西鉄200形電車
引退してもう何年になるのでしょう。
西鉄線をむかし走っていた200形電車の
1/1スケール模型(=実物大の実物)の
見学会にお邪魔してきました。
おいらが小学生の頃は、まだ大牟田本線を300形電車が走っていた時代。
学習塾の帰りに、30分ぐらい出るのを遅くすれば、
決まってやってきていた300形電車。
その300形電車に乗りたくて、30分遅く出たいために
塾の先生にありもしない質問をしたり、プリントもらったりして
時間稼ぎをしていたのがまるで昨日のよう。
そして休日には、同じ団地内に住む弟分の少年たちを引き連れて
第3セクター化したばかりの甘木鉄道に乗車体験に行き、
でもおいらの本当の目的は、甘木線内を走る200形電車に乗りたくて
それに乗って帰ってくるという社会科見学?も行い。
それに飽き足らず、親に内緒でひとりこっそりと甘木線に乗りに行っては
あまりの興奮に鼻血をブーと出してしまい
ばれないように血をぬぐっていたところ、
向かいに座るおばちゃんにそっとティッシュをもらったり。
いつものように甘木線電車を待っていると、
丸っこい200形ではなく平べったい60形電車がやってきて
まるで当たりを引いたような幸福感にひたったり。
大牟田本線から甘木線に分岐する宮の陣駅で、
グググイッと急カーブするあの曲線美に
子供ながらに見とれてしまったり。
ツートンカラーの300形、200形の電車には、
そんなKassy少年の「夢」がつまっていたような気がします。
そういった思い出を抱えての、見学会のお話。
一も二もなく飛びつきました。
実はKassy、ジモティなので、この会場は庭のようなもので
これまでも何十、何百往復として見てきたのですが、
200形電車の中に入れるというと話は別なのです。
車両の真横に立ってみると、これまた予想以上にでかいっ!
170cmのKassyがそう思ったのですけど、
Kassy少年は車体の大きさはあまり感じなかった気がします。
これが、ホーム上から見る車体と地面から見る車体の違い、ですよね。
車内に上がらせていただき、シートに腰を落とすと、
少年Kassyの思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡り
金縛りにあったかのように立てなくなってしまいました。
(歩き疲れただけじゃん!という生の声はご容赦)
木のつり革棒から釣り下がる、岩田屋の広告付きつり革、
昔のテレホンセンターの電話番号が入ったステッカー、
室温計があったであろう痕跡、
完全に仕切られていなかった運転席と客室。
そう、間違いなく、まだ10歳のKassyがそこにいました。
運転席に座らせてもらうと、思ったより前に突き出してるな、と感心する一方で
もし踏切内にトラックが現れたら、
一目散に逃げだしたくなっただろうな、と思ったのはナイショ(笑)。
保存車両を所有する社長のおすすめもあり、
車掌業務の一部である扉の開閉も体験しました。
ゴロゴロと引き戸を開け、乗務員室の窓をそっと開けて安全を確認し
ぷしゅー、と音を立ててゴロゴロと引き戸を閉める。
子どものころはだれしも一度は触ってみたかった機能だと思います。
それが今では!
各扉の横に開け閉めのボタンがついている車両も走り出し、
当時のあこがれ、感動が薄れてきてしまっている気もしますが
当時のそうした思い出は、車両がどれだけ進化しても永遠に消えないものですね。
電車を降りる時が、やってきました。
Kassy、この時を楽しみにしすぎて、昨晩は眠れなかったのです。
子どもかっ! というツッコミ、ごもっとも。
だってそうなんだもん。楽しみだったんだもん。
時間にして約2時間半、
まるで時が止まったような感覚さえ覚えたこの見学会が、
静かに幕を閉じました。
振り返れば、暗闇の中にボーッと明かりがともる200形。
今にも動き出しそうな完全な状態で残っていることこそが奇跡。
まだまだ走りたそうな表情をしていました。
ライトアップには、ご近所の方々もお見えになり、
それぞれが懐かしんで思い出話に花を咲かせていました。
この200形は、私たちの思い出話をどんな気持ちで聞いていたのでしょうか。
少なくとも、微笑んでくれていた、と思います。
今回、貴重な体験をさせていただいた社長、
企画の主催者様、同行の皆様、ほんとうにありがとうございました。
またしばらくは目の前の道を行き来するだけの生活に戻りますが、
今度からは「よっ!」と片手をあげ、お礼もかねて挨拶していくことにします。
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