、企画院総裁
終身禁固刑 佐藤 賢了 (54.石川) 陸軍中将、陸軍省軍務局長
終身禁固刑 橋本欣五郎 (59.福岡) 陸軍大佐、大政翼賛会創設者
終身禁固刑 岡 敬純 (59.東京) 海軍中将、海軍省軍務局長、海軍次官
禁固廿年 東郷 茂徳 (67.鹿児島)駐独・駐ソ大使、外相
禁固七年 重光 葵 (62.大分) 駐英・駐華大使、外相
東郷、重光の禁固は罪状認否の日(昭和21年5月4日)より起算
松岡 洋右 (山口) 満鉄副総裁、外相 →判決前に死亡
永野 修身 (高知) 元帥、軍令部総長 →判決前に死亡
大川 周明 (山形) 国家革新運動指導者→精神異常により起訴取消
そしてこの絞首刑の判決を受けた者たちの減刑訴願を
アメリカの最高裁判所に働きかけるのですが、
結果は……却下、でした。
極東国際軍事裁判所は、
ダグラス・マッカーサー元帥によって設立されたものであり
アメリカの裁判所は、その判決を破棄したり
刑を執行したりする機能を持たないため、却下となったのです。
チャーリー田宮も、天羽賢治も、その結末に愕然とします。
裁判は終わった、と全ての肩の荷を下ろして
せいせいしているチャーリーとは違い、
賢治は、自分も戦争に加担したひとりとして
絞首刑者たちと同じことをやってきたんだ、と自分を責め続けます。
山崎豊子 作『二つの祖国』より
〜祖国は 緑なる山河 あたたかくもやさしき母なる大地〜
脚本:市川 森一
音楽:林 光
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:外山 雄三
演奏:ワークショップ84
考証:樋口 清之
:猿谷 要
擬斗:車 邦秀
協力:トーヨー・ミヤタケ・スタジオ
:加州東京銀行日米資料室
衣裳考証:小泉 清子
:織田 稔子
方言指導:飯田 テル子
──────────
[出演]
松本 幸四郎 (天羽賢治)
大原 麗子 (三島典子)
多岐川 裕美 (天羽エミー)
柏原 芳恵 (天羽春子)
堤 大二郎 (天羽 勇)
ヒロコ・グレース (マリアン)
ジェームス・ウィルホイット (リーガン大尉)
デニス・マタイアス (パル判事)
壇 まゆみ (久我山玲子)
バーバラ・ノード (オルソン夫人)
かとう かずこ (井本広子)
手塚 理美 (マリー田宮)
矢崎 滋 (伊佐新吉)
渡辺 謙 (楠田 武)
津嘉山 正種 (林通訳)
石田 太郎 (田島通訳)
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沢田 研二 (チャーリー田宮)
島田 陽子 (井本梛子)
鶴田 浩二 (東郷茂徳)
山本 昌平 (暴漢)
酒井 美智子 (女)
岡田 二三 (アーサー)
国際プロ
鳳プロ
早川プロ
劇団いろは
トラック・ワン
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矢崎 滋 (伊佐新吉)
かとう かずこ (井本広子)
津島 恵子 (天羽テル)
児玉 清 (島木文弥)
三船 敏郎 (天羽乙七)
西田 敏行 (天羽 忠)
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制作:近藤 晋
美術:斉藤 博己
技術:門上 猛
効果:山本 浩
照明:小野寺 政義
カメラ:三浦 国男
音声:土居 均
記録・編集:高室 晃三郎
演出:村上 佑二
昭和23(1948)年12月23日 午前0時、巣鴨拘置所。
「大日本帝国、万歳!」「天皇陛下、万歳!」
という声が響き渡る中、牢の中で手を合わせる東郷茂徳。
午前0時35分、処刑終了──。
賢治は、8月6日に広島に行き井本梛子を見舞ったことを、
CIC思想調査でアメリカ軍に詰問されます。
梛子はアメリカで生まれ、アメリカの教育を受けた日系二世であり
戦時交換船により広島入りして原爆に遭遇しました。
自分はアメリカの敵だったんだろうか……そう問いかけながら
原爆による白血病で死んでいった梛子。
アメリカ合衆国は、このような酷い過ちを
二度と繰り返してはならない、と賢治はそう主張します。
12月23日の処刑の後、
家族でさえ見送られずに世を去って行った人たちを
せめて自分が、陰ながら見送りたくて
横浜の久保山火葬場にも足を運んだ賢治は、
その遺灰をひとまとめにしてしまうなんてことをせず
どうして遺族に渡してやらないのか、と批判を続けます。
「今の言葉は合衆国への忠誠心を疑わしめるものだ」
そう言われてもなお、賢治の主張は続きます。
自分はアメリカに忠誠を誓って両親の祖国日本に銃を向けたのに
それでもなおアメリカは自分を疑い、尾行し、
身辺調査して忠誠心に疑いを持ち反米の烙印を押す。
自分の誇りがこれ以上傷つけられることに堪えられないわけです。
昭和24(1949)年1月。
前年の年末に天羽 忠とともに鹿児島に里帰りした賢治は、
お正月を鹿児島で過ごし、いまは東京ゆきの汽車の中です。
*鹿児島に帰る前、賢治は
島木文弥を仲介役に東郷茂徳と面会します。
東郷は、賢治の頑張りを認めて頭を下げます。
もう、自分のことは何も気遣う必要はないんだよ、と。
「よく頑張ってくれた。礼を言う」
という言葉を胸に抱いた賢治ですが、
賢治は列車内で父に宛てた手紙をしたためます。
忠はかつて、ロサンゼルスにいた賢治と会わせるために
運命の女性・三島典子と入籍して
夫婦でアメリカに渡るという事情で竜田丸に乗り込みましたが、
情勢悪化により、横浜に引き返して渡米できませんでした。
忠と典子は、未だに夫婦という形なのです。
