大河ドラマいだてん 東京オリムピック噺・[新] (01)夜明け前
5年後のオリンピックで東京に招致することができるか
西ドイツのミュンヘンで行われるIOC総会を2週間後に控え
このころの日本は建設ラッシュで
方々の道に慢性的な渋滞を引き起こしています。
昭和34(1959)年5月、東京日本橋──。
1台のタクシーが日本橋を左折したところ
スッスッハッハッ……とリズム良く呼吸をしながら
白い体操着姿の男が、アッという間に車とすれ違っていきます。
タクシーの乗客である初老の男は、その男をチラと見て
今のおとっつぁん、足袋で走ってたぞ、と
横に座っている娘でマネージャーの女に声をかけます。
「『富久』みてえだな、おい。ハッハッハッ」
その初老の男は、落語家の古今亭志ん生。
そして隣の娘は美津子です。
志ん生は、今からの高座で『富久』をやろうかな、と言い出します。
火事が起きて浅草から芝を走り回るたいこ持ちの噺(はなし)です。
IOC総会でスピーチをする予定だった北原が
運動会で転んでアキレス腱断裂3ヶ月の重傷となり
日本オリンピック委員会の田畑政治は
2週間後のスピーチに間に合わないと困り果てますが、
岩田はその代役として平沢和重を推薦します。
平沢は外交評論家でジャーナリストです。
平沢はスピーチを立派に成し遂げ、
デトロイト10票、ウィーン9票、ブリュッセル5票と抑え
東京は34票も集めて
昭和39(1964)年のオリンピック開催を勝ち取ります。
作:宮藤 官九郎
音楽:大友 良英
題字:横尾 忠則
噺(古今亭志ん生):ビート たけし
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団
テーマ音楽指揮:下村 竜也
テーマ音楽編曲:工藤 直子
演奏:大友良英スペシャルビッグバンド
:芳垣安洋オルケスタ・ナッジ!ナッジ!
タイトルバック画:山口 晃
タイトルバック製作:上田 大樹
劇中地図製作:武藤 文昭
スポーツ史考証:真田 久
:大林 太朗
風俗考証:天野 隆子
撮影協力:熊本県
:日本スポーツ協会
:日本陸上競技連盟
:日本水泳連盟
:講道館
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[出演]
中村 勘九郎 (金栗四三)
阿部 サダヲ (田畑政治)
生田 斗真 (三島弥彦)
杉咲 花 (シマ)
満島 真之介 (吉岡信敬)
山本 美月 (本庄)
近藤 公園 (中沢臨川)
武井 壮 (押川春浪)
ニコラ・ルンブレラ (クーベルタン)
映像提供:日本オリンピック委員会
:資料映像バンク
:国立映画アーカイブ
:記録映画保存センター
:ジョン・E・アレン
資料提供:長谷川 孝道
:筑波大学
:絵葉書資料館
:玉名市立歴史博物館
:和水町
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森山 未来 (美濃部孝蔵(語り))
神木 隆之介 (小松)
橋本 愛 (小梅)
峯田 和伸 (清さん)
川栄 李奈 (知恵)
小泉 今日子 (美津子)
辻 萬長 (加納久宜)
春海 四方 (小笠原文部大臣)
岩井 秀人 (北原秀雄)
角田 晃広 (タクシー運転手)
嶺 豪一 (福田源蔵)
前原 滉 (平田)
ディティエ
宇野 けんたろう
当 来庵
吉田 亮
小平 伸一郎
松角 洋平
大津 辱英
前山 浩一
隅田 晴行
春風 刀
所沢 きょう
ネルゾンかおる
瑳川 菜香
鈴木 敦子
池田 万里子
浦野 英紗
花柳 文華
児玉 陽子
山本 大将
白須 今
崖 光
渡辺 雅絃
吉永 典子
岩崎 鞠子
鎌田 風水
山田 崇
太田 靖子
橋内 幹
ストームライダー
劇団ひまわり
劇団東俳
テアトルアカデミー
クロキプロ
エンゼルプロダクション
キャンパスシネマ
NHK東京児童劇団
劇団いろは
セントラル
星野 源 (平沢和重)
松坂 桃李 (岩田幸彰)
松重 豊 (東 龍太郎)
撮影協力:茨城県 つくばみらい市
:千葉県 千葉市
: 木更津市
: 九十九里町
:静岡県 掛川市
:三重県 桑名市
:スウェーデン ストックホルム市
:龍谷大学
:清泉女学院
:諏方神社
:九十九里町漁業協同組合
衣装コーディネート:宮本 まさ江
VFXスーパーバイザー:尾上 克郎
VFXプロデューサー:結城 崇史
所作指導:橘 芳慧
マラソン指導:金 哲彦
落語指導:古今亭 菊之丞
寄席指導:橘 右樂
