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2020年7月28日 (火)

プレイバック春日局・(08)嫁(とつ)ぐ

先ごろ、アメリカの首都ワシントンで戦国大名の美術展が開かれました。

鎧や兜や陶磁器など大名ゆかりの美術品が330点。
その中で人目を引いたのが、1艘のおもちゃの船です。
豊臣秀吉が初めて授かった男の子・鶴松にプレゼントしたもので
可愛らしい鶴松の像が乗っています。

しかし鶴松は3歳で亡くなり、
秀吉はその悲しみを振り払うかのように
全国に朝鮮半島への出兵を命じたのです。

一方、東京八王子には
朝鮮半島出兵にゆかりのあるもう1艘の船があります。
軍船を建造するために用いた「ひな形」、つまりモデルです。
秀吉はこうした船で、15万もの人々を戦場に送り込んだのです。

子どもの成長を願うおもちゃの船と、軍船。
今に残る2艘の船は、秀吉の全く異なる側面を物語っています。
この2艘が巻き起こす時代の渦に、
おふくたちも呑み込まれてゆくのです──。


文禄2(1593)年の秋──。
おふくの祖父・稲葉一鉄が没してから5年、
おふくがお安とともに美濃清水城に移り住んでから8年、
そして本能寺の変から11年の歳月が流れていました。

15歳に成長したおふくは、稲葉正成とつるの子ども
おふじと君丸と裏山へ栗拾いです。
ただ、過ぎ去った歳月の間におつるが亡くなり
若い正成に、後添えの話がちらほらと。

おふくは、慣れない後添えが来たら
二人の子たちが哀れだ、(だから自分が……)
とお安に訴えてみますが、
お安は「すぐに慣れる」と取り合いません。

まあ、おふくも 正成への憧れの気持ちを
明らかにできるタイミングではないので、
母に対してさえ黙っているしかないのですが、
表情は、まるで何かを欲しがる子どものようです。

清水城に戻ってきた重通と正成はおつるの死を初めて知り
秀吉の子・拾が生まれたことで朝鮮出兵が終わって帰国でき
これからようやく正成とおつるが一緒に暮らしていけるという
こんな時に……と衝撃を受けます。

おつる亡き後、おふくが親代わりとして
愛情たっぷりに育ててきたわけで、
それもこれも、疱瘡で病んだ時に献身的に看病してくれた
おつるへのご恩返しのつもりだったと言います。

ただ、正成が帰って来たこれからは
子どもたちは正成とともに暮らすことになります。
正成は、おふじと君丸を呼んでだっこしようとしますが、
子どもたちは「やじゃ!」と何度も拒否されてしまいます。

それだけ、おふくを母親のように慕っているのでしょう。
寂しそうに子どもたちの前を去っていきまして
おふくは胸が張り裂けそうになり、
仏間を飛び出して行きます。

月桂禅院に戻ったおふくは
心の中のモヤモヤをかき消すべく薙刀の稽古を始めます。
おふじは、そのおふくを追って来ますが、
侍女にたちまち連れ去られてしまいます。

入れ替わりで禅院に入ってきた正成はおふくに礼を言います。
おふくは、「差し出がましいことを致しました」と詫びつつ
一鉄が亡くなってから失意のどん底にいたおふくが
子どもたちにどれだけ慰められたか、と打ち明けます。

「でも、おふじさまと坊のことは……忘れまする」
涙をこらえておふくは中に入っていきます。

初めての父との生活で、
子どもたちはワンワン泣いていたようで、
侍女のお袖を手こずらせ、ようやく寝ついてくれました。
ただ、これからもこうだと先が思いやられます。

早く後添えを選んでやらなければ。
そういう重通に、おたかが思い切って提案してみます。
「いっそ……おふく殿を後添えに」

それを聞くや否や、重通は大反対です。
嫁入りにはまだ早すぎるし(←特段早いわけでもない?)
一鉄が丹誠込めて育てた女子なので、いずれは稲葉の養女として
縁組みを考えなければという思いがあるのです。

それでも、おたかは重通に何度も何度も願い出ます。

「おふく殿を他家へ嫁がせるのはまこと惜しい。
 正成殿にくださらぬか」
茶室でおたかは、お安とおふくに衝撃発言です。

正成は、北政所(寧々)の兄の子ども・小早川秀秋の
付家老になることが決まりました。
秀吉の評価が高いので、ポンポンと
出世街道まっしぐらなのです。

「あまりにご勝手じゃ」
お安は、おたかの前では表に出しませんでしたが
おふくとふたりきりになると大激怒。

正成の出世の話が出てきましたが、
それよりもおふじと君丸がおふくに懐いているから
言っているに違いありません。
おふくにも、気を遣う必要は全くない、と言います。

しかしおふくは、意外にもまんざらでもない様子で
この話をお受けしようと思う、と母に告白します。
おつるを見ていれば、正成の人の良さがよく分かります。
あれほどおつるを幸せにできたお方なら……。

「おふたりも子があるお人のところに……苦労しますぞ」
深いため息をついたお安はおふくを見つめます。

おたかの説得は、それを最初から望んでいたおふくをはじめ
お安や重通の心を動かし、ようやくまとまりかけていたころ
最重要人物が反対を唱え出します。
正成本人です。

おつるとの縁が切れたら、
重通の婿養子に入った正成は無縁になってしまうので、
稲葉家とつながりのあるおふくを後添えにして
縁をつなげたままにしておくというのはありがたいお話ですが、
おふくを犠牲にしてしまうのが正成には耐えられないのです。

