プレイバック春日局・(07)愛の鞭(むち)
おふくの祖父・稲葉一鉄。
彼はその生涯で戦場に臨むこと80回余り。
一度も負けたことがないと伝えられています。
その武勇は広く知られ、彼は西美濃三人衆のひとりに謳われました。
しかし、彼の晩年はいたって静かです。
65歳で隠居した一鉄は、
現在の岐阜県揖斐川町にある月桂院に庵を結びました。
文学に通じ、茶道を好んだ彼は、余生を趣味に生きたのです。
「峰にほふ 山路の月や 菊の秋」
一鉄の句です。
彼は、この庵の生活をこよなく愛しました。
晩年の一鉄の心に去来したものは何だったのでしょうか。
それを伝えるのは、今も変わらぬ月桂院の鐘の音ばかりです──。
美濃の稲葉一鉄の屋敷に入ったお安とおふく。
おふく7歳、見たことのない母のふるさとで
これからどんな暮らしが待っているのか、
不安に感じているおふくです。
美濃清水城では、一鉄の嫡男・稲葉重通と妻のたか、重通の弟・稲葉貞通、
そして重通の娘で稲葉正成の妻・つるが出迎えます。
はじめは廊下で手をつくお安母子ですが、
一鉄が優しげにポンポンと肩を叩き、対面所に足を踏み入れます。
斎藤利三にはあんなに厳しい態度だったのに
実の妹と実の姪とあっては、顔もおもわずほころびます。
重通も貞通もお安の苦労をいたわり、優しく出迎えてくれます。
一鉄は、秀吉から好評価の稲葉正成とつるとの祝言も
今回の上洛でお願いしてきておりまして、さらには
お安母子引き取りで関白秀吉から大恩を受けているので
稲葉は今後、秀吉に忠誠を誓う、と宣言します。
城内にある一鉄の隠居所・月桂禅院。
一鉄の妻でお安の母・良子は三条西家の出身ですが
そんな公家の暮らしを忘れられない妻のために一鉄が作った屋敷なのです。
今は良子の菩提を弔い、趣味に生きる毎日です。
母の位牌に手を合わせるお安。
これまで長らくそれができなかったことを悔やんでいますが、
おふくの人生はこれからなんだから、と
一鉄はお安に二度と後ろを振り返るな、と注意します。
明智忠臣の父・利三と公家の流れを持つ母・お安の子で
おふくには名門の血筋を引くことを意識させ、
利三に代わって、これからは一鉄が
おふくを養育することに決めます。
「まだまだ乱世じゃ。その中を生き抜くには男も女子もない」
じいはおふくを女子とは思わぬ、と言う一鉄に
亀山城を落ち延びて侍女のおかねが殺された時
強くなりたい、と強く思ったとおふく。
「武の道と合わせて、じいが70年生きて
身に付けたものをすべておふくに譲ろう」
幼いながらもとても恐ろしいことを経験したのだ、と
一鉄は涙をうかべておふくの言葉に頷きます。
「何度言うたら分かる!」
「腰が据わっておらねば剣は使えぬ!」
「これしきのことでもう立てぬのか!」
ここの暮らしは三条西家より厳しいやもしれぬ……。
おふくを女子とは思わぬと言っていた一鉄の言葉通り、
一鉄のスパルタ教育はおふくには厳しすぎますが、
どうにかこうにか食らいついていきます。
そして、剣の稽古の後では
おふくの身体中に出来た傷や打ち身を冷やし、
塗り薬で手当てしてやる優しいじいさまに早変わり。
剣の次には乗馬です。
死んでも手綱を話すでないぞ、と言った一鉄は
乗馬場におふくを乗せた馬を送り出します。
おふくは手綱をさばいて乗りこなす……とはいきませんが
馬の首にしがみついて、
どうにかこうにか背中で揺られているという感じです。
慌てて乗馬場に駈けてきたお安は、
おふくは乗馬をしたことないからご無体だと
早く馬を止めてくれと懇願しますが、
一鉄はまるで聞く耳を持ちません。
でも、乗馬場を何周もするうちに、コツを掴んだのか
だいぶさまになってきました。
茶道も特訓します。
一鉄は千 利休とも親交があり、それが元で
信長や秀吉の茶の湯のご相伴にあずかったこともありまして、
そんな祖父の手ほどきを受けられるとは、おふくは幸せ者です。
味は……ま、まあ、初心者ということで(^ ^;;)
天正14(1586)年4月、
浅井三姉妹の侍女・お初が、北政所の勧めもあって
京極高次に輿入れすることになりました。
京極家といえば、近江の守護職である名門であり、
高次の姉・松の丸が秀吉の寵愛を受けていて
それで結ばれた縁であります。
しかし高次は光秀に味方した男でもあります。
お江与はそこに反発しますが、茶々は
高次は直接本能寺を攻めたわけではない、と
特に気にする様子は見せません。
訓練を初めて半年足らず、相変わらず馬術の時間です。
乗馬場を何周も回るおふくですが、今日は様子が変です。
一鉄が許可しないのに、馬が減速して止まってしまいます。
目をしょぼしょぼさせ、息づかいが荒いおふくです。
「誰が止まれと言うた! 勝手に止めてはならぬ!」
その瞬間、おふくが気を失って落馬してしまいます。
屋敷の一室におふくを寝かせ、介抱します。
高熱が出るとともに、発疹が出ているので、
何人も診てきた一鉄には分かります。
「疱瘡じゃ」
一鉄はお安に、薬師が処方した薬を飲ませよだの
かゆみが出て掻こうとするから
痕が残るので絶対に掻かせてはならぬだの
テキパキと指示します。
あとは私が、というお安ですが、
高熱が1週間続き、一人で見るのは無理だという一鉄。
かといって代わる代わる変えれば伝染して
領内に広がる可能性もあるので、お安と一鉄で見ることに。
「おふく! じいがついておる。死なせはせぬ!」
稲葉家家臣たちは交代で裏山に清水を汲んできて
