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2019年12月24日 (火)

連続テレビ小説おしん・アナザーストーリーズ『運命の分岐点』(前編)

おしん「(いかだから身を乗り出して)かあちゃん! かあちゃん!」

【N】一人の少女の過酷な運命に、お茶の間が、くぎづけとなった──。

   村の子どもに殴られそうになりながら、
おしん「ほだなことで、おれがやめると思ってるのか?」

【N】朝ドラ『おしん』。

おしん「米五俵くれるって言うから、どだいつらいことあったって辛抱するつもりできたンだ……。帰れねえッ! 帰れねえンだってばッ! (土下座して)お願えします! お願えしますッ!」

【N】そこには、女たちの熱い思いが、込められていた。

スーパー
──脚本家・橋田 壽賀子──
【橋田壽賀子(以下、橋田)】私自身の人生も、集大成できるものが書けた──。

 

MULTI ANGLE DOCUMENTARY
Navigator・MATSUHIMA Nanako
Narration・HAMADA Gaku
Director・ISHITOBI Atsushi
『アナザーストーリーズ・運命の分岐点』

スーパー
──ナビゲーター・松嶋 菜々子──
【松嶋菜々子(以下、松嶋)】半世紀以上にわたって、お茶の間の朝に元気を届けてきた、連続テレビ小説「朝ドラ」。今放送されている『なつぞら』で、ちょうど100作目となりました。1996年に放送された『ひまわり』では、私もヒロイン役を務めさせていただきました。俳優として生きていくきっかけと、多くの学びを与えてくれた、人生の転機となった大切な作品です。そして、これまでの数ある「朝ドラ」の中で、人々の記憶に最も深く刻み込まれているのは、この作品と言ってもいいのではないでしょうか。
『おしん』。
日本中の涙を誘い、平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%、ドラマ史上いまだ破られたことのない、驚異的な数字をたたき出しました。

【テーマ音楽】おしん
スーパー
──おしん──

【N】物語の始まりは明治時代。主人公は、食べるものにも事欠く山形の農村で、貧しさゆえに過酷な運命を背負わされた少女、おしん。
スーパー
──おしん役(少女期)・小林 綾子──

スーパー
──父 作造役・伊東 四朗──
作 造「もう、おめえに食わせる米がねえンだ。んだから、奉公さ行かんなんねえンだ」
おしん「おれはとうちゃんやかあちゃんのそばさいたい。どこさも行きたくねえ!」
作 造「おしん!」
おしん「田んぼでも畑でもなんでもする。子守りもする。んだから、よそさ行けなんて言わねえでけろ。ここさ置いてけろ」

【N】ドラマは、成長していくおしんの姿を見つめる。それは、明治から昭和までの激動の時代を生き抜いた、女たちの思いに寄り添うことでもあった。
スーパー
──おしん役(青年期-中年期)・田中 裕子──

おしん「自分の息子が戦争に駆り出されると思ってなかったンだよ!」

【N】描かれ続けたのは、きれいごとではない、リアル。その中でも、今も語り継がれるのが、この場面。少女時代のおしんが、貧しさのあまり、米1俵と引き換えにいかだに乗せられ、奉公に出る。

ふ じ「(おしんが立ち上がろうとする)おしん!」
船 頭「あっ危ない!」
おしん「かあちゃん! かあちゃん!」

スーパー
──母 ふじ役・泉 ピン子──
ふ じ「(涙を流してじっとこらえる)……。」
おしん「かあちゃん!」

おしん「とうちゃん! とうちゃん! とうちゃん!」

【N】その撮影現場は、母娘を演じた女優たちにとって過酷なものだった。

【小林綾子(以下、小林)】セリフを覚えるのがホントに大変で、体の中にたたきこんだという。

【N】真冬の川で6時間の撮影。

【泉ピン子(以下、泉)】役者根性見せてやれ、と。やっぱりおしんに懸けてましたね。

【N】そしてドラマは、日本中に大ブームを巻き起こす。“おしん”と名の付くありとあらゆるものが売られ、「おしんドローム(=おしん症候群)」という社会現象まで巻き起こした。やがてその人気は、国内だけではなく世界へと広がり、73の国と地域で放送された。