芸能考証:友吉 鶴心
陸上競技指導:大山 卞 圭悟
ダンス指導:近藤 良平
:木下 菜津子
馬術指導:田中 光法
英語指導:塩屋 孔章
フランス語指導:杉浦 愛力
車夫指導:梶原 浩介
柔道指導:鮫島 元成
兵式体操指導:木下 秀明
茶道・華道指導:井関 宗脩
アクション指導:舟山 弘一
明治ことば指導:香日 ゆら
道路工事指導:石川 一彦
測量指導:山下 正一
書道指導:金敷 駸房
──────────
杉本 哲太 (永井道明)
小澤 征悦 (三島弥太郎)
古舘 寛治 (可児 徳)
平泉 成 (大隈重信)
竹野内 豊 (大森兵蔵)
役所 広司 (嘉納治五郎)
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制作統括:訓覇 圭
:清水 拓哉
プロデューサー:岡本 伸三
:家冨 未央
美術:山口 類児
技術:加藤 貴成
音響効果:島津 楽貴
撮影:生駒 浩之
照明:牛尾 裕一
音声:高山 幹久
映像技術:原 幸介
VFX:石原 渉
演出補:北野 隆
製作補:妹尾 昌紀
企画開発:渡辺 直樹
編集:大庭 弘之
記録:森 由布子
美術進行:森 大輔
特殊:木ノ島 勲
装飾:大坂 和美
衣装:斉藤 隆
メイク:馬場 五大
演出:井上 剛
昭和35(1960)年──。
東京浅草の、街頭に設置された白黒テレビには
古今亭志ん生の高座が映し出されていました。
テンポ良く、来たる東京オリンピックの噺を進める志ん生が
日本人が初めてオリンピックに出たのは……と言ったところで
ひとりの観客が手を上げて「マラソン!」と大声で答え
「間が悪い割には頭いい!」と志ん生なりの返しで笑いが起こります。
この志ん生、実はオリンピックを少しだけかじったことがあるようで
50年ほど前の時代を語り始めます。
明治42(1909)年──。
質屋から出てきた嘉納治五郎が、車夫の源さんに
お堀端のフランス大使館まで走ってくれ、と依頼します。
治五郎は、世界でも知られる柔道の創始者にして
日本スポーツの父とも呼ばれる人物です。
ついでながら、その側で寝っ転がっていたのが
本名美濃部孝蔵、後の志ん生であります。
そして治五郎がフランス大使館に呼び出され
駐日フランス大使のジェラールに言われたのは
近い将来、オリンピックに参加してみませんかとの
お誘いだったのです。
当時の日本は、日清戦争と日露戦争で大国相手に勝ち続けた
まさに“アジアの雄”、“神秘の国”でありまして、
近代オリンピックの創始者・クーベルタン男爵が
「オリンピック参加のために日本を動かせる人物は誰なのか」と
適任者を捜したところ、嘉納治五郎の名前が挙がったそうです。
適任者、と言われてずいぶん機嫌のいい治五郎は
自身が校長を務める東京高等師範学校に戻り
可児 徳(かに・いさお=助教授)にオリンピックのことを話します。
可児は、よく分からないまま「スポーツですなぁ」と笑っていますがw
賛同者を募りたい治五郎は、文部省からスウェーデンに派遣され
帰国したばかりの教授・永井道明に会います。
次回の第5回オリンピックは、スウェーデンのストックホルムが
開催地なので、それも見て来た永井は好都合なのです。
しかし永井は、日本人がオリンピックに参加できるのは
50年早い、と厳しい表情です。
日本人は身体ができてないのです。
欧米人なみに強靭な肉体を持つ日本男児の育成が必要だ、と。
昨年、ロンドンオリンピックを見て来た永井が言うには、
ドランドの悲劇……明治41(1908)年7月24日、
マラソンという25マイルの長距離をひた走る競技で
イタリア代表のドランド・ピエトリは、トップでスタジアムに入るも、
その日は猛暑で、極度の疲労と脱水症状から意識もうろうとなり
ゴールとはてんで反対の方に走り出し
ドランドは4回も意識を失い、その度に抱え上げられ
死に体でゴールテープを切った……という話です。
走る意志のない者を寄ってたかって引きずり回しゴールに押し込める。
勝ち負けにこだわる人間の醜さを、そして競技スポーツの弊害を
見た気がした、と永井は力説するのです。
「肉体的に未熟な日本人が走ったら、死人が出ますよ!」
「勝つ確証のない者に金は出さない!」
諦めきれずに文部省に掛け合った治五郎は、
小笠原文部大臣に一喝され、
日本体育会の加納久宜には、
スポーツではなく今の日本に必要なのは
健康な肉体を授ける体育であると
治五郎の提案をにべもなく断ります。
千駄ヶ谷の三島弥太郎(横浜正金銀行副頭取)邸に赴いた