忠は、お互いに好きな人ができていざ結婚したくても
すでに結婚している形なので、新たに結婚できません。
尋ね人などに典子の情報を送っているのですが、応答がありません。
でも、もし典子に相手がいなかったら
籍はそのままにして、自分と一緒に暮らして欲しい。
そう言うつもりでいます。
忠とは広島で別れ、先に東京に帰っててもらい
賢治は広島で下車して、
井本広子と一緒に梛子の墓参りをします。
父の虎造と並んだ、梛子の墓。
ふと、梛子の声が聞こえてきます。
──ケン、どうか
父なる国・日本と母なる国・アメリカとの
国の架け橋として生涯を全うしてください。
そのようなあなたと人生を分かち合えなかったこと
悲しく心残りに思います──。
東京に戻った賢治は、
なぜこんな愚かな戦争を起こしたんでしょう、と
疑問をパル判事にぶつけてみます。
パルは、敗戦国の指導者のみに
責任を押し付けるのは間違い、とした上で
恐らく妄想のなせる業、という言い方をします。
そして世界中の多くの指導者がこの妄想にとらわれ
自分を世界の中心に置きたがる、と。
その妄想は誰のこころにもあり、もちろん賢治の中にもある。
だからこそ、戦争になる、と穏やかに語ります。
賢治は納得したのか、何度も頷いています。
チャーリーは、婚約者とデートらしく
雨の中を婚約者の元に急ぎますが、
途中の道で逃げる女を男が追い、
殴りつける場面に遭遇します。
急いでいるんだ、どいてくれないか、と男の肩を叩き、
そのスキに女は逃げていきますが、
余計なことをしてくれた、と男は標的をチャーリーに変え
ふたりは殴り合いの大げんかです。
男を突き飛ばし、やれやれといった感じで
チャーリーは雨つぶを払いますが
その時、男はナイフでチャーリーを刺します。
重傷を負いながらも車を運転するチャーリーですが
ハンドル操作を誤り、振り落とされてしまいます。
「最後までJAPか……今日は……アンラッキーだぜ……」
天羽エミーとアーサーが、
一足先にアメリカに帰ることになりました。
エミーのアルコール中毒はすっかりなくなり
とても素晴らしい妻、とても素晴らしい母となっています。
港で見送る賢治、客船の上から手を振るエミーとアーサー。
幸せになってくれ……そう願う賢治です。
天羽商会に、ある人が現れました。
忠が探しあぐねていた典子です。
典子は離婚届を忠の前に出します。
「ご迷惑をおかけしてきました。
二度とお会いすることはないと思います」
出征する忠に、何もしてあげられなかったことだけが心残りで
忠の無事を一生懸命に祈っていた典子。
もともと一人だったのに、こうして籍を抜くと
何か寂しい思いがめぐってきます。
「東京裁判のあった場所を、この目で見ておきたいんです」
賢治とはもう会うこともないでしょう。
でも、東京裁判の模様は、典子はラジオで欠かさず聞いていました。
忠と一緒に、見ておきたいそうです。
頷く忠と、雨の中をふたりで歩いていきます。
極東国際軍事裁判所が設置されていた
市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂。
扉が開かれると、賢治が立っていました。
2年半にわたって繰り広げられた裁判の様子が
賢治の脳裏に蘇ります。
賢治の右手には拳銃が。
無表情のまま、引き金を引く賢治。
響き渡る銃声──。
──新年、おめでとうございます。
私は今、鹿児島の叔母上の元で
忠とともに日本の正月を迎えています。
叔母上にはご機嫌麗しく
三人で元旦の屠蘇(とそ)を祝えたことを
とても喜んでくださいました。
私たちにふるさとの味を楽しませようと
細やかな心配りをしてくださり、
今さらながら、叔母上の変わらぬ言上と
ご恩の深さを身に沁みて感じております。
長らくご心配をおかけしておりましたが
忠との仲は、正月をともに鹿児島で
過ごせるようになったことを思ってご賢察ください。
そして、これまで父上にご心配をおかけした不幸をお許しください。
忠は、いったん日本の軍隊に入って戦ったからには
多くの戦友の霊を弔う気持ちも込めて、
アメリカ国籍の回帰願いは出さず
日本人として生きていく決心をしています。
もちろん、アメリカへの渡航が自由になれば
真っ先に父上母上の元に駆けつけ
その折に孝養を尽くさせていただくと申しております。
この手紙が着く頃には、父上も
元のリトル・トーキョーに戻っておられることと存じます。
そしてエミーとアーサーもそちらに着くことと思います。
アーサーはわずか2年の日本滞在でした。
片言の日本語や唄も覚えました。
父上の日本語もアーサーには通じるはずです。
父上、私はこの2年半の東京裁判で
自分自身を見つめてきました。
そして、その裁判が終了した今
私のさまざまな思いもひとつの終着点に達しようとしています。
戦争は人類最大の罪です。
国家の生存の手段を武力に訴え、
戦争を主導した人々は誰に裁かれる以前に
神の名の下に自らを裁くべきです。
同様に、同じ時代に生きながら戦争を阻止できなかった人々も
戦争をやめさせることに命を賭すことができなかった人々もまた
同じ責任を負わなければなりません。
軍人の薫陶に屈し、特高警察の拷問を恐れ
マンザナールの収容所でも誰の力にもなれず、
ミネアポリスの日本語学校では
多くの若き二世たちを戦場へ送りました。
フィリピン戦ではついに弟に向けて銃を撃ったこの私は
自分に対して有罪を宣告しなければなりません──。
── 完 ──
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