プレイバック春日局・(03)母子無情
【アヴァン・タイトル】
京都府福知山市。この町と明智光秀の結びつきは深く、丹波平定の際、光秀が築いた福知山城はつい最近復元されました。丹波地方での光秀の人気は絶大です。御霊神社は、光秀が御神体として祀られています。光秀は非凡な行政手腕の持ち主でした。合理的で、しかも領民への思いやりのある政策は今も語り草になっています。
本能寺の変以前の光秀の領地は丹波一国と近江の滋賀郡です。変の後、光秀は勢力を広げ「天下様」となりました。しかしその勢力は、信長に比べればわずかなものです。では、なぜ「天下様」と呼ばれたのか? それは、光秀が京都を制圧したからです。古代から、京都は天下統一の中心で、信玄も謙信も信長も、天下獲りに京を目指したのです。
信長に代わって「天下様」となった光秀の前途に待ち受けていたのは、天下掌握への険しい道のりです──。
朝廷から勅使も迎えて、名実ともに天下様となった明智光秀。自分の前途は洋々に開けている、と光秀は信じていました。6月8日朝に安土城を出発し、途中坂本城に立ち寄って一泊。9日にはついに上洛の予定です。そして夜には下鳥羽に向かい、10日には洞が峠に陣を構えて筒井順慶の到来を待ち、一挙に大坂城を襲うつもりです。
斎藤利三は、光秀が順慶の合力を前提に、今後の予定を組んでいることを危惧します。光秀は、順慶や池田恒興、高山右近、中川清秀らが明智の与力だから信じられるものばかりで、利三には何を疑っているのかと言いたげですが、このような変事が起こったときだからこそ、人心は迷い、天下の流れを窺って保身に走るものですし、本能寺を知った羽柴秀吉は各武将たちに書状を送り、信長の敵討ちをしよう! と呼びかけているようです。
秀吉の動きは未だに掴めていないと利三が主張すれば、光秀や明智秀満は、秀吉は中国攻めで貼り付けになっているので、中国から動けないはずだ、と利三を諌めます。6月10日、洞が峠に布陣した光秀のところに飛び込んできたのは、順慶が出陣を取りやめ大和郡山城に籠っている報でした。さらには細川藤孝・忠興父子も、たまを幽閉して髪を下ろして謹慎に入ったということです。信じていた者たちが、次々と光秀を見限った行動に出ていったのです。
6月11日、秀吉は尼崎に到着し、12日には光秀討伐の軍議を開いていました。その場に、光秀が自分の与力だからと信じ切っていた恒興、右近、清秀の姿がありました。信長の恩は受けたが、光秀には何の恩も受けていない、と信長の敵討ちに賛同する三人に、秀吉は涙します。もちろん、順慶にも秀吉は書状を送っていまして、それで順慶は光秀との合流を諦めたようです。
光秀は洞が峠で待ちぼうけだ、と秀吉は笑いますが、光秀が秀吉情報を何一つ持っていないのに対して、秀吉は光秀の動きを手に取るように理解しているのが、この戦の勝敗を分けているような気がします。秀吉は、13日に富田(とんだ)に出陣し、山城と摂津の境にある天王山を抑えて光秀の動きを封じるつもりです。
そのころ、光秀は淀城の修築に全力を挙げていました。「秀吉が尼崎に!?」 早馬が到着し、報告を受けた光秀が声を荒げます。順慶の変心は、秀吉の東進を知った上での行動だったのです。出陣して、天王山をいち早く掌握し、秀吉軍を迎え撃つことにします。しかし光秀が急いで天王山に向かった時には清秀がすでに天王山を抑えていて、これより天王山に近づくと秀吉軍が攻撃を仕掛けてきます。
丹波亀山城のお安は、下働きの侍女であるトメとキクを呼び、これまで尽くしてくれたお礼にと、着物を下げ渡します。彼女らのことが気に入らなかったわけではなく、光秀の苦境が知らされていたお安は、秀吉との戦が近づくにつれて、彼女たちを危険な場所に晒したくなかったのかもしれません。
勝龍寺城に軍を引いた光秀。天王山を占拠している清秀軍を正面から叩いて、何としても天王山を手に入れたいところです。しかし利三は、天王山に戦いを仕掛けるのは無謀と主張します。敵は清秀軍のみではないので、仮に天王山の清秀軍と戦っても、2方向からの道で羽柴軍に挟み撃ちにされてしまうわけです。それよりは、いったん近江へ引いて改めて秀吉討伐軍を立ち上げても遅くはないのです。
光秀は、利三に「臆病風に吹かれたか」と彼の進言を無視して、天王山攻めにかかることにします。
