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2019年2月10日 (日)

大河ドラマいだてん 東京オリムピック噺・(06)お江戸日本橋

マラソン世界記録保持者の金栗四三。

予選会の時に履いた足袋が走りにくかったと言って
足袋を作った播磨屋の黒坂辛作を怒らせてしまいますが、
同じく、播磨屋の足袋を愛用している清さんがたまたま通りかかり、
謝りたいという四三との仲を取り持ってくれます。

その謝罪の言葉が終わるか終わらないかのうちに
不機嫌そうな表情の辛作は、ポイッと足袋を放り投げます。
「履いてみな」

見れば、底の布が3枚重ねで縫ってあります。
しかも、四三の足に合わせてサイズの微調整もしてくれています。
試し履きした四三は、今にも走りたくてうずうずするほどの
このフィット感がたまらないわけです。


羽田での予選会から1ヶ月、明治44(1911)年12月。
“ライトマン(適任者)”こと嘉納治五郎は、決断を迫られていました。
ストックホルムオリンピックに出場する選手を選抜する段階なのです。

そんな時、この流れに水をさす新聞記事が出ました。
世界記録から22分も早いという記録に異議を唱えたのです。
これは距離の誤測か? 時間の誤測か?

大日本體育協会としては、距離も時間も正確だとの立場です。
治五郎は、四三の記録が素晴らしいものであると証明するためにも
なおオリンピック出場に意欲を燃えたぎらせ、

予算を組む可児 徳が出場選手をひとりと絞ったので、
治五郎は優勝者の四三を呼び出し、予選会の結果を元に
四三を日本代表としてストックホルムに
派遣することが決まったと正式に伝達しますと──。

「行きとうなかです」

世界記録が何時間何分で、そもそも羽田の予選会が
そんな大きな大会の予選会であったことすらしらなかった四三は
日ごろの走りの成果を試してみようと思って出場しただけで
何もオリンピック大会に出たいと思ったわけではありません。

そもそもオリンピックって……何?(笑)
敬愛する治五郎先生の機嫌をすっかり損ねてしまいます。


一方、200mや400mなどの短距離種目で優勝した
三島弥彦の自宅に赴き、ストックホルムへの出場を打診しますが、

予選会は審判員として参加しながら、ついつい熱くなって出ただけで
ストックホルムに渡るつもりもありません、と断られてしまいます。
特に卒業年である弥彦は、文部省のお偉方からも
かけっこにうつつを抜かすなと釘を刺されていたのです。


清国では、革命派の反乱により
ラストエンペラーこと皇帝溥儀が対立。
『辛亥革命』が勃発、皇帝制度が崩壊し、
清国内は大混乱に陥ります。

たちまち母国からの送金は途絶え、
清国からの留学生は帰国させろと騒ぎますが、
治五郎は、学費はすべて私に任せろ! と言って
その後ろにいた可児が卒倒してしまいます。

この時の借金は数億円。
治五郎は生涯、この借金を返せなかったといいます。


予選会の優勝トロフィーを返却しに来た四三。
治五郎は改めて、四三にオリンピック出場を打診しますが
予算がないからか、どことなく力のない治五郎です。

しかし力のない分、諭すように話を続けます。
日本のために、キミしかいない、と
敬愛する治五郎先生が頭を下げられると
四三はもういたたまれなくなってしまいます。

「金栗は行きます! 行って精一杯走ってきます先生! 」
涙をポロポロ流して、話を受けます。

しかし、もう予算がない治五郎は四三に自費での渡航を提案します。
予選会前には、渡航費はすべて協会持ちという話でしたが
それが四三を責任やら何やら追い込んでいるのではないかと言うのです。
自費で行けば、勝っても負けても四三の勝手なので、身軽ではないかと。

そぎゃんですね! と納得して帰る四三です。

とはいえ、滞在5ヶ月、どんなに切り詰めても
滞在費は1,800円はかかると教えられ、
1ヶ月ぶりの故郷の手紙では、
現状を包み隠さず書くことにします。

その手紙を投函してしまった四三は、
予餞会が開かれた羽田競技場で、ひとり走り続けます。


昭和35(1960)年、東京・芝。

その四三が走り続けた羽田競技場が羽田空港となり、
東京オリンピック組織委員会の事務総長・田畑政治や
組織委員の岩田幸彰、東京都知事・東 龍太郎の乗ったタクシーが
羽田空港から芝の道上で渋滞にハマり、身動きが取れません。


明治45(1912)年、
22歳の美濃部孝蔵(後の古今亭志ん生)は
橘家円喬の弟子となって俥を引いていました。

当時の円喬は、上野、浅草、人形町、日本橋と
4軒も寄席をはしごする売れっ子噺家でして、
孝蔵はすべて円喬を乗せて走っていたのですが、

「何のために浅草と日本橋の間を行ったり来たりしてんだい」
噺は耳で覚えず足で覚えろと円喬に言われます。
浅草と日本橋、一緒に歩いてみないと
落語の登場人物の気持ちなんて分かりやしないのです。


そのころ、四三は播磨屋の辛作と清さんと
ストックホルムオリンピック出場のための練習のアイデアを出します。
普段四三が走っているエリアは坂道が非常に多いため
足袋がいくらあっても足りないのです。

どうせなら、本番に近い環境で走った方がよかろうと
ストックホルムはどんな町か聞いてみますと、石畳だそうです。
そこで清さんは、上野から浅草、人形町、日本橋、
さらに銀座から新橋、芝につながる練習ルートを思いつくわけです。

とにかく四三は毎日そのルートを走り続けます。
芝に着けば折り返して、日本橋、浅草方面へ。


そのころ、熊本の金栗実次のところに
四三が送った手紙が到着していました。


※この物語は史実を基にしたフィクションです※


作:宮藤 官九郎
音楽:大友 良英
題字:横尾 忠則
噺(古今亭志ん生):ビート たけし
──────────
[出演]
中村 勘九郎 (金栗四三)
阿部 サダヲ (田畑政治)
生田 斗真 (三島弥彦)
杉咲 花 (シマ)
勝地 涼 (美川秀信)
──────────
森山 未来 (美濃部孝蔵(語り))
神木 隆之介 (五りん)
峯田 和伸 (清さん)
川栄 李奈 (知恵)
松尾 スズキ (橘家円喬)
──────────
中村 獅童 (金栗実次)
松坂 桃李 (岩田幸彰)
松重 豊 (東 龍太郎)
──────────
杉本 哲太 (永井道明)
ピエール 瀧 (黒坂辛作)
シャーロット・ケイト・フォックス (大森安仁子)
古舘 寛治 (可児 徳)
白石 加代子 (三島和歌子)
竹野内 豊 (大森兵蔵)
役所 広司 (嘉納治五郎)
──────────
制作統括:訓覇 圭・清水 拓哉
プロデューサー:家富 未央・浅沼 利信
演出:西村 武五郎


◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『いだてん』
第7回「おかしな二人」

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
BS4K:午前9時〜

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