大河ドラマ麒麟がくる・(22)京よりの使者 ~いよいよ放送再開!~
「桶狭間の戦い」から四年後──。
永禄7(1564)年・冬、越前では、明智光秀が書物を読み漁っています。
台所では熙子と牧が夕餉の支度の最中で、その横では
光秀と熙子の間に生まれた4歳のお岸が、母親の手伝いを頑張っています。
そして、生まれたばかりのたまが泣き声をあげて何かを訴えています。
このころの京都は平穏な時を迎えていました。
三好長慶が京や畿内の実権を完全に掌握していたからです。
長慶の配下である松永久秀は大和国を任され、三好一族の支配体制は盤石。
時の将軍・足利義輝は、長慶の完全な傀儡(かいらい)となっていました。
この年は60年に一度の「甲子(きのえね)」でありまして、はるか昔から
必ず改元が行われてきたという曰く付きの年なのですが、
それにも関わらず義輝が改元の申し出をしないことを、
関白・近衛前久はとても疑問に感じています。
天皇への改元の申し出は将軍の務めであり、それをしないのは前代未聞だと、
「将軍の名に傷がつくぞ」と義輝に催促をするわけですが、
義輝は、将軍など名ばかりで、将軍の家臣である長慶に娘を人質に出すほど
自分は落ちぶれてしまっていると自嘲します。
そもそも義輝は天皇を信用していないのですが、そのきっかけは
義輝が朽木に避難していたころ、天皇は将軍への断りもなく
勝手に「弘治」から「永禄」へ改元してしまったわけで、
それを後から知った義輝は屈辱的で、とても悔しかったわけです。
「帝が何ほどのものですか。私は改元など知りませぬ!」
怒りに任せて、義輝は関白との対面の座を蹴って出ていきます。
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