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2019年5月 5日 (日)

大河ドラマいだてん 東京オリムピック噺・(17)いつも2人で 〜夫婦で大発明! 駅伝の誕生 その秘話〜

「オリムピツク開催は 欧州戦争により無期延期」
大正4(1915)年6月、新聞紙上において
ベルリンオリンピックの無期延期が報じられます。
欧州戦争の長期化が原因でした。

 

ベルリンオリンピックに向けて
懸命の練習を続ける金栗四三は、
大日本体育協会の嘉納治五郎に呼び出されます。
「オリンピックは中止だ! 無期延期! 無念!」

 

部屋の壁に貼付けた、気持ちを鼓舞する走り書きも
今の四三には邪魔であって仕方ありません。
感情に任せてはぎ取り、細かくちぎって悔し涙を流します。

 

スヤは中止の新聞報道を見るやいなや
幾江に東京行きの許可をもらいます。
「スヤとマラソン、どっちが大事か聞いてみなっせ」
連れて帰って来い、と幾江はスヤの背中に語りかけます。

 

スヤが下宿先の播磨屋にたどり着いた時、
日本各地に教員として赴任している、
東京高等師範学校の卒業生たちが
落ち込む四三の様子を見に来ていました。

 

俥屋の清さんも心配で駆けつけているのですが、
日本代表の四三が腐ってしまったら、
日本人全員が腐ってしまうんだぞ、と激励します。

 

四三は、ベルリンまでという約束のもとで
援助をもらい、それを目標に走り続けて来たのです。
ベルリン大会という目標を奪われてしまった今、
もう走れない、というのが本音です。

 

清さんや卒業生たちの垣根の後ろで黙って聞いていたスヤは
井戸のところに四三を引きずって行き、水を浴びせます。
「こん人、水ばぶっかけると大人しゅうなりますけん」

 

それを見つめていた清さんの頭の中に、
ひとつの疑問が浮かび上がります。
……誰?(笑)

 

 

熊本に帰りませんか? とスヤは四三に勧めますが
四三はあまり乗り気ではありません。
オリンピックがなくなったといえども、
走るのをやめたくないわけです。

 

スヤは黒坂辛作に自転車を借り、
四三のランニングに付き合います。

 

 

四三を励ましに各地から集まった卒業生と清さんですが
先ほどの、四三の頭から水を浴びせた女性の話で持ち切りです。
寄宿舎でも賄いの50代女性と話しているところしか見たことがなく
若い女性であればなおさらです。

 

熊本弁をしゃべっていて、
いきなり団子を持って来ていたということは、妹?
ともかく、四三に結婚話が出てきたとしら、
この世の終わりだ、と清さんは笑っています。

 

 

四三には四三の悩みがあるようで、いつまで走れるか、
引退した後の身を振り方などを考えておかなければなりません。
スヤも、もし子どもができたら……と言いかけますが、
四三の頭の中には、子どもができたらなんて選択肢はありません。

 

「金栗四三が50人おったら、よかばってんね」
ムニャムニャ、とスヤは眠ってしまいます。

 

50人? 50人! ばばば! と起き出した四三は
翌朝、治五郎のところに赴きます。

 

もしも金栗四三が50人いたら、50倍の距離を走れる。
ひとり10km走れば合計で500km、東京から大阪の距離です。
ひとりでは無理な距離でも、50人いたら可能な距離です。

 

マラソン競技がはやらない理由に、孤独というものがあります。
しかし団体競技と捉えて距離を短くし、助け合い、励まし合えば
500kmもの距離でもいけるのではないか。
四三は、その50人を育てるために教員になる、と宣言します。

 

 

大正5(1916)年、四三は神奈川師範に教員として赴任。
四三の新たな挑戦が始まりました。
指導者として練習法や足袋の改良を模索し
寸暇を惜しんで後輩と共に走ったのです。

 

そしてついに、東京・大阪を大勢で走り繋ぐという
夢に向かって動き出しました。

 

大阪の出発点をどこにするか?
治五郎と四三はあれこれと考えていたところ
真後ろのテーブルに座っていた男が
「京都ではだめでしょうか」と立ち上がります。

 

人の会話を盗み聞きしていたのは、読売新聞の
社会部長の土岐善と記者の大村 幹です。
日本の首都が京都から東京に移って50年を記念して
画期的な運動会ができないか、と同じことを考えていたのです。

 

彼らは浅草で、読売新聞の運動部のご意見番に会うというので
治五郎と四三も場所を変えて浅草へ移動します。

 

