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2021年7月18日 (日)

大河ドラマ青天を衝け・(23)篤太夫と最後の将軍 ~大政奉還の大勝負~

渋沢成一郎の妻・よしが、パリから届けられたと
紙に姿がそのまま写るホトガラフを持ってやってきました。
渋沢ゑいは、ぼんやり写る篤太夫の姿に「栄一でねえか!」と歓喜して
千代も、だんなの姿に自然と笑みがこぼれます。

千代はうたを呼び、はるか遠くの国で活躍する篤太夫の姿を見せます。
そう、うたが生まれて間もないころに家を出て一橋家のために
東奔西走しているので、うたには父親という実感がないのです。
「行儀も心がけもよい子でなくてはなりません」とうたに説きます。

その篤太夫ですが、フランスから日本への600万ドルの借款が消滅したことで
大騒ぎになっていました。
おそらくは薩摩とモンブランのせいで江戸幕府の信用が貶められてしまい
借りられなくなってしまったようです。

借款が消滅したということは、民部公子・徳川昭武が留学に際し
諸国へ挨拶回りをするための10万ドルも入る見込みがなくなったわけで
篤太夫は危機感を覚えますが、外国奉行支配組頭・田辺太一は
「策はある」と考えています。

つまり、民部公子の名義で為替を発行し、買い取らせた先から
日本の幕府に対してこちらが振り出した為替の金額分を取り立てさせる。
その場にいる者は、その経済のからくりを理解できませんが
逆の為替で金を得るわけですな、と篤太夫は即座に理解します。

民部公子は将軍の弟であり、たとえフランスが応じなくても
オランダの貿易商社やイギリスのオリエンタル・バンクに諮れば
引き受けないということはないだろう、というのです。
とにかく篤太夫は、急いで行動に移します。

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2021年7月11日 (日)

大河ドラマ青天を衝け・(22)篤太夫、パリへ

慶応3(1867)年、渋沢篤太夫はアルフェー号に乗っていました。
記録をつけたいのですが、ひどい船酔いでそれどころではありません。
笑いながら通り過ぎる異人に怒りを露わにする篤太夫ですが、
フランスやイギリス、ロシアなど、歴史も違えば話す言葉も違うわけで、
それを一緒くたにして異人というだけで憎むのは子供のすることと
同行者に言われてしまいます。

船酔いですか、と水を差しだしたのはアレクサンダー・シーボルト。
通詞で、あのシーボルトの息子にあたり日本に通じています。
帰国のついでにパリまで同行してくれる、頼もしい仲間です。
篤太夫は見様見真似で「セ…センキュー」と言っています。

船の中で出されたフランス料理に興味を示した篤太夫は、
初めて見るナイフとフォークとスプーンに驚き、パンを口にして感激します。
食後のコーヒーを一口含み、胸がさわやかだい! などと言って
はしゃいでいます。

船は横浜から上海、香港、サイゴン、シンガポール沖を通って
セイロンとインド洋を進み、アデンからスエズへ。
スエズ運河建設中のため汽車に乗り換えて地中海に入り、
55日目にフランスにたどり着きました。

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2021年7月 4日 (日)

大河ドラマ青天を衝け・(21)篤太夫、遠き道へ

徳川家茂が逝去し、一橋慶喜が徳川宗家を相続することとなりました。
慶喜が幕府の頂点になるということは喜ばしいことですが、
渋沢篤太夫は、これまでのようにじかに自分たちの建言が届くようなことは
二度とないことに、とても悲しさを覚えます。

原 市之進は篤太夫を屋敷に呼び出し、内々の話ながら
卯の年、フランスのパリで博覧会という催しが開かれることを伝えます。
博覧会とは、西洋東洋の万国が、己の国の自慢の物産を持ち寄って
これはいい、あれはいいと品定めをする会であります。

国の威信をかけて各国の王族が集まるその博覧会に、日本も公に
参加することとなったのですが、王族の参加を求めるフランスに対し
天皇家を送ることは不可能であるため、慶喜の弟の民部公子(みんぶこうし)に
名代として参加してもらうことになりました。

民部公子・徳川昭武は、会津松平家に養子に入る予定でしたが
慶喜の意向により、徳川御三卿のひとつ・清水家を相続しました。
しかしこれに随行する水戸の者たち30人は、異人を見れば
切りかかるような者ばかりなので、誰に守らせるかが重要になってきます。

「渋沢であれば、公儀との間を取り持つのに適任ではないか」
白羽の矢が立ったのが、篤太夫だったというわけです。
徳川昭武一行の一員としてパリへ行き、俗人の動きを見張ること、
これこそが、慶喜が篤太夫に命じた密命だったのです。

もともと篤太夫は攘夷論者でもあるし、向かうのはフランスであって
長崎や蝦夷地とはわけが違うので、よくよく考えて返答を、と
原は篤太夫に念を押したはずなのに、篤太夫は二つ返事で話を受けます。
「どのような艱苦(かんく)も厭いません。