「おふくはの、おふじや君丸も可愛いが
 何よりそなたに嫁ぎたいと言うておるのじゃ」
重通は、自分たちが押し付けた話ではない、と説得します。

おふくの、お側においていただきたい、という言葉もあり
正成はしばらく悩んだ挙げ句、
後添えとして迎えることにします。

そして最初こそ父母の菩提を弔いたいと
美濃清水城に残る意志を固めていたお安でしたが、
正成のたっての願いで、おふくとともに
丹波亀山城の小早川秀秋のところへ移ることにします。

丹波亀山城といえば、父・斎藤利三が
主君の明智光秀とともに織田信長を本能寺で討った時に
暮らしていた城で、これも何かの縁かもしれません。

永禄3(1594)年正月、
正成とおふくの祝言がささやかに行われ
おふくとお安は、8年間を過ごした
美濃清水城に別れを告げます。

おふくたちは、まず大坂城に入ります。
豊臣秀吉と寧々に挨拶するためです。

秀吉は、拾が生まれたことで
目に入れても痛くないほど可愛がっている
じいちゃん……いやいや、父ちゃんですが、

正成がおふくを紹介すると、おふくの顔をじっと見て
そなたが斎藤利三の娘か……と感慨深げです。
しかしその横に座している茶々は、斎藤利三という名を聞くと
おふくを見る眼光が鋭くなり、睨みつけるようになっていきます。

 続いて寧々と対面した夫婦。
正成が秀秋に仕えるにあたって、
寧々から正成にお願いしたいことあり……。

鶴松が生まれたもののすぐに没し、秀吉は失意のまま関白職を
豊臣秀次に譲ったのですが、その後に拾が生まれたため、
関白を譲ったことを後悔するほどで。

拾が生まれてからというもの、秀吉は人が変わってしまいました。
正気を失っている秀吉は、秀次に対して何をするか分かりません。
秀秋も同じです。拾を潰す存在の身内はみな敵という見方の秀吉は
秀秋の命をいつ奪うか分かりません。

正成には、秀秋の軽い行動が秀吉の怒りに触れないように
かばってやってほしい、というのです。

大坂城を出て、丹波亀山城に入ったおふくたち。
おふくが感じている不安がうそのように、穏やかでした。
おふくは、幼い自分が
戦場に向かう兄・斎藤利康を見送った地で
母とともに感慨にふけります。

そこに、小早川秀秋が出迎えにきました。
「そなた馬で来たのか? 正成の女房はまるで男じゃ」
頼もしいのう、と笑う秀秋は、
太閤殿下の様子など聞かせてくれ、と言って馬で駈けていきます。

正成は5,000石をもらうことになっておりまして、
40人近い使用人もおります。
おふくの役目は、それらの者たちを束ねることで
おふくには少々大変なおしごとになりそうです。

でも、斎藤利三の娘ゆえ、
結婚も出来ないかもしれないと諦めたときもあったし、
謀反人ゆかりの娘ということで、城を落ち延びて
放浪して苦労していた時に比べれば夢のようです。

「いつまでも、この夢が醒めませぬように」
正成はおふくを抱きしめます。

おふくにとっては、一時おとずれた平和なときでした。
しかし豊臣家の動きは常に不穏でした。

文禄4(1595)年7月、
関白秀次は謀反の疑いで高野山で切腹。
秀次の子女妻妾のすべて38人が京の三条河原で処刑されて
住まいとなっていた聚楽第も取り壊されます。

拾誕生による悲劇は、秀吉の身内だけではありませんでした。
茶々の居室で、朝鮮から取り寄せた虎の肉を食っている秀吉はお江与を呼び出し、
徳川家康の三男・徳川秀忠に嫁ぐように命じます。
三男といっても、家康の後継者であります。

「お断り申し上げます」とお江与は手をつきます。
秀吉の命で佐治与九郎に嫁ぎ、これまた秀吉の命で離別させられ
今度は秀吉の命で羽柴秀勝に嫁がされ、
秀勝は朝鮮出兵の折に病没してしまったのです。

今後は誰の妻にもならず、
大坂城の隅っこで暮らしていくつもりです。
しかし茶々はお江与の前で手をつき、
お江与が豊臣と徳川の橋渡しになってくれ、と頭を下げます。

「私は、秀吉殿と姉上の道具になるのはもうたくさんじゃ」
どうしてもというなら、尼になる──。
お江与は茶々の居室を飛び出して行きます。

丹波亀山に着任してすぐですが、
正成一家は筑前に移ることになりました。
秀秋が、養父小早川隆景の領地36万石を継承し
筑前名島城主になったのです。


文禄4(1595)年7月15日、
関白豊臣秀次が高野山に追放され、切腹させられる。

寛永6(1629)年10月10日、
おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで

あと36年2ヶ月──。


原作・脚本:橋田 壽賀子 「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
──────────
[出演]
大原 麗子 (おふく)
長山 藍子 (お江与)
山下 真司 (稲葉正成)
香川 照之 (小早川秀秋)
──────────
大空 眞弓 (茶々)
織本 順吉 (稲葉重通)
小林 千登勢 (たか)
──────────
藤岡 琢也 (豊臣秀吉)
香川 京子 (寧々)
佐久間 良子 (お安)
──────────
制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸

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