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2019年12月27日 (金)

連続テレビ小説おしん・アナザーストーリーズ『運命の分岐点』(後編)

<前編よりつづく>

MULTI ANGLE DOCUMENTARY
Navigator・MATSUHIMA Nanako
Narration・HAMADA Gaku
Director・ISHITOBI Atsushi
『アナザーストーリーズ・運命の分岐点』

【松嶋】橋田さんが語り継ごうとした、日本人が歩んできた道のり。それが視聴者の胸を打ったのは、過酷な撮影現場に立ち向かった俳優たちの存在があったからです。第二の視点、一人目は、いかだに乗って奉公に出されるおしんを演じた、名もなき子役。当時わずか10歳だったその少女は、周りのスタッフを仰天させるほどの覚悟で撮影に挑んでいました。そしてもう一人は、この極寒の最上川で、その当時の日本にあった悲劇的な真実を伝えようと、鬼気迫る演技を見せた女優です。身の危険さえ顧みず、その役を演じきった女優の決意は、ドラマが伝えるメッセージをより強烈なものにしました。

【N】現在放送中の『なつぞら』。その中で、北海道開拓に来た貧しい一家を支える母がいる。

小林綾子「天陽と、仲良くしてやってね」
   天陽の背中をポンと押す。

【小林】おはようございま~す。よろしくお願いいたします。どうも、失礼しま~す。

【N】彼女こそ、少女時代のおしんを演じ、一躍時の人となった小林綾子。当時はまだ、10歳だった。

おしん「旦那様は優しい人だ! おれ、ここさ奉公に来て、いがった! (山形の方を向いて)母ちゃん! おれ、学校さ行くんだぞッ!」

【小林】私にとって『おしん』は、なかなか経験できないような貴重な体験を、いっぱいさせていただいた、あの……大切な作品で、おしんに出会ったことで、ずいぶん(人生が)大きく変わったかな、とは思いますね、うん。

【N】そしてもう一人。ドラマに欠かせなかったのが彼女。女優の泉ピン子。家族の幸せのためなら、どんな犠牲もいとわない。そんな母親の生涯を演じた。

奉公の出発前夜、泣きながら抱き合うふじとおしん。
ふ じ「体大事にして……丈夫で帰ってこい」

【N】長い女優人生の中で、『おしん』ほど心身を消耗する過酷な撮影はなかったという。

【泉】38kgしかない。太らない。役者根性見せてやれ、と。やっぱり『おしん』に懸けてましたね。

 

<第二の視点・ふたりの女優魂>

 

【N】最上川での撮影初日。いかだの場面に挑む小林の姿を、カメラは追っていた。

【撮影スタッフ】ちょっと「かあちゃん!」って(言ってみて)。
【小林】かあちゃん!
【撮影スタッフ】OK? はいはい、よし!

【N】緊張感あふれる現場での、初々しい気持ちを語っていた。

【小林】前までは、あの……緊張してたんだけど、歯医者さんのことを思ったら、あの……もう全然大丈夫だな、と思って。そっちのほうが怖いと思ったから、全然緊張しなくなりました(笑)。
【聞き手】歯医者さんに行くよりはマシだと思ったら、緊張しなくなったんだ?
【小林】はい。

【N】『おしん』のオーディションで100名を超える子役の中から選ばれた小林は、実はそれまでまったく無名。小さな役しか演じたことがなかった。『おしん』のプロデューサー・小林(岡本)由紀子は、おしん役に決めた理由をこう明かす。

【岡本】やっぱり山形の貧農の子っていうね、貧しいっていう。で、だからあまり美少女ってのは考えなかったんですよね。うん、都会的な。オーディションをやったり、そのあといろいろ話をしたときに、あ、この子ものすごく頭がいいなって思ったんですよ。ほとんどおしんの役って出ずっぱりだし、で、いろんなことを子どもなりに、こう考えてやらないといけない。それから演出の言うことを理解できる頭じゃないといけないってのもあったわけですよね。

