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2020年2月28日 (金)

プレイバック信長・(16)神の戦士たち

【アバンタイトル】


ザビエル来日以来、イエズス会宣教師の布教活動は
地理的条件もあって、九州を中心に行われていた。
彼らは異国で不慣れな生活を強いられ、戦乱に巻き込まれたが、
その力強い活動によって順調に信者を増やしていた。


そのころヨーロッパでは宗教改革によってプロテスタント、
いわゆる新教徒が増え、勢力を広げていた。


保守派はこれに対抗するべく異端審問制度を適用し、
特にイタリア・スペインでは、悪魔に取りつかれた人間として
プロテスタントの疑いのあるものを次々に宗教裁判にかけ、
火あぶりの刑に処した。


イエズス会は筋金入りの保守派である。
その宣教師たちが自らの命を削る思いで
日本での布教活動を続けていたのは、
皮肉な話と言わねばならない。


やがて信長はフロイスと出会うことになるが、
果たしてキリストの神を理解することになるだろうか──。

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2020年2月25日 (火)

プレイバック信長・(15)家庭の問題

【アバンタイトル】


のちに有名になった徳川家康は、
当時松平元康と名乗っていた。
彼は三河松平家の嫡男として岡崎城に産まれたが、
その人生の大半は悲劇的であった。


まず3歳の時に母が離別され、彼の前から姿を消した。
6歳になると織田信秀の人質となり、8歳で父親が家臣に殺された。
その後彼は今川義元の人質となって駿河に送られたのである。
それから11年間、彼は人質の暮らしに耐えた。


その彼に一大決心を与えたのが桶狭間の戦いである。
彼は今川方の一武将として一番危険な仕事をさせられたが、無事に生き延びた。
そして今川義元の死を知るや、一目散に岡崎城に逃げ帰り、
初めて自分の城の城主になったのである。


故郷岡崎を出てから13年目のことである。
でも、彼の悲劇は終わったわけではなかった。
むしろ、この後に続く人生の方が、もっと辛いものだったかもしれない。
それに比べれば、信長ははるかに坊ちゃん育ちである──。

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2020年2月23日 (日)

大河ドラマ麒麟がくる・(06)三好長慶襲撃計画

天文17(1548)年・秋。

都で随一の権勢を誇っていた管領・細川晴元と、
その家臣で、力をつけてきた三好長慶が
京の覇権を巡り、一触即発の緊張状態にありました。
主君を家臣が討つ、下克上が横行していた都は、
不気味な静けさに包まれていたのです。

家臣の松永久秀の陣所を訪れた三好長慶は、京の様子を久秀から聞き取りします。
晴元は、はなから長慶が明日にでも摂津から都へ軍勢を進めると疑っていて、
人を疑うその性格を長慶は鼻で笑いますが、
今こうして長慶はお忍びで摂津から入京しているので、
それを知った者たちはみな、驚くだろうと久秀は笑います。

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2020年2月21日 (金)

プレイバック信長・(14)桶狭間の戦い(後)

【アバンタイトル】

当時、軍勢の移動速度は想像以上に早かった。
5,000人規模の軍団でも1日30km以上移動できた。
例えば、今川義元の本体5,000は、一日で浜松から豊橋まで、
翌日は豊橋から岡崎までという速さで歩いた。

5,000という軍勢は、全員が馬に乗っているわけではない。
馬上の武士は500人程度、あとは徒歩の下級武士、
槍組、弓組、鉄砲組の足軽たち、
予備の武器から食料まで積んだ多くの荷駄隊、それを押し続ける者たち、

その他、刀、槍、馬具、鉄砲、荷車などを修理する職人たち、
そして使者を葬るための僧侶まで同行していた。
そういった軍団が1日30kmを移動するのである。
まさに、戦争のプロたちであった。

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2020年2月18日 (火)

プレイバック信長・(13)桶狭間の戦い(前)