【タイの母親】この子もおしんのように育ってほしいわ。
【イランの女性】おしんの生き方にはとても共感できるのです。

【N】そして、世界のトップまで。

スーパー
──第40代アメリカ合衆国大統領 ロナルド・レーガン──
【ロナルド・レーガン】人気のテレビドラマ『おしん』から、忍耐、不屈、奉仕を学びました。

【N】豊かな時代におしんが訴えかけたものとは何だったのか。

【松嶋】運命の分岐点は、1983年4月4日。『おしん』の放送が始まった日です。この日を皮切りに、数々の名場面が生まれました。中でも、こちらのシーン。7歳のおしんが、米1俵と引き換えに、いかだに乗せられ、奉公に出される場面です。第一の視点は、その撮影現場を、多くのスタッフに交じり、心配そうに見守っていたひとりの女性、『おしん』の脚本家、橋田壽賀子。実はこの場面、ある女性から届いた一通の手紙に深い感銘を受けたのをきっかけに、いつの日か映像化したいと願い続けていたのです。その手紙には、何が書かれていたのか。物語に、日本人への痛切なメッセージを込めた脚本家の、アナザーストーリー。

 

スーパー
──語り・濱田 岳──
【N】静岡県熱海市。その女性は、都会の喧騒から離れ、移り行く時代にあらがうかのように筆を執り続けてきた。

【橋田】これが生原稿かなあ?

【N】おしんの脚本家、橋田壽賀子。94歳。キャリアをスタートさせたのは70年前。以来、おびただしい数のドラマを書き、ヒット作を連発してきた。20年以上続き、多くの世代に愛された民放の人気シリーズ(TBS『渡る世間は鬼ばかり』)。初めて女性の目線で戦国時代を見つめた大河ドラマ(『おんな太閤記』)。いつも日本人の心の機微をすくい取ってきた。中でも最大のヒット作が『おしん』だ。全297話、橋田は一文字一文字手書きで言葉をつむいだ。

【橋田】もう一生懸命山形弁を覚えました(笑)。

【N】そうまでして『おしん』に込めたのは、目まぐるしく変わる時代への、橋田なりの問いかけだった。

【橋田】昔あんなに一生懸命生きてた人がいるのに、次の世代は苦労しないで、ただ伸びることを考えてってるから、危ないなと思ったんですね。日本が一番、あの……お金持ちだ、みたいな気分。どんどんどんどん伸びる、世界で一番伸びてるみたいな。

 

<第一の視点・時代にあらがった脚本家>

 

【N】そもそも『おしん』が放送された1983年はバブル景気直前。世の中にお金や物があふれ始め、豊かな社会であることが当たり前になりつつあった。実はそんな時代だからこそ、『おしん』はどのテレビ局も手を出そうとしない企画だった。

【橋田】『おしん』なんか、なかなか通らなかったですよ企画。暗い、あの……色のない。「こんな暗い話どうすんの」でみんなに嫌われて、なかなか実現しなかったんですよね。TBSも通らないし、NHKでも通らなかったですよ。

【N】同じころ、人気だったドラマといえば、女性アイドルが明るく奮闘する物語(TBS『スチュワーデス物語』)や、若者たちのリアルな日常を描いた作品(TBS『ふぞろいの林檎たち』)。そして、上流家庭の闇を暴くサスペンスドラマ(テレビ朝日『家政婦は見た!』)。その中にあって、橋田が出した『おしん』の企画は、徹底的に貧しさや苦労を描くことから、時代に逆行するものと受け止められた。それでも簡単に引き下がらないのが、橋田だ。

【橋田】いろんな人の取材もしてましたから、いつモノになるか分からないけど、やっぱりずーっと持ってて、抱いて抱いて抱いて、どうせ書くならやっぱり自分の思うとおりに書きたいってのがあります。相手に言われて書き換えるようなら、書かなきゃいいんですからね、もう。

【N】『おしん』には、時代にあらがってきた自分の経験も刻まれていた。橋田が脚本家として第一歩を踏み出したのは、戦後間もない昭和24年。最初に就職した映画会社では、初の女性脚本家ともてはやされた。だが、現実には男社会。女だからとほとんど書かせてもらえず、10年間、仕事らしい仕事はできなかった。

