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2020年7月 7日 (火)

プレイバック春日局・(02)天下をとる

【アヴァン・タイトル】

「春日局」ことおふくは
1579年(天正7年)に生まれました。

しかしその出生地には定説がなく
父・斎藤利三ゆかりの場所で、
いくつもの説があがっています。

岐阜県揖斐川町は利三のふるさとで、
斉藤家代々の居城だった白樫城と
一家が生活した屋敷跡が残っています。

利三は主君に従って勤務地を変える、言わば転勤族。
おふくの出生地が定まらないのは、そのことに関係があります。

岐阜の大垣市にある曽根城跡。
稲葉一鉄の居城だったところです。
利三は明智光秀に仕える前に
一鉄の家臣としてここに住んでいました。

こちらは兵庫県の春日町。
明智光秀の丹波平定の際に利三が入ったのが保月城です。
屋敷跡の興禅寺。
おふくは「斎藤屋敷のおふく様」と呼ばれて
領民から慕われていました。

城から城へと移り歩いた父・利三の転勤の影に
知られざるおふくの幼年時代が眠っているのです──。


天正10(1582)年6月2日・早暁。
織田信長は、天下取りの夢を賭けた明智光秀の急襲により
49年の生涯を、本能寺の炎の中で終えました。

光秀の丹波亀山城に人質として上がっているお安は
信長が討たれたことが未だに信じられません。

もしそれが本当だとしたら、
ここ亀山城は天下を獲った光秀の城なので
信長に味方する武将たちがこぞって集まり、
戦の主戦場になり得ます。

お安は、自分はここで戦う覚悟なので
侍女のおかねには、いざという時には
出来丸とおふくをつれて落ち延びるように頼みます。

本能寺の変の報が各地を巡り
徳川家康の耳に入ったのは、
穴山梅雪とともに2日ほど奈良や堺に遊んだ後。
信長に会うために京に向かっている途中でした。

「なに……光秀謀反!?」
家康は、重臣本多忠勝の勧めの通り
岡崎に戻って軍備を整え、
光秀討伐軍を出すことにします。

坂本城では、信長の安土城攻めを前に
光秀は足利義昭や毛利輝元、細川藤孝らに書状をしたためます。
光秀は斎藤利三を呼び、舅である稲葉一鉄と会って
光秀に味方してくれるように頼めと命じます。

味方するなら、美濃の憂いはなくなるわけで
光秀としてはとても嬉しいのですが、
利三は、一抹の不安を抱えながら
翌朝、美濃へ発ちます。

細川藤孝・細川忠興父子が本能寺の変を知ったのは翌3日。
光秀と同じように羽柴秀吉の救援のため
備中高松城に向かう途上でしたが、
報を聞くや否や急いで丹後宮津城に取って返します。

そして忠興の妻で光秀の娘であるたまを幽閉すると
反光秀の態度を明らかにしたわけです。

美濃の稲葉一鉄のところへ赴いた利三は
舅の一鉄や義兄の稲葉重通に
お久しゅうございます、と頭を下げますが、

「お主、ようもぬけぬけと儂のところに来られたな!」
娘の婿でなければ斬り捨てていたわ、と
自分のところを出奔し光秀のところに走った
娘婿への怒りは未だに解けていない模様です。

そして、次兄の稲葉貞通は援軍のために京に向かったところで
あの本能寺の騒ぎに巻き込まれ、未だに消息不明です。
稲葉にとっては光秀も仇、利三も仇なのです。
利三は、明智に対する冷たい態度を肌で感じ取ります。

ただ、そこに貞通が無事に帰城しまして
一鉄の怒りも少しは和らぎます。
美濃は引き受けた、と言った一鉄は
貞通の無事の帰還と、光秀の天下を祝って酒を用意させます。

中国に出陣している羽柴秀吉には
2日の時点では本能寺の変の報は届いていませんでした。

秀吉は、毛利方の将・清水宗治が守る備中高松城を
水攻めにして孤立させていました。
毛利軍を牽制しながら、信長の援軍を待ちつつ
毛利軍との和議に持ち込もうと努力していました。

夜10時ごろ、秀吉の陣を毛利方のものと間違え
紛れ込んだ密使が捕まり、秀吉の前に連れて来られます。
小早川隆景に宛てた書状を持っていたらしく、
秀吉はそれをじっくりと目を通すと……。

そやつの首をはねい! と命じると、
秀吉は一目もはばからずに泣き崩れます。
「謀反じゃ……光秀が上様を!」

直ちに京へ戻って光秀を討つため、
宗治ひとりの切腹で城兵の命は助ける、という条件で
秀吉は高松城に急いで和議を取り付けます。
ただし、信長の横死は伏せたままで結ばなければなりません。