【アバンタイトル】

戦国時代と言っても、日本全国、
毎日のように戦をしているわけではなかった。
京都など一大消費都市を中心に、人の往来、商品の流通も多くなると、
大名の商業政策もあって、経済活動は徐々に活発になっていった。

そういう中で、特に堺は商業都市として発達し、
海外貿易においては日本一の規模を誇っていた。
当時堺を訪れた宣教師・ラスパル・ヴィレラは、本国への報告書の中で、
堺は甚だ富み、住民多数にしてベニスのごとき政治を行えり、と書いている。

そのころのベニスは、新大陸の発見や
喜望峰周りの新航路の発見で、急速にその力を失っていたが、
地中海貿易を中心として、一時は世界一の商業都市であり、
共和制による自由都市でもあった。

堺も、会合衆という組織によって自主的に町を運営し、
周囲に堀を巡らせて大名の支配を拒否していた。
いわゆる自由都市である。
当然、信長にも興味があったはずである──。

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2020年2月16日 (日)

大河ドラマ麒麟がくる・(05)伊平次を探せ ~光秀再び京へ~

天文17(1548)年・秋。

明智光秀は、今まで練習を積んできた鉄砲について斎藤利政に披露します。
実際に遠くにある甕を打ち割って、当たった! と大喜びする利政です。

しかし実戦で使えるかというと手間がかかりすぎるし、玉薬は美濃では手に入らないため、
光秀は、将軍足利義輝が鉄砲を集めているというのは考えにくいと説明します。
ただ、威力で考えれば弓矢では及ばないほどの殺傷能力があるので、
光秀は鉄砲を分解して、もっと早く鉄砲を撃てるようにできないかと思案します。

家臣の藤田伝吾は、伊平次という腕は確かながら酒癖の悪い男が
美濃の刀鍛冶屋では長続きせず、近江の国友村に流れていったという
うわさ話を光秀の耳に入れます。
「京のある筋から頼まれ、鉄砲を修理しているとか」

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2020年2月14日 (金)

プレイバック信長・(12)尾張統一

【アバンタイトル】


信長が弟・信行を抹殺したころ、
室町幕府第13代将軍・足利義輝は都を追われていて、
京都は、阿波の大名・三好長慶らによって支配されていた。
幕府はその政治力だけでなく、財政的な力も失っていた。


一方、甲斐の武田信玄と越後の長尾景虎は、
三回目の川中島の合戦を終え、
やがて始まる四回目の合戦に備えていた。


そして駿河の今川義元は、商工業などの発展のため、楽市を実施しながら
国内の支配体制を固め、なおも西に向かって勢力を広げていた。
今やその勢力は遠江から三河を抑え、
尾張国内の知多郡を始め、鳴海、大高、沓掛城にまで及んでいた。


信長は、まだ身内同士の勢力争いを続けていたのである。
残るは上4郡の守護代で、岩倉城主の織田信賢だけであった。
信長は、他国が侵入してくる前に尾張を統一し、力を結集しなければならない。
そのための時間は、あまり残ってはいなかった──。

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2020年2月11日 (火)

プレイバック信長・(11)弟よ

【アバンタイトル】

フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した後、
およそ2年間滞在し、その間日本での布教許可をもらうため
京都まで行って天皇に陳情しようとしたが果たせず、
結果、山口と九州で布教活動を始めることになった。

その後ザビエルは、日本にトルレス神父らを残しインドに帰ったが、
すぐ中国への布教のため、広東を目指しての上陸を目前に、
広東沖合のサンシャン島で、病のため46歳の生涯を閉じた。

彼は、フランス国境に近いナバラ王国の貴族の家に生まれたが、
19歳の時パリ留学のために家を出た。
そして二度と故郷を見ることなくこの世を去ったのである。

彼に対する評価はいろいろあるが、日本に
ヨーロッパ文化を伝えた人のひとりとして、その功績は大きい。
彼の右腕は今でも、ローマのジェズ教会に保存されている──。

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2020年2月 9日 (日)