【N】しかし、おしん役に決まってからが大変だった。当時、テレビ番組のインタビューでこう答えている。

【聞き手】何が一番大変だった?
【小林】セリフを覚えるのがとても大変でした。
【聞き手】セリフ覚え。山形弁でしょ?
【小林】はい。

【小林】当時使ってた台本を、持ってまいりました(笑)。

【N】撮影前、小林は36話分の台本を渡され、覚えるように言われた。橋田が書く長ゼリフは、子どもであっても容赦なかった。

【小林】ここにね、「帰れねえッ、帰れねえんだってばッ。お願えするッす、お願えするッす、お願えするッす」って、ここ自分で書いてありますけど、あの……この後ですね。今度ここに続くわけですよ。これがまた結構長いセリフでですね。あの……多分セリフを覚えるだけでも大変だと思うんですけど、やっぱそこの心情で必死にお願いしなきゃいけない、やっぱりとても大事なシーンだったと思うんですね。

【N】それが、この場面。

おしん「(土下座して)お願えするっす。お願えするっす。おれどごは、今年、米とれねがったがら、かあちゃんは銀山温泉さ宿の女中に行ったンだ。姉ちゃん二人も製糸工場へ奉公さ出てる。んでも、病気のばんちゃんや弟や妹がいっがら、大根飯もロクに食えねえ。せめて、ばんちゃんにはひもじい思いさせたぐねえンだ。おれが奉公さ出て、米五俵もらったらば、ばんちゃんだって、ちょっとは楽させでやれるッ……。おれだって、ごくつぶしの役立たずってとうちゃんにごしゃがれるごどもねえ。なんとかおればここさおいてけらっしゃい。どだなごどでもするがらッ……」

【N】撮影が始まるまでに、小林は自分だけではなく、相手のセリフまで頭に入っていた。しかし、実は。

【岡本】その日の分を覚えてくればいい、というつもりで言ったのに、綾子さんは、36回分の全セリフを(現場に)入る前に覚えてきたんです。台本渡してから1ヶ月半ぐらいしかないんですけどね。お母さんと一緒になって、うちでもう一生懸命一生懸命、覚えて覚えて覚えて36話分覚えてきた。

【N】そしていざ撮影が始まると、小林をもう一つの試練が襲う。ひどい風邪をひいたのだ。この時小林は、子役とは思えないほどの女優魂を見せて、周囲を驚かせた。母役の泉は、そのことを強烈に覚えていた。

【泉】おしんが3ヶ月間 頭洗わなかったの。みんなに迷惑かけちゃいけないって、洗って。だから「かあちゃん!」ってくると、リアルに臭かった。頭が(笑)。それはやっぱり、思い出しますね。

 

【N】そんな泉もまた、『おしん』の撮影にただならぬ思いを抱いて臨んでいた。

【泉】私、(橋田)先生に「歯を全部抜く」っつったんだから。60になったときの、年寄りの役になって。そしたら先生が「やめて!」って、電話の向こうで、もう怒鳴ったね(笑)。「抜いたら付き合わない」って言われた。いやそのぐらい懸けてましたね。歯を全部抜いてもいいと思ったもの。30代で。

【N】泉にとって『おしん』への出演は、女優人生を懸けたものだった。芸能の道に進んだ当初(1966年、当時18歳)、歌謡漫談家を名乗っていた泉。当時は地方でキャバレーのステージに立つ毎日。酔っぱらった客を相手に、芸人としての腕を磨いた。世間に知られるようになったのは、20代の時に出演したあるワイドショー(NTV『ウィークエンダー』)。お色気ネタをマシンガンのような語り口でレポートする姿が受け、人気が爆発。ドラマへの出演にも、声がかかるようになった。大きな転機となったのが、橋田が脚本を務めた『おんな太閤記』。

き い「わしと甚兵衛殿は好きで夫婦になった。別れようが一緒にいようが兄様からそのようなこと言われる筋合いはないわッ!」
秀 吉「(見つめ)……。」

【N】泉は見事に演じ切り、女優として高い評価を受ける。

あさひ「(秀吉の胸に抱かれ)姉様……姉様にもようしてもろうた」
秀 吉「許せあさひ!」

【N】橋田も、泉の人間味あふれる芝居を気に入った。

【橋田】やっぱりいい芝居をしていただいたんで。あの……田舎でしょ、秀吉の。田舎の百姓の出の妹。それがすごくよかったんですよ。

【N】与えられた役を懸命に演じた泉。このころのインタビューで、女優業への思いをこう語っている。「キャバレーとかドサまわりとか、あらゆる苦労をしつくしてきた末につかんだ、いまの仕事だもの。どんなにつらくったって、私は女優というこの仕事に、くらいついていこうと思ってるの」(『週刊明星』昭和56年3月12日号より) そんな泉に、橋田は『おしん』への出演を打診。泉はその依頼を、すぐに引き受けた。

