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2019年10月16日 (水)

「やっとで通った」(前)

いつのころだったか、長姉(7歳上)の
小学校の卒業アルバムを目にする機会があった。


そこに、担任の先生を揶揄した生徒か、あるいは先生自身の自虐か
「あれだけ誘致活動をしたのにバスは来ず」
という意味合いの文言があり、
なんとなく気になりながらもそのまま放置していた。


それから数十年の年月を経て、令和元(2019)年。


ひょんなことで、地元を走るバス路線の
歴史について調べるチャンスを得た。

物音一つ立っていない太宰府市民図書館で
むかしの広報誌を、自分が生まれた昭和50(1975)年(※)から
1ページ1ページめくってみた。
(※)出生地は大野城市です。ご心配なく、大野城市の広報誌も読みました(笑)。


昭和58(1983)年2月1日の広報紙『市政だより太宰府』で
「4月から発車の見通し」の表題とともに
停留所と時刻表が掲載されていた。


昭和58年といえば…オイラは小学2年生の坊主で、
その年の6月からスイミングスクールに通い、
10月からは公文式に通わされることなど知るよしもないガキ。
そして長姉は中学3年生で、中央区にある学習塾に通い始めたころ。


なんだ、4月に開通したなら、
姉貴もバスに乗るには便利になったわけだし
何もなかったんだな、と思った。


ところが…。(後編へ続く)

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