6月13日。光秀軍と秀吉軍が天王山にて激突します。合戦の火蓋が切って落とされたのはその日の午後4時ごろ。戦況は……残念ながら、利三の予測したとおりとなります。天王山を目指した光秀軍は、清秀軍・右近軍と戦っているうちに秀吉軍に包囲され、4万の軍勢から総攻撃を受け、たちまち浮き足立ってしまいます。
暴走した次男・斎藤利宗を助けようと長兄・斉藤利康が敵と斬り結びますが、一瞬のスキを突かれて、瀕死の重傷を負います。利三は、利宗に兄に助けてもらった命を粗末にするなと馬に乗せ、自らも、息子の行方を見失いつつ、去っていきます。「利康……利康! さらばじゃ!!」 残された利康は、斬り倒されて息も絶え絶えに、弟と父の後ろ姿だけを見つめています。
ついに天も見放したか……と光秀はひどく落胆します。しかし利三は、諦めるのはまだ早い、と秀吉軍に悟られないように近江坂本城に戻って安土城を守る明智秀満と合流し、再起を図りましょうと光秀を強く励まします。そして、光秀に無事に坂本城に戻れるよう、利三は殿(しんがり)としてしばらくこの地に留まり、秀吉軍を防いでおく、と言ってくれます。
光秀は、臆病風だの明智が負けるだの、利三の進言にいちいち反発してきましたが、結局は利三の言う通りになっていて、しかも嫡男は落命し、次男は行方知れずというのに、主君である自分を励ましてくれる利三に感謝の念を伝えます。「必ず、必ず坂本で会おうぞ」
「お城を出る。早う支度を」 夢にうなされていたおふくは、お安に起こされ農民の格好に着替えさせられます。おかねによって出来丸の着替えも素早く済まされ、亀山城から坂本城へ落ち延びる用意に入ります。秀吉軍がそこまで来ているという噂もあり、ここ亀山城は戦に巻き込まれる可能性があるのです。
混乱の中を、お安母子は落ち延びていきます。林の中で足を滑らせたおふくは少し滑落し、お安や出来丸たちで力を合わせて救助します。そして、出来丸がおふくにおぶってやろうと声をかけ、幼いおふくの手を引いて、頑張って歩いています。途中、残党狩りをしている秀吉軍の兵士たちの姿を見ると、林の中に伏せて身を隠し、ビクビクしながらの逃避行です。
坂本城まであともう少し、というところで煙が上がっていることに出来丸が気づきます。「お城じゃ……坂本のお城に火がかけられた!」 明智の者たちが火をかけたのか、羽柴の者たちに火をかけられたのか、どちらにしても城が落ちた今、坂本城に近づくことは危険です。しかし、諦めてはいけません。利三や利康、利宗に会うためにも、自分たちは元気に生きていなければなりません。
美濃の稲葉一鉄のところにも、戦況が伝わります。備中から取って返した秀吉が光秀と激突し、光秀が惨敗、敗走。これを追って秀吉は亀山城を落とした……。「何を致しておる! 早う消息を探らせろ!」落とされた亀山城にはお安母子がいるので、一鉄は心配で心配でたまらないのです。しかし稲葉貞通は、妹・お安たちを捜し出してどうするのか、と否定的です。謀反人・斎藤利三の妻を守れば、稲葉の家の障りにもなりかねないからです。
坂本城も焼け落ち、お安たちは行く場所がもうありません。秀吉軍が得た天下に身を隠して生きていかなければならないこれからの日々を思い、お安は途方に暮れるばかりです。
天正10(1582)年6月13日、
備中高松城攻めから引き返してきた羽柴秀吉軍と織田信長を討った明智光秀軍が山崎で激突する。
寛永6(1629)年10月10日、
おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで
あと47年3ヶ月──。
原作・脚本:橋田 壽賀子 「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
──────────
[出演]
佐久間 良子 (お安)
大坂 志郎 (稲葉一鉄)
織本 順吉 (稲葉重通)
川津 祐介 (稲葉貞通)
五大 路子 (かね)
──────────
吉 幾三 (海北友松)
ガッツ 石松 (東陽坊長盛)
──────────
五木 ひろし (明智光秀)
江守 徹 (斎藤利三)
藤岡 琢也 (羽柴秀吉)
──────────
制作:澁谷 康生
演出:富沢 正幸
◆◇◆◇ 番組情報 ◇◆◇◆
NHK大河ドラマ『春日局』
第4回「別離」
| 固定リンク
コメント