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2019年10月 6日 (日)

大河ドラマいだてん 東京オリムピック噺・(38)長いお別れ ~~

昭和36(1961)年12月、
落語家の古今亭志ん生が脳出血で倒れ、病院へ搬送されました。

読売巨人軍の祝勝会の余興で落語を披露する予定だった志ん生は、
壇上に上がってすぐ、急に倒れたそうです。

左の脳の血管が切れたらしく、最悪の事態では言葉が話せなくなり
大好きなお酒も飲めなくなってしまうかもしれません。

 

1938(昭和13)年、嘉納治五郎という大黒柱を失った日本スポーツ界。
港に到着した棺は、そのまま霊きゅう車に乗せられて
火葬場へ向かいます。

「オリンピックはやる。必ず」
訃報を聞いて飛んで駆けつけてきた金栗四三は
それを見送りながら固く決心します。

「志ん生の『富久』は絶品」
かつて父から母に送られた手紙を母からもらった五りんは、
その手紙と横たわる志ん生とを交互に見つめながら
複雑な表情を浮かべます。

治五郎亡き後も、東京オリンピック開催に向けて会議は進められます。
まーちゃんこと田畑政治が、古代オリンピック発祥のギリシャから聖火ランナーを走らせ、と説明すれば
軍部は他国から火を借りるのは言語道断と
高千穂神宮から出雲大社、伊勢神宮を経由して明治神宮に至る「神火」にしよう、と言い出す始末。

新たに競技場を建築しようと提案すれば、それに費やす鉄骨1,000トンで
駆逐艦が何隻作れますかな…と話を逸らすあたり
民間人と軍部とは永遠に話がまとまりそうにありません。

副島委員は、イギリスとフランスが
東京オリンピックのボイコットを決めたと知らされると、
政府の圧力によりオリンピック開催権を返上する、という
話にもっていこうと、総理大臣に電話しようとします。

まーちゃんは、治五郎から受け継いだストップウォッチをかざし
嘉納治五郎は生きている! 治五郎はやりたがってると思うよ~、と
説得を続けます。
「総理大臣に頼むんだったら戦争のほうじゃないの?」

7月14日、政府が東京オリンピックの中止を決定。

 

親愛なるラトゥール伯爵
日本中で最も評判の悪い男になる危険を冒して
東京オリンピックの中止を政府に働きかけました。
総会の席上、私の両隣には誰も座ろうとしなかった。
売国奴、非国民と罵られても
私は自分のとった行動を後悔してはいない。
返上が半年遅れたら、どの国でも開催できない。
いつの日かこのアジアで、願わくばこの東京で
オリンピックが開かれることを夢見て…。

ラトゥール伯爵は、世界地図を見上げて
「幻のオリンピック…」と残念がります。

日本中の町から、五輪の旗が引きずりおろされ、
まーちゃんは、オリンピック中止決定との記事を書き終えます。
治五郎の懐中時計を思わず叩きつけたくなりますが、
引き出しの中にそっとしまっておきます。

 

昭和36(1961)年、いまだに動いている懐中時計を
岩田幸彰が止めようと悪戦苦闘していますが、
「と・め・る・な!」とまーちゃんは突進してきます。

 3…2…1…よし3分たった! と、治五郎の大切な形見という割に
インスタント麺の計測に使うあたりがまーちゃんらしいのですが、
思ったよりもインスタント麺が美味で
選手村で配ったらどうだい? と提案することも忘れません。

 

意識不明の重体と報道されていた志ん生ですが、
実際は意識は取り戻しておりまして、
ただ、体半分が動かずろれつが回らないので、
とてもとても高座になんか上がれっこありません。

1939(昭和14)年、ナチスドイツ軍はポーランドに侵攻。
これに対してイギリス・フランスが宣戦布告し
第二次世界大戦が勃発します。
もはや世界中が戦争当事者だったのです。

オリンピックも中止になったことだし、
四三は、弟子である小松 勝に熊本に帰ることを提案します。
しかし池部スヤは、勝が東京に残りたいのはスポーツが理由だけではない、と
暗に増野りくとの恋仲を示唆します。

きっかけで、二人は結婚。
その翌年(1940(昭和15)年)、五りんが生まれた、というわけです。
「五りん」というのは志ん生がつけてくれた名前ではありますが、
本名は金治、金メダルの金か、金栗四三の金か…?

そんな話をしていると、志ん生は
ぽつりぽつりと当時の思い出を語りだします。
「昭和15年ってのは…俺が志ん生を襲名したころだな」

 

昭和16(1941)年、東条内閣が成立。
寄席の演目も、不謹慎であるからと
軍部から差し止められた題材がいくつも。
噺家は、それに重ならないように話さなければなりませんでした。

12月8日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。
「大本営陸海軍部発表、奇襲上陸作戦を敢行し着々戦果を拡張中なり」
大本営発表では、連戦連勝と発表されていましたが、
戦況が正確に伝えられることは既になくなっていました。

開戦と同時に箱根駅伝は2年連続中止となり、

昭和18(1943)年正月、
靖国神社箱根神社間往復 関東学徒鍛錬継走大会
という名前で復活して、小松 勝も出場しました。

ところが、兵力不足が深刻化し、ついに
20歳以上の文科系大学生が徴兵対象となりました。
学徒出陣です。

10月21日、出陣学徒壮行会が
明治神宮外苑競技場で開かれました。
オリンピックを呼ぶために嘉納治五郎が建設した
スタジアムから、学徒が皮肉にも戦地へと送り出されたのです。

「出陣学徒3万人、スタンドに5万人…こんなに入るんだったら
オリンピックできたじゃねえかバカ野郎め!」
オリンピックやってれば…こんなことには…、と
まーちゃんはスタンドで嘆き悲しみます。

 

※このドラマは、史実を基にしたフィクションです。


作:宮藤 官九郎
音楽:大友 良英
題字:横尾 忠則
噺(古今亭志ん生):ビート たけし
──────────
[出演]
阿部 サダヲ (田畑政治)
中村 勘九郎 (金栗四三)
綾瀬 はるか (池部スヤ)
桐谷 健太 (河野一郎)
柄本 佑 (増野)

杉咲 花 (増野りく)
仲野 太賀 (小松 勝)
──────────
森山 未来 (美濃部孝蔵・語り)
神木 隆之介 (五りん)
荒川 良々 (今松)
峯田 和伸 (清さん)
川栄 李奈 (知恵)
柄本 時生 (万朝)

夏帆 (おりん)
坂井 真紀 (喜美子)
池波 志乃 (りん)
小泉 今日子 (美津子)
──────────
星野 源 (平沢和重)
松坂 桃李 (岩田幸彰)
松重 豊 (東 龍太郎)

永山 絢斗 (野口源三郎)
中村 七之助 (三遊亭圓生)
──────────
杉本 哲太 (永井道明)
リリー・フランキー (緒方竹虎)
三宅 弘城 (黒坂辛作)
古館 寛治 (可児 徳)
きたろう (牛塚虎太郎)
塚本 晋也 (副島直正)
役所 広司 (嘉納治五郎(回想))
──────────
制作統括:訓覇 圭・清水 拓哉
プロデューサー:家富 未央・吉岡 和彦
演出:西村 武五郎

 

◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆

NHK大河ドラマ『いだてん』
第39回「懐かしの満州」

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