【泉】台本。本です。やっぱり先生の本は素晴らしかった。読んだ時から、これは当たると思った。やっぱり『おしん』に懸けてましたね。

【N】泉は全身全霊で、おしんの母親役を演じた。これは、おしんの妹・すみが、里子に出されるシーン。

ふ じ「おめえには、子守りもよぐしてもらった。ほだなことになってしまって……。」

【N】実はこの時、泉の足にはガラス片が刺さっていた。それでも、演技をやめることはなかった。

【泉】だって止められないじゃない? やっぱり砂利ですから、その中にガラスが、三角みたいなこういうのが刺さっちゃったのね。勢いで「おしん!」って言うから。やっぱりかかとを浮かしてたね、中入っちゃうから。

【N】そんな泉には、特に大切にしたいシーンがあった。それは、橋田に出演を依頼されたときに聞いた場面。

【泉】「子どもをおろすために川に入るというところは、テーマとしてやりたいの」って。そしたら西田(敏行)くんが横で「やったほうがいいんじゃねえの? それさ。なかなかそういう子どもをおろすとか、それNHKのテーマでねえぞ」って言ってんのよ。西田くんが「お前ね、そうやってね、役者根性見せてやれ」と。「そもそも吹き替えなんて使うなよピンちゃん」って言われて。

【N】口減らしのため、真冬の最上川につかり、子どもを流産しようとする母親。代役が考えられていたが、泉はそれを断り、自ら川に入っていく。

   川に入り、人目につかない奥に進んでいくふじ。
おしん「(ふじを見つけ)かあちゃん!」

【N】1月下旬。川の水は、身を切る冷たさ。

おしん「かあちゃん! かあちゃん!」
   ゆっくりと川につかるふじ。
ふ じ「(おしんの方を振り向き)心配ねえッ! すぐ上がるから! 誰さも言うなよ! 黙ってろよッ!」
   じっと耐えるふじ。

【N】撮影は、6時間に及んだ。まさに、命がけの演技だった。

【泉】もう下半身感覚がないんですよ。凍傷みたいなもんですよね。生理が3ヶ月止まって、産婦人科の先生に「死ぬ気か」って怒られたの。だってそれを先生に……橋田先生に聞いて、『おしん』に出ることを決めたんだから、そこはやっぱりちゃんとやらなきゃ成立しないと思いましたから。

【N】その女優魂に、橋田は舌を巻いた。

【橋田】やっちゃったんですって後で聞いて、「えーっ」ていう感じ(笑)。「あれだけは本人にはやらせないでください」って言ったんです。ピン子が「絶対自分でやる」って言ってやったんですって。まあそれはそれで根性のある子だから。

【N】歌謡漫談家から始まった芸能人生。泉はいつしか、女優へと転身を遂げていた。

   おしんの胸に抱かれるふじ。
ふ じ「(空を見上げて)きれいだな……」

【N】そして、成長したおしんの腕の中で、母・ふじが亡くなるころ、ドラマの人気は頂点に達し、最高視聴率62.9%を記録する。

【泉】終わった時に私、事務所に「辞めます」って言ったのを覚えてる。なんか燃え尽き症候群みたいだったのかな。「役者辞める」っつって。なんでか分からないけど。

【N】ドラマの人気の火付け役となった小林には、今も大切にしている宝物がある。ドラマの中で、つらく悲しい出来事があった時、おしんがいつも吹いていたハーモニカ。撮影後、それを譲り受けた小林。ハーモニカを吹くたび、あの過酷な撮影を懸命に乗り切ったころの気持ちを思い出す。

 

 