【橋田】「なんで女がライターになるんだ」「男のほうがラブシーンだってなんだって上手いこと書けるんだ」「板前だって見てみろ、男だろ?」「洋服のテーラーだって女じゃない。みんな男がやるんだ」「女がなんで映画をやるんだ」って言ってもう、だれも受け入れてくれません。

【N】女性の自立が、橋田の描くテーマの一つとなっていく。そんなころ見たのが、昭和34年、テレビで中継された、あの世紀のご成婚パレード。初めて民間から嫁ぎ、晴れやかな表情で手を振る、その女性の姿に、新たな時代の幕開け、さらにテレビの可能性を強く感じた。

【橋田】ご結婚があってパレードがあったんですよね。それをテレビで見たのね、友だちのうちで。テレビをやっと月賦で買って持ってたんですね。友だちとわいわいわいわい見て、茶の間にあんなすごいシーンが入ってくるってビックリしましたね。アップで美智子様のお顔なんて見られないじゃないですか普通、道行っても。「あーテレビってすごいな」って思いましたね。映画どころじゃないわこれは、と思って。

 

【N】そして、大切な人と出会う。現在も橋田と『渡る世間は鬼ばかり』で名コンビを組む、TBSのドラマプロデューサー、石井ふく子。すでに第一線で活躍していた石井は、橋田とともに、作り物ではない人々の日常にドラマのテーマを探していった。

スーパー
──プロデューサー・石井 ふく子──
【石井ふく子(以下、石井)】お互いに勉強したんですよ。ふたりで食事に行ったときに、カウンターに男3人がいたんです。「みんな兄弟だ」って言われたの。これ面白いな、と。男じゃ面白くないから女にしよう、と。それで書いてもらってシリーズになったの。あの方(橋田)は構成力が抜群なんです。

【N】そこから生まれたのが、女3姉妹の何気ない日常を繊細につむいだ人気シリーズ(TBS『おんなの家』)。石井との出会いが、女性の目線で家族の日常を描くというスタイルを、橋田にもたらした。

【石井】やっぱりホームドラマってのは、今の時代大変必要なんだ、と。だからホームドラマの中にこそ、いろんなサスペンスがある、家族の中に。そういうものも書いていきたい。ですから“殺し”やなんかのことは絶対にやらない、と。

【N】そしていよいよ、橋田を『おしん』へと向かわせる出来事が起きる。橋田のもとに、明治生まれの女性から一通の手紙が届く。そこにつづられていた壮絶な人生に、橋田は深い衝撃を受けた。「かつて若いころには、米1俵で何度も奉公に出され、その後、女郎に売られた、とありました。やがてそこから逃げ出し、ミシンを習って自立したという体験物語に、私は大きな衝撃を受けました」(『おしんの心』より)。この時、そこにつながるもう一つの話を思い出す。戦後まもなく訪れた山形で、ある女性から聞いた話だ。

【橋田】そのおばさんにいろんな話を聞いたら、昔はここから、あの……奉公にみんな行くのに、うちのいかだに乗って酒田へ行ったんだよっていうのを。なるほど、想像していかだで、なるほど、子どもが乗って奉公に行ったんだなと思ったのね。それがすごく印象にあって、女がひとり出世していく、あの……力をつけて出世していくドラマっていいなあなんて(笑)。女の子がどうなるか、想像しながら書こうと思って。

【N】時はまさに、日本が1980年代を迎えようとするころ。豊かさの陰で、何か大切なことを失っているのではないか。明治生まれの女性が背負ってきた苦労を、社会にぶつけようと心に決めた。橋田は何度もテレビ局に断られたが、かまわず取材を続けた。そして、手紙を受け取ってから3年後、橋田はようやく『おしん』のテレビドラマ化を勝ち取った。主人公の名前には、さまざまな思いを込めて。

【橋田】おしんの名前なんて早くから考えてたんですよ。辛抱の“しん”とか、神様の“しん”も、心も“しん”で、身体も“しん”で、辛抱もいっぱい“しん”の字があるんですよ。それだからそれを込めて“おしん”って最初っから決めてあった。“おしん”だけは決めてて、なぜか(笑)。