大河ドラマ麒麟がくる・(04)尾張潜入指令 ~光秀は菊丸と敵地尾張へ~

天文17(1548)年・春。

海道一の弓取りと言われた駿河の今川義元が軍を動かします。
目的は、三河の制圧と尾張への侵出でした。

織田信秀の軍は、三河の小豆坂で今川軍を迎え撃ちますが、
両軍譲らず、決着がつきませんでした。
この戦いは痛み分けに終わりますが、尾張古渡城に戻った織田軍の消耗はひどかったのです。

 

斎藤利政から稲葉山城に呼び出しを食らった明智光安と明智光秀。
小見の方の容態もだいぶ安定し、望月東庵と駒が京に戻る日が来たのです。
まっすぐ京に戻る、という東庵に、利政は笑って指さします。
「ここから尾張へ向かわれるのではないかな?」

利政の調べでは、尾張の織田信秀とは昵懇の間柄でありまして、
かけ事では信秀に10貫ほどの借金をしているのだとか。
そこまで調べられているのでは嘘は通らぬと、
大笑いしながら白状する東庵です。

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2020年2月 7日 (金)

プレイバック信長・(10)骨肉の争い

【アバンタイトル】

信長は、守護代を排除することで、
事実上 下4郡を制することになったが、
その実情は複雑であった。
下4郡の領地すべてを完全に支配できたわけではなかった。

領内には、貴族所有の領地、寺や神社のもの、
そして土着の地侍・豪族たちの土地が混在していて、
それぞれが、領地内の農民や商人などを支配していた。

信長は、まだ大名にはなっていないが、
一般的に守護大名はそれら領地所有者から税を上納させていて、
直接、農民や商人から税を徴収していたわけではなかった。

そのために、大名の領国経営は複雑であり、
経済面からも多くの不安定要因を抱えていた。
その結果、大名の権力が衰えれば、
下からの力によって倒されたのである。

信長はいま、
尾張の小勢力の中で一歩抜きんでてはいたが、
完全な支配体制を確立するためには、
まだほど遠いものがあった──。

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2020年2月 4日 (火)

プレイバック信長・(09)道三敗死

【アバンタイトル】

戦国時代、槍は重要な武器のひとつだった。

当時普通に使われていたものは、長さ一間半、およそ2メートル70だった。
次は、美濃の斎藤道三が考えたと言われる、二間半の槍である。
かなり長い。およそ4メートル50である。
戦の時、槍同士のたたき合いに使ったのではないだろうか。

『信長公記』によれば、信長は「とかく槍は短くてはいけない」と言って
道三の槍を超えるべく、三間半の槍を作ったとされる。
しかし専門家によれば、三間半の槍は実践には使えそうにない、という。

槍の柄は、硬くて重いアカガシを使うことが多く、
6メートル半の槍は、持ち運ぶだけでも不便だという。
ただ当時、槍の一間が建築上の一間とは
別の単位だとすれば、話はおのずと別である──。

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2020年2月 2日 (日)

大河ドラマ麒麟がくる・(03)美濃の国 ~光秀の故郷に生きる人々~

天文16(1547)年・秋、尾張の織田信秀が2万あまりの兵を率いて
美濃に押し入り、壮絶な戦いが繰り広げられました。
世にいう「加納口の戦い」は、斎藤利政の策により美濃方が勝利します。

織田信秀を扇動し、この戦いを起こさせた首謀者は、
帰蝶の夫・土岐頼純でした。
美濃の実験を取り戻そうとした、この若い守護は、
家臣である斎藤利政によって、その命を奪われてしまいます。

 

明智光秀は、いつか命を助けた菊丸という男と再会します。
実家の三河に帰ったら、お礼をして来いと追い返され、
イワソバ草という腹痛に効く薬草を持たされて戻ってきたのです。

明智家の家臣である藤田伝吾の世話をしていた駒は、
そろそろ薬草が底をついてしまうと嘆いたところでしたが、
菊丸が大量に持っていた薬草を見て、
それが生えている場所に案内してもらうことにします。

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