一鉄は、掻こうとするおふくの手を握っています。
おつるも、おふくの看病に名乗り出てくれました。
おつるはすでに疱瘡を患っていますので、
おふくから移ることはありません。
おつるとおふくは従姉妹同士なので
これから助け合わなければならないから、
おふくも喜ぶだろう、と一鉄はおつるの看病を許します。
昼夜問わず祈祷が続けられ、
家臣たちは裏山から無数の清水を汲んできてくれます。
看病は連日続き、お安や一鉄の身にも疲労が見え始めます。
7日目の朝、おふくの意識が戻ります。
おふくの手を握りしめている一鉄を見て
おふくが驚いています。
おふくの額に手を当てた一鉄。
「熱が下がったぞ! 終わった……一命は取り留めた」
一鉄は涙を浮かべ、お安はおふくをギュッと抱き寄せます。
秀吉から急襲征伐の命令が届きます。
11月27日に徳川家康が上洛し、大坂城にて関白秀吉に臣従を誓ったのです。
家康としても、秀吉生母の大政所を人質に送られては
もはや嫌とは言えなかったのでしょう。
全国から大軍を集めた秀吉は、
天正15(1587)年正月25日に先陣を九州へ向けて出発させ、
自らも3月1日に九州へ向かいます。
おふくの剣術の腕も上がり、
最近では一鉄から一本取ることも珍しくなくなりました。
一鉄は、負け惜しみに
「まだまだこれからが真の修行よ」と言っていますがw
7月14日、秀吉はついに九州平定を果たして
大坂城に戻ってきました。
同じころ、聚落第も完成しまして
秀吉は茶々に、聚落第へ移るように命じます。
しばらく無言だった茶々は、手をつき頭を下げます。
「お供つかまつります」
姉上!? とお江与とお初は茶々を見ますが
姉の決死の覚悟が横顔に現れていて、
妹はそれ以上、何も言うことが出来ませんでした。
そして稲葉一門も、美濃へ帰国します。
おふくは、颯爽と歩く正成の姿を見て
夫婦となるおつるは幸せ者だァ、と憧れています。
その正成とおつるの祝言の日、
一鉄は海北友松と東陽坊長盛を招待していまして、
それぞれ出来丸と斉藤利宗を伴って来館しました。
お安とおふくと、久々の再会です。
利宗と出来丸の仕官の道ですが、
友松が各方面へ手を尽くしても、
なかなか上手く見つかるものではありません。
しかし、その道にも光が──。
秀吉の小姓を務める正成のつてで、
小姓たちを束ねる加藤清正にも招待していたのですが、
この際、2人を清正に預けようというのです。
清正も、加藤家には譜代の家来がおりませんで、
若武者を欲しがっていたところだったそうです。
斎藤利三の遺児ならば申し分なく、
秀吉にもちゃんと許可はもらったそうです。
正成とおつるの祝言は、清水城で盛大に執り行われます。
そして、おつるは正成とともに利宗と出来丸は清正に従って大坂城へ出発し、
友松と長盛は京に帰っていき、清水城に静寂が戻ってきました。
一鉄はおふくを誘って野駆けに出かけます。
「おふくには、教えることは教えた。じいの持っているものは全ておふくに譲った」
一鉄は大きな岩に腰掛け、傍らに立つおふくに語りかけます。
おふくには、戦のない世に生きて欲しい。
女子にとって乱世は無惨だから、戦のない世にするよう
二度と女子が泣かずに済む世になるよう、力を尽くして欲しい。
一鉄がおふくに武の道を教えたのは戦のためではなく
和平を願ってのことなのです。
綺麗な夕焼けが出ています。
「じいの生涯で、幾度夕焼けの空を眺めたか知れぬ。
じゃが、おふくと見るこの夕焼けが一番美しい」
戦がないっていうのはええのう、と一鉄は笑います。
そのきれいな夕焼けが映る祖父の顔を、
おふくは忘れませんでした。
翌、天正16(1588)年の秋、一鉄は清水城で74歳の生涯を閉じました。
しかし、おふくにとって、本当の平和はまだまだ遠くにありました。
「斎藤利宗」役で出演されていた高橋良明氏が
本作品放映中の平成元(1989)年1月23日に、交通事故による
小脳くも膜下出血で亡くなりました。16歳でした。
また「稲葉一鉄」役で出演されていた大坂志郎氏が
本作品放映中の平成元(1989)年3月3日に
食道がんのため亡くなりました。69歳でした。
いずれも本作品『春日局』が遺作になります。
天正16(1588)年11月19日、
稲葉一鉄良通が美濃清水城にて死去。享年74。
寛永6(1629)年10月10日、
おふくが上洛して昇殿し「春日局」名号を賜るまで
あと40年10ヶ月──。
原作・脚本:橋田 壽賀子 「春日局」
音楽:坂田 晃一
語り:奈良岡 朋子
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[出演]
佐久間 良子 (お安)
織本 順吉 (稲葉重通)
川津 祐介 (稲葉貞通)
小林 千登勢 (たか)
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吉 幾三 (海北友松)
ガッツ 石松 (東陽坊長盛)
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大坂 志郎 (稲葉一鉄)
藤岡 琢也 (羽柴秀吉)
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制作:澁谷 康生
演出:一井 久司
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