 

【N】そして、撮影が始まった。

【橋田】(撮影現場に激励に訪れた時の写真を見せながら)これですよ。寒かったんですよ。

【N】1983年1月。橋田も現場に駆け付けた、あの大切なシーンの撮影。真冬の最上川で、おしんが奉公に出される別れの場面。だが、撮影は簡単ではなかった。理由は、橋田が台本に書き込んだ一文字。“筏(いかだ)”。橋田は、自分が聞いた話を忠実に再現することにこだわった。しかし、当時この地域でいかだはもう使われていなかった。スタッフは地元の人に頼み、撮影の40日前から準備して、当時と同じ材料でいかだを作った。誰もが橋田の思いにこたえようと、必死だった。
スーパー
──山形県大江町 庄司 利彦・石川 博資──

【庄司利彦】どうせやるなら、やっぱり……ちゃんとしたもの。当時の、やっぱり少しでも雰囲気が出れば、これに越したことはないと思って。

【N】そうしたこだわりの末に、あの場面が生まれた。スタッフ50人以上が見守る厳戒態勢の中、本物のいかだを使った、命がけの撮影。

ふ じ「しっかりつかまってろ! どだなことあっても立つなよ!」
おしん「(頷く)……。」
   いかだが音もなくゆっくりと進んでいく。
ふ じ「(おしんが立ち上がろうとする)おしん!」
船 頭「あっ危ない! 座ってろ」
おしん「(いかだから身を乗り出して)かあちゃん! かあちゃん!」
ふ じ「(涙を流してじっとこらえる)……。」
おしん「かあちゃん! かあちゃん!」

おしん「(遠くに作造の姿を見つけ)とうちゃん! とうちゃん! とうちゃん!」
作 造「(大雪に足元を取られながらいかだを追いかける)おしん! おしん!」
おしん「とうちゃん! とうちゃん! とうちゃん!」
作 造「おしん! おしん!」
   転倒する作造、その眼には涙。
作 造「おしん……すまねえ……すまねえ……」

【N】役者たちの懸命の演技に、橋田は現場で涙を流したという。

【橋田】ホントに、そんなみじめな時代があったんだなあとつくづく思いましたね。貧しさを知ってるから、だから貧しさっていうのは、やっぱり書いとかなきゃいけないなと思いましたよね(笑)。これが当たるかしらとか当たらないとか、全然思ってなかった。ただ書かしていただける場ができたっていうんで、すごい……乗ってたのは覚えてますね。

【N】橋田は、さらに当時の現実を忠実に描こうと筆を走らせていく。その一つが、この“大根飯”。

   炊き出しの釜をのぞき込むおしん。
おしん「あれ? このうちも大根飯か? おっきな店だから白い飯だとばっかり思ってたのに」
使用人・つね「店の衆5人も抱えてる大所帯だ。白い飯など食ってたら身上もたねえべ!」

【N】この大根飯も、橋田がいかだの話を聞いたときに存在を知ったものだった。その作り方を苦労して調べ上げたのが、時代考証家の天野隆子。米が不足していたため、大根でかさ増しした“大根飯”。当時の庶民の暮らしは、ほとんど記録に残されていなかった。天野は、数えきれないほどの資料を読み込み、ついに、その作り方を探し出した。
スーパー
──時代考証家・天野 隆子──

【天野隆子】見込んで、頼まれたわけですから。私がね。それで答えが出なかったら……どうしようと思って、必死でしたね。何日通ったか分からないですね、国会図書館に。

【N】その大根飯を食べる場面を、橋田は豊かな時代に突きつけるように、あえて何度も使った。しかし、橋田とともに撮影を見守ったプロデューサーの小林(岡本)由紀子は、それが視聴者にどう受け止められるか自信はなかった。

【小林由紀子(以下、岡本)】朝ドラでこんな、こんな暗い話やっていいのっていう……すごく不安があったんですね。だってそれまでの朝ドラってのは、だいたいみんな夢を持ってって、なんか……希望に満ちた女の子が明るく元気にさわやかにっていうのが、まあ朝ドラのね、定番っていうか決まりごとみたいだったわけでしょ。なんか放送が出るまでは、もうすごいドキドキハラハラ、なんか恐る恐るみたいな感じで、あの……放送が出ていくのを待ってたっていう。