【松嶋】ドラマが始まるとまもなく、「おしんドローム(=おしん症候群)」という言葉が生まれるほどの旋風が巻き起こります。さらに、その人気は海外にも。これまで世界73の国と地域で放送され、日本人といえば「おしん」を連想されるほど、世界にその人気は広がりました。中でも中東の国・イランでは戦時下で放送され、最高視聴率90%台を記録。第三の視点は、当時イランで『おしん』を見ていた人たち。戦争によって追い詰められ、過酷な境遇の中で生きる人々にとって、『おしん』とは一体何だったのか。はるか海を越え、人々を勇気づけたドラマのアナザーストーリー。

 

【N】東京都板橋区。若者に人気の居酒屋がある。

【マンスール】はい、から揚げできましたよ~。はいどうぞ~。写真撮ったら返してね(笑)。

【N】名物はこの、デカ盛りメニュー。この量にして、すべての料理が400円。店の主人でイランから来た、コルドバッチェ・マンスール
さん。こうした料理を振る舞っているのは『おしん』の影響でもある。
スーパー
──コルドバッチェ・マンスールさん──

【マンスール】食べてね! いっぱい食べてね! おしん食べられなかったんだよ、昔。知ってる? ごはん食べられない時代があったんだよ。今すごいよね、いっぱい食べられるんですよ。

【N】苦労してここまできたマンスールさん。つらい時、おしんがいつも励ましてくれた。

【マンスール】おしんのことを思い出すと、いや、まだ全然いけるなって。おしんほどはまだ苦しくないな……。

 

<第三の視点・『おしん』に影響を受けたイランの女性たち>

 

【N】イランで『おしん』が放送されたのは、1987年11月。当時のイランは重い空気に包まれていた。理由は、長く続いた「イラン・イラク戦争(1980-1988年)」。そんな中、人々が楽しみにしたのが『おしん』の放送。苦難を乗り越えていくおしんの姿が、胸を打った。イランのプロデューサーは、当時の状況をこう語る。

スーパー
──プロデューサー チャンギズ・ハサニ──
【ハサニ】『おしん』が放送された土曜のゴールデンタイムには、街から人がいなくなりました。特に女性たちがおしんに魅力を感じ、共感しました。彼女たちは、大人になったおしんがさまざまな困難にめげず何度でも立ち上がる姿に、夢中になったのです。

【N】女性たちの胸を打ったのは、こんな場面だという。

おしん「おなごでもおてんとさまも誰さも頼らねえで、生きていける仕事ば、腕さつけてえんでっす」

【N】そのころのイランは、まだまだ男社会。女性たちは、社会で活躍するおしんの姿に夢中になっていった。

【女性1】このドラマの主人公は女性です。私の家族は女性が多かったので、みんなで一緒に『おしん』を見て学びました。
【女性2】『おしん』は、私たちに希望を与えてくれました。女性だって家を守るだけではなく、社会に出て働くことができるんだと勇気をもらいました。

【N】女性たちの中には『おしん』に背中を押され、世界へと道を切り開いた人もいる。東京の、とある住宅街。イランから日本にやってきて20年になる吉成ナヒードさん。大学生の時に『おしん』の放送を見て心を打たれた。
スーパー
──吉成ナヒードさん──

【ナヒード】おしんに出会ってなければ、もしかしてもっと辛かったかもしれません。もっと時間がかかったかもしれません。『おしん』で、すごくもう……革命みたいな(笑)。“おしん革命”が起きていた感じですね。

【N】イラン北部の街で生まれ育ったナヒードさん。子供のころの夢は歌手になること。でも、それは決してかなえることのできない夢だった。

【ナヒード】イラン(の法律)で、女性はソロで歌っちゃいけないんですね。コーラスに入ればコーラスは大丈夫ですけど、ソロで歌えないので、それがすごく、あの……辛くて。もうあきらめるしかないですね。

【N】更に、ナヒードさんの心に重くのしかかっていたのが戦争だった。男は戦争に駆り出され、女性たちが食べるものを求めて街をさまよっていた姿が、今も記憶に刻まれている。
スーパー
──兄・マジッドさん 母・ジナットさん ナヒードさん──

【ナヒード】みんな列になって、クーポンを持ってて物を買ったりとか、戦争で亡くなった遺体を、兵隊たちの遺体が戻ってきたら、やっぱり街全体が悲しくなったりとか。

【N】そんな中、一筋の光となったのが『おしん』の放送だった。

【ナヒード】もう知らないうちにいきなり、なんかお家に30人が集まって、30人で『おしん』を見てて。みんなで……悲しい時はみんなで泣いたり、うれしいときはみんなで笑ったりとか、すごく感動的だったね。小さな映画館みたいな感じですね(笑)。