おう金栗くん! と親しげに声をかけて来たのは吉岡信敬。
天狗倶楽部の一員だった男で、読売新聞に入社したのです。
四三とも、もちろん治五郎とも顔なじみです。
まぁ、治五郎はあまりいい印象を持っておりませんが(笑)。

 

どうせなら、東海道五十三次のルートに乗って
京都から東京まで向かうというのもおもしろいかもしれません。

 

そんな会話がなされている間、富士山から目線を落とし
遊んでいる土地に目をつけた治五郎は
新たな目標を見つけ、闘志を燃やし始めます。
いつの日か東京でオリンピックを開けるように
世界に誇れる競技場を作るのだ、と。

 

 

さっそく理事会に諮る治五郎ですが、
そんなに走ってどうするの、という反対意見が相次ぐ中
東海道五十三次の宿場、つまり駅を伝って行くということから
「駅伝」と名称が決まり、実行に向かってゆっくりと歩き出します。

 

熊本に連れ帰るつもりで東京に出てきたスヤですが、
四三に好きなときに来て好きなだけおってよか、と言われれば
ずっと東京にいるに決まっているわけですが(笑)、

 

そのスヤがたすきがけをして家事をこなしている姿を見て
四三は、たすきを思いつきます。
そして辛作に、たすきの製作と、新たな足袋の改良を依頼するのです。

 

 

大正6(1916)年4月27日、日本初の駅伝レースとなる
『東海道五十三次駅伝』が開幕します。
午後2時、京都三条大橋に号砲がとどろき
関東中部のトップランナーが走り出します。

 

そこから「草津」「水口」「四日市」、
「桑名」から「名古屋」と抜け
「岡崎」「豊橋」「浜名湖」を渡って……。

 

浜名湖では、船に乗って渡ったそうですが
船を漕ぐのは専ら船頭さんなので、選手は何もしていません。
申し訳なさそうにしていたよ、と後の世に田畑政治は語っています。

 

今度は見附で、ランナーがアキレス腱を切ってしまって
棄権するハプニングに、四三は次のランナーの秋葉選手を
見附まで戻し、二区を走らせる指示を出します。

 

さらに、レースを終えた選手は
コース周辺に泊まっていた見物客と一緒に
ゴールを目指して走り続けたというので、
まぁいろいろと変なレースにはなっておりますが(笑)。

 

スタートから44時間、最終走者の金栗四三が
川崎を出発したのは29日午前10時5分。
日本橋には、史上初の駅伝を見ようと駆けつけた
大観衆が10万人を超えます。

 

彼らは走る! 午前11時、日本橋は
歓迎の大観衆が沿道いっぱいに繰り出し、電車は立往生。
世界的快挙、運動史上未曾有の計画、ここに無事実現。
516kmを46人の韋駄天が駆け抜けた──。

 

 

「ご懐妊たい!」
金栗家にズカズカと上がり込んだ幾江は
東京から帰ったスヤを医者に見せたところ
お腹に四三との子供を宿していることが分かったのです。

 

これで四三は東京から熊本へ帰って来る!
池部家は安泰たい! と大喜びの幾江です。

 

 

金栗家からの電報で、スヤの妊娠を知った四三は
「でかした! でかしたー!」と大声を張り上げます。

 

 

※このドラマは、史実を基にしたフィクションです。

 


 

作:宮藤 官九郎
音楽:大友 良英
題字:横尾 忠則
噺(古今亭志ん生):ビート たけし
──────────
[出演]
中村 勘九郎 (金栗四三)
阿部 サダヲ (田畑政治)
綾瀬 はるか (池部スヤ)
杉咲 花 (シマ)
永山 絢斗 (野口源三郎)
満島 真之介 (吉岡信敬)
──────────
森山 未来 (美濃部孝蔵(語り))
峯田 和伸 (清さん)
──────────
中村 獅童 (金栗実次)
宮崎 美子 (金栗シエ)

 

松坂 桃李 (岩田幸彰)
松重 豊 (東 龍太郎)
──────────
杉本 哲太 (永井道明)
三宅 弘城 (黒坂辛作)
永島 敏行 (武田千代三郎)
岩松 了 (岸 清一)
寺島 しのぶ (二階堂トクヨ)
大竹 しのぶ (池部幾江)
役所 広司 (嘉納治五郎)
──────────
制作統括:訓覇 圭・清水 拓哉
プロデューサー:家富 未央・浅沼 利信
演出:一木 正恵

 

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

 

NHK大河ドラマ『いだてん』
第18回「愛の夢」

 

デジタル総合:午後8時〜
BSプレミアム:午後6時〜
BS4K:午前9時〜

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