連続テレビ小説おしん・太平洋戦争篇(205)~(210)
昭和14(1939)年、戦争の影は
国民生活にも重くのしかかっていました。
社会主義から転向した浩太が
過去と決別するために並木香子と結婚し、
網元のひさも、石油の統制で家業に見切りを付け
東京の息子のところへ去りました。
京都第三高等学校に進学した雄が
冬休みを利用して帰省してきました。
竜三からの手紙で、工場の開所式を行うから
見に来い、と言われていたのです。
その開所式も無事に終わり、
昭和15(1940)年の新春を家族揃って迎えます。
しかし中国大陸では、蒋介石の戦意が衰え
日本は苦戦を強いられて泥沼の様相を呈していました。
初子は、高等小学校卒業と同時に
3月に山形の実家へ帰らなければならなくなりました。
農村も男手が戦争に駆り出されてしまったら
たちまち人手が不足するわけで、その不足分を
女子どもや老人でカバーするしかないのです。
雄は、初子を山形へみすみす帰して不幸にするよりは
伊勢にいて幸せであればいいじゃないかと訴えます。
おしんは、雄は初子のことが好きなのだと知ったのでした。
そして同時に、初子は雄のことが好きなのだと気づきます。
それは竜三もうすうす気づいていることではありますが、
小作の娘を嫁にとるわけにはいかない、と言うのです。
私も小作の娘、とチクリと刺すおしんですが、言いたいのは
結婚を親に反対されて苦しんできたではないか、ということです。
それを言われると、竜三は返す言葉はないわけですが、
おしんは、今すぐ結婚させようとは言ってはいません。
今のふたりの気持ちを大切にしたいと、別離させるのではなく
なるだけ一緒にいさせて愛情を温めさせたいと考えています。
もしかしたら、ケロッと別の人を好きになるかもしれません。
しかしそれならそれでもいいのです。
やがて冬休みが終わり、雄が京都に帰っていきました。
そのころ、初子は気持ちが不安定になっていて
いきなりおしんに抱きつき、大泣きしています。
心配していたおしんはハッと気がつき、笑顔になります。
今日のご飯は赤飯です。
竜三が血相を変えて家に戻ってきました。
なんでも魚を軍に横流ししたものがいるという投書があったのです。
田倉魚店では、確かに軍に魚を納入していますが、
その余りを並べて売っているわけで、
高値で売りつけたこともありません。
そんなことは軍も承知の上なのですが、
完全にプライドを切り裂かれた竜三は
家族の再起の基盤である魚屋はやめると言い出します。
そんな竜三ですが、今度は縫製工場の話を持ってきます。
それだけ信頼されている証だと胸を張る竜三ですが、
その縫製工場を、おしんに見てもらいたいというのです。
縫製自体は女子工員たちがするし、
かつて田倉商会で洋服を扱っていたこともあるので
さほど難しいことではないとは思うのですが、
女子工員たちの管理、商品管理など一切です。
そうなってくると、おしんが工場を見ながら
家の仕事もやっていくのはとても無理な話なので、
初子にまたお手伝いをお願いすることになりました。
山形のお母さんには、事情を説明し詫びを入れるおしんです。
春、帰省した雄は
実家から荷物が次々と運び出されているのを目撃します。
何事か!? とギョッとした表情を浮かべる雄ですが、
魚屋をやめたのだからこの家にいる道理もなかろうと
もっともっと大きな家に引っ越すことになったのです。
部屋も6つもあり、家というより屋敷の表現が近い物件です。
家賃だってそれ相応に高かろうに、
こんな家に住まわせたかった、と鼻息洗い竜三を見て
おしんは竜三がどんなことで稼いでいるのか不安になりました。
そして引っ越して早々、隣組の集まりがあり
隣組の役割を分かっていない人たちの中から
その役割を認識していた竜三が組長をすることとなり
仕事が一つ、また増えてしまいました。
昭和16(1941)年春、田倉家では
仁と希望が揃って中学校に進学します。
戦時色が濃くなる中で、まだ物に不自由していない
田倉家では戦争の厳しさは遠いものでした。
そんな時、山形から兄・庄治がやってきました。
竜三は、おしんの兄だから粗末にするとバチが当たる、と
高級料理屋で魚をごちそうし、酒もたらふく飲んで
翌朝、庄治は伊勢を発って帰っていきました。
庄治の息子で雄と同い年の定吉を軍隊に取られたことで、
おしんは庄治を通して、戦争の残酷さを
思い知らされることになります。
その年の12月8日も、おしんには普通通りの朝でした。
仁が付けたラジオからは、臨時ニュースとして
帝国陸海軍は8日未明、太平洋沖において
アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入ったと流れてきました。
そのころ帰省した雄ですが、今すぐに戦いに出て
祖国のために死にたいという思い出いることを知ったおしんは
まだおしんが幼女のころに俊作兄ちゃんからもらった
『明星』という本を「読んでみなさい」と雄に貸し出します。
今の若者たちは戦争を賛美する風潮にありながらも、
雄だけは、せめて母親の気持ちを分かっていてもらいたいという
その一念でいたのです。
12月8日のハワイ真珠湾奇襲による
米英との開戦とその赫々たる戦果は国民を狂喜させ
米英打倒に向けて挙国一致体制を作ることに成功します。
米英何するものぞと国民は必勝の信念を持って物資の窮乏にも耐え
『欲しがりません、勝つまでは』と、進んで戦争遂行に参加したのです。
おしんも日本が勝つことを信じ、
精一杯のことをしなければと思っていました。
昭和17(1942)年には、雄は無事に京都帝国大学に入学しますが、
そのころは、太平洋での華々しい戦果が連日報道されて
物資の乏しい暮らしの中でも国民の士気は上がっていました。
しかしそれもたかだか一年余りで、翌18(1943)年には
早くも戦局にかげりが見え始めていました。
雄が突然帰省したのは、ちょうどそんなころでした。
文化系大学生の徴兵延期が打ち切られ、
入隊する覚悟で帰ってきたのです。
おしんは、昔出会った脱走兵の俊作兄ちゃんの話を思い出し
人と人とが殺し合うことはやってはいけないことだ、と
『明星』の中の「君死に給うこと勿れ」を紹介したのです。
おしんだけでも反対しろ、と。
竜三が軍のお世話になることは、子どもたちのためでもあるからと
渋々目を瞑って来たおしんでしたが、
実際、自分の子どもが戦争に駆り出されることなんて
想定していませんでした。
いつだって母さんと一緒だった
酒田で飯屋をしている時も
伊勢で魚の行商をしている時も
母さんの思いは父さんとは違うんだよ──
言葉にならない深い後悔が
おしんの胸を押しつぶしていました。
一人で戦争反対を唱えてもどうにもならないことは
よく分かっていました。
それでも反対しなかった自分を
おしんは責めていました。
作:橋田 壽賀子
音楽:坂田 晃一
語り手:奈良岡 朋子
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[出演]
田中 裕子 (おしん)
並木 史朗 (竜三)
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中村 雅俊 (俊作)
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制作:岡本 由紀子
演出:望月 良雄
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