大河ドラマ麒麟がくる・(38)丹波攻略命令 ~光秀は新たな戦に向かう~
天正2(1574)年3月、織田信長が所望した蘭奢待(らんじゃたい)の一件は
御所を巻き込んだ、ちょっとした騒動になります。
信長がよかれと思って差し上げた蘭奢待の欠片を見て、
朕が喜ぶとでも思うたのか? と正親町天皇は快く思わなかったのです。
明智光秀も、時に信長が何を考えているのか分からなくなると吐露すると
近江坂本城に預かりの身となっている三淵藤英は、優しく諭します。
「その時にこそどう付き従うか、そこが家臣の器」
そんな藤英に下った信長の命は、光秀の予想をはるかに上回るものでした。
一両日中に、藤英は自害せよ、と──。
すっかり成長した光秀の侍女・たまに、生け花を指南するなど
藤英の人間性のすばらしさを垣間見ることができるのですが、
自分が置かれている状況の察知能力も、なかなかに高いわけです。
「信長殿は、私を斬れと仰せられたかな」
確かに藤英は、紀州由良に逃げている義昭と文のやり取りをして
信長討伐の企てを進めており、信長にその証拠が渡ってしまったための
切腹の処分というわけで、信長に対する反逆の芽を早めに摘んでおきたいのです。
光秀が義昭より信長を選んだのと同じように、
藤英も信長より義昭を選んだだけのことであり、
言い方を変えれば、主君を裏切る勇気がないだけなのですが、
ともかく藤英は一生、義昭に付き従うつもりなのです。
「切り捨てられた花にも、一度は咲いてみせたという誇りがある」
藤英は、光秀による減免の願い出を断り、自分の身は自分で処する、と答えます。
そして藤英は、立派に最期を遂げました。
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