【N】結果は、小林も驚くものだった。大根飯は豊かな時代に、大ブームとなったのだ。

【飲食店店員】お待たせしました、これがうわさの大根飯です。
【飲食客】はい、しんちゃんも。おいしいよ。(泣き出すしんちゃん)そんな顔しないでー(笑)。

【N】NHKには連日、視聴者からの便りが寄せられた。「涙なしでは見ていられません」「私によく似たところがあって、びっくりしています」

【岡本】大勢のおしん的な人たちの、人生が詰まっているわけだから、視聴率が、見る方が増えて、その話を聞いた娘や孫が、またそれを見るようになる。あ、おばあさんたちの人生ってこうだったのねっていうことが、分かってくるわけですね。そうやってやっぱりだんだんにすそ野が広がっていった、と。だから50を超える視聴率に、やっぱりなったんだと思うんですよね、うん。

 

【N】そして、ドラマの中の時代が変わり、おしんが母親へと成長したころ。橋田はもう一つ、どうしても伝えたかったテーマに取り組む。

 仁 「神風特攻隊のニュースを聞いて、じっとしていられなくなったンだ。お国のために死ねるンなら、こんな光栄なことはないさ。いつだって喜んで……」
   おしん、仁を平手打ちする。
竜 三「おしん!」
おしん「何も分かんないくせに特攻隊なんかに憧れて! 命を粗末にすることだけは、母さん許さないからね!」

【N】日本が戦争に突き進んでしまった、時代への反省。橋田は、敗戦後感じてきた自責の念を、こんなセリフに込めた。

おしん「母親なのに自分の息子も守ってやれなかった……」
 雄 「母さん……」
おしん「(目に涙を浮かべ)母さん一人でも、何の力もなくても、反対しなきゃいけなかったンだ。自分の息子が戦争に駆り出されると思ってなかったンだよ!」

【橋田】戦争責任はどこまであるかっていう。私だって戦争責任あるんですよ、ホントに。あの軍国少女でしたから。

【N】戦争中、橋田も海軍の経理部で働いていた。日本がいい戦争をしていると思い込み、何の疑いもなくお国のために働いた。しかし、突然の終戦の知らせ。戦争を後押ししていた大人たちが、何事もなかったかのように態度を豹変させたことが、橋田には腹立たしかった。

【橋田】終戦の日に、急に短剣外してきて集まってきて、なんか変だなって思ったんですよね。そしたら天皇陛下のあの詔勅があったんですけど。なんか(周囲が)淡々と受け入れている、それがすごく不思議だった。私たちは泣きましたけど。またその人たち、また新しい時代がくるみたいな顔をしてましたもんね。戦争に別に協力しない平和な生活をしてても、責任を感じる。それが日本人だろうと私は思ったんですね。だから、戦争責任を感じてない人は、腹が立ちましたね。

【N】それでも人は生きていかねばならない。傷つきながらも、また立ち上がっていくおしんの姿に、橋田は希望を託した。

おしん「(隣に座る仁に)もっともっと立派な家、建ててみせるからね」

おしん「(雄の位牌を前に)母さん、これから一生懸命に働いてお金もうけるわ。この戦争でなくしてしまったものを、きっと取り返してやる。母さんの腕一本で取り返して見せるから」

【N】逆境にめげず、たくましく生きるおしん。橋田には、どうしても見てほしかった人がいたという。おしんが生まれたのは明治34年という設定。それは、昭和天皇が生まれた年だった。

【橋田】天皇陛下がご覧になるかどうかは分かんないけど、天皇陛下が……の時代に、こういう苦労をして、あの……生きてきた女がいるんだよっていうことを分かってほしかったんですね。天皇陛下と同じ世代の女性が、一番苦労したんだな、と。それはいっぺん書いておきたいと思った。ああそうか、天皇陛下の時代はそうだったんだなと思ってもらえればいいなあと思って。

<後編へ続く>

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