【N】ナヒードさんが憧れたのは、自らの意思で未来を切り開くおしんの姿だった。

【ナヒード】彼女がやったことを見て、アイデアをもらう。で我慢をすれば自分が目的にたどり着くまでに、そういう勉強で努力で何でもそういうことをやれば、結果的に成功するんじゃないかな、とか。そういう気持ちがだんだん強くなってきましたですね。

【N】そして、何か自分の武器になるものを必死で英語を勉強。24歳の時に通訳の仕事をするようになる。その後、日本人と結婚し、来日を果たす。日本に来てからは、おしんの精神で何にでも挑戦。やがて一つずつ実を結び、現在ではラジオのアナウンサーやイラン料理の講師など、多方面にわたり活躍している。そしてナヒードさんは、幼いころのあの夢にも再び挑戦する。かなわないと思っていた、歌手になる夢。努力を続け、10年前からはプロとしてイベントにも呼ばれるようになった。

【ナヒード】『おしん』を見て、やっぱりあきらめちゃいけないなとか思った。挑戦する気持ち、スピリットをもらった気がします。

【N】ナヒードさんの支えになったおしんの精神は、今、娘へと引き継がれている。

スーパー
──長女・真梨菜さん──
【真梨菜】実際には見たことはないんですけど、最後まであきらめないとか、なんかそういう話をするときにおしんの話を一緒にしてくれるから、見たことはないんですけど、見た気になったりしますね(笑)。自分がやるって決めたことは、なるべくあきらめないように、最後まで続けられるように努力はしてます。
【ナヒード】これからでしょ? あなたの人生。少しこういうの見たほうがいいと思います。
【真梨菜】うん。

【N】『おしん』は、国や時代を超え、人々の道しるべとなっている。

 

 

【松嶋】『おしん』に影響を受け、自らの人生を切り開いた女性たちが、世界中にたくさんいます。豊かさを謳歌し、家族という形すら見失いそうになっている日本人に、ドラマが語り継ごうとしたもの。それは「本当の幸せとは何か」という、シンプルながらもっとも難しい問いだったのかもしれません。どんな苦難にも負けず、まっすぐにひたむきに生きるおしんの姿は、国や時代を超え、今でも私たちの心に訴えかけています。

【N】人々の日常に潜むドラマを描き、社会へメッセージを発信し続けてきた橋田壽賀子。94歳になった今も、あの人気のホームドラマを書き続けている。今後どんなドラマを書きたいのか尋ねると、旅先でふとした瞬間、目にした光景を語り始めた。

【橋田】ご夫婦で同じいつも、服を着ている方がいるの。あれ結構仲悪いんじゃないかな(笑)。だから奥さんが無理やり着せてんだなって。やっぱりそうだって。「奥さん……女房に無理やり着させられてるんです僕」とかって(笑)。だから奥さんは……ね、「迷ったときに分かりやすいじゃないですか、同じ服を着てる人、ウチの人を探してくださいって言いやすい」って、おかしいでしょ(笑)。

【N】そんなところから、ドラマが生まれるんですね。楽しみにしています。

 

ナビゲーター:松嶋 菜々子

語り:濱田 岳

テーマ音楽:三柴 恵

写真提供:毎日新聞社
    :アフロ
    :山形県大江町
映像提供:アフロ
映像デザイン:梅木 暁
CG制作:鈴木 哲
VFX:藤森 秀一朗
技術:佐藤 明憲
撮影:角山 正樹
照明:野下 友樹
音声:三井 慎介
音響効果:細見 浩三
映像技術:佐分利 良規
編集:渡辺 陽子
リサーチャー:池田 さやか
コーディネーター:ゴルバリアン・ショーレ
取材:モハマド・アーマディ

ディレクター:石飛 篤史

プロデューサー:伊豆田 知子

制作統括:村井 晶子
    :齋藤 倫雄

制作:NHKエデュケーショナル
制作協力:スローバンド

制作・著作:NHK

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