光秀が万感の思いをこめてしたためた密書は、
ついに毛利には届きませんでした。
全くの偶然が、光秀と秀吉の命運を変えて
天下を変えていくことになります。

6月4日。
家康主従は命からがら岡崎城へ戻ります。

しかし同じ道を少し遅れて落ち延びていた穴山梅雪は
光秀方の襲撃に遭い、最期を遂げたそうです。
人の命運を隔てるのは紙一重、と家康は大笑いします。

家康はさっそく、戦支度を始めます。

明智勢は丹羽長秀の佐和山城を攻め落とし
京極高次に秀吉の本拠・長浜城を攻めさせて
秀吉の妻・寧々たちは城から落ち延びていきます。

そして利三は、長浜城に城主として入ったわけで
お安は、長浜城主の妻ということになります。

「お安殿は、寧々に代わって長浜城主のお方様じゃ」
海北友松と東陽坊長盛は、あまりにお安に対して
寧々、寧々、とうるさく言って
お安は寧々を「おいたわしや」と言っていますが、

お安役の佐久間良子さんは、この『春日局』放送の8年前に
『おんな太閤記』主演として寧々役を演じておられまして
そんな佐久間さんは、このセリフのやり取りを
どう感じながら演じておられたのでしょうね。

『春日局』も『おんな太閤記』も同じ橋田壽賀子先生脚本ですので
橋田先生がそれを狙っていたかどうかは分かりませんが、
そういった、セリフの上のつながりに、
Kassyはどうしても、ニヤリとしたくなるわけです。

坂本城では、安土城の様子を探らせていた
兵士からの報告を聞き、
明日にも安土城に入ると光秀は意気込みます。

ただ、利三は光秀が書状を送った細川藤孝父子の
動きがないことを不審がります。
明智秀満は、細川は必ず明智の味方になると自信満々ですが、
その見誤りが、明智の足元がすくわれることになります。

同じころ、毛利との和議の条件を大幅に譲歩した秀吉は
宗治が切腹して果てるのを見届け、
全軍の備中からの引揚げを命じます。

午後4時に、本能寺の変と信長横死の知らせが毛利方に届き
そこで初めて秀吉に欺かれたことを知ったわけです。

秀吉は、姫路への道をひた走りに走ります。

6月5日、光秀は宿願の安土城入りを果たし
家臣たちの労をねぎらって
安土城に残された財宝を家臣たちに分け与えます。

しかし明智軍は山城・近江・美濃を抑えただけに過ぎず
秀吉討伐、諸大名勧誘など道は遠く
天下を抑えていくのはこれからだとして
今は褒美をいただく時にはあらずと利三は辞退します。

利三の気持ちも分かる、と頷く光秀ではありますが
光秀が安土城に入ることはひとつのけじめだったので
それが分かってもらえないというのは残念だ、とつぶやきます。

利三には、そんなつもりで辞退したのではなかったのですが
光秀・利三主従に、軽く亀裂が入ったのはこの時です。

6月6日、秀吉は無事に姫路に到着します。

光秀が安土城に入って3日目の6月7日、
朝廷より勅使・吉田兼見が安土に派遣され
光秀の存在を朝廷からも認められた、ということで
光秀にとっては生涯最良の日となります。

これまでは主を裏切って討ち滅ぼしたという
“謀反人”という側面もありましたが、
朝廷に認められたことで、
謀反人の誹りは免れることができます。

ご機嫌な光秀は、家臣たちの前でひとさし舞います。

安土城の光秀も利三も、亀山城のお安もおふくも、
前途に不安を感じてはいませんでした。
秀吉が姫路城まで戻って、光秀討伐の軍備を整えつつあることなど
思いもよらなかったのです。


天正10(1582)年6月4日、
羽柴秀吉が備中高松城を撤収、姫路城に急ぐ。

寛永6(1629)年10月10日、
おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで

あと47年4ヶ月──。

原作・脚本:橋田 壽賀子 「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
佐久間 良子 (お安)
江守 徹 (斎藤利三)
大坂 志郎 (稲葉一鉄)
織本 順吉 (稲葉重通)
川津 祐介 (稲葉貞通)
五大 路子 (かね)

──────────
藤岡 弘 (織田信長)
吉 幾三 (海北友松)
ガッツ 石松 (東陽坊長盛)
──────────
五木 ひろし (明智光秀)
藤岡 琢也 (羽柴秀吉)
丹波 哲郎 (徳川家康)
──────────
制作:澁谷 康生
演出:兼歳 正英

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