治五郎は、早稲田大学創始者の大隈重信と対面しますが、
大隈は、治五郎の考え方は
今のご時世では異端であろうといい顔はしません。
そして弥太郎にもすでに600円の借金がある治五郎ですが
更なる融資を求めようとしますが、
弥太郎はスポーツが大嫌いなので、話には乗りません。
そこに現れたのが、弟の弥彦。
彼は兄のスポーツ嫌いの分を受け取って
無類のスポーツ好きときております。
作家の押川春浪を中心に、京浜電鉄の中沢臨川、
早稲田のヤジ将軍こと吉岡信敬、そして弥彦など
帝大、早稲田、慶應などのトップエリートが顔を連ねる
「天狗倶楽部」ですが、
治五郎の目指す“楽しいスポーツ”をはき違えて
わいわい騒いで酒をあおるだけの集団としか
治五郎の目には映らなかったようです。
治五郎は、永井の言うように
日本人がオリンピックに参加するのは時期尚早か、と
半ば諦めかけたとき。
オリンピックを見るための素晴らしいスタジアムの図面と
オリンピックのポスターを見た時、
治五郎の心の中に、何としてもオリンピックに参加したいと思い直し
オリンピック参加のお誘いを受けると返答してしまいます。
こうして治五郎は、アジア人初のIOC委員となり
日本のオリンピックの歴史が始まったのでした。
昭和35(1960)年──。
東京日暮里の志ん生の自宅に
ある青年とチャラチャラした女が訪ねてきました。
先月、母を無くした青年・小松は、遺品を整理していたら、
“志ん生の『富久』は絶品”と書かれた
満州にいる父が母に送ったはがきを見つけ、
その『富久』が面白かったら弟子にして欲しいと言うのです。
明治43(1910)年10月──。
オリンピックに向けて治五郎が何やら勝手に動き出します。
オリンピックのエントリーシートが届き、
「日本体育協会」なる団体を設立したわけです。
当然、永井や加納も勝手に理事にされています。
あくまで反対の立場を崩さないふたりですが、
スポーツに面白さは不要である、とか勝ち負けにこだわるのは下だ、とか
参加の意義はどこに? とか、いろいろこだわっているのは
むしろふたりの方かもしれません。
国を背負ってだの、負けたら切腹だの、そういう話ではありません。
平和のための真剣勝負、相手を認めた上で勝とうとする。
それが分からないとは、ふたりはスポーツマンではない……。
「これを逃したら、4年待たんと次はないんだぞ!」
治五郎は、紙に大きく“大”と書き、付け足して
団体名を「大日本体育協会」とすることにし、
ストックホルムオリンピックに参加すべき代表選手の
選抜予選会を、京浜電鉄が所有する羽田地区で開くことにします。
永井は未だに反対ですが、京浜電鉄の線路沿いに走って行けば
駅ごとに救護班を設置でき、情報は駅の電話で伝達できると説得して
ぐうの音も出ない永井は、納得せざるを得ませんでした。
明治44(1911)年11月19日──。
広大な敷地を整備して
400メートルトラックを有したグラウンドでの
未曾有の大運動会当日。
しかしマラソンの予選がスタートして降り出した雨が止まず
落伍者が5名、8名、13名と増え続け
救護班からも医者が足りないとの訴えがあります。
責任問題ですよ、これは羽田の悲劇ですよと
永井は治五郎に迫りますが、
グラウンドの端に、人影を見つけた治五郎は
望遠鏡でその影を見つめます。
「来た! 誰か来た! 韋駄天だ!!」
ゼッケン51番の、金栗四三(かなくり・しそう)。
韋駄天は、足袋を履き、
頭から血を流しながら(紅白の帽子の塗料が雨で顔に流れている)
現れたのです。
彼こそ、この「オリムピック噺」の主人公であります。
そんな彼を、雨の中、治五郎はゴールで出迎えます。
昭和35(1960)年──。
雨の中だったので聞こえませんでしたが
きっと治五郎は、こうおっしゃったでしょうな。
金栗くん、君こそ世界に通用する韋駄天だ……。
「不可能を可能(嘉納)にする男だ」
志ん生が頭を下げ、拍手喝采の中
高座が終わります。
※この物語は史実を基にしたフィクションです※
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『いだてん』
第2回「坊っちゃん」
デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
BS4K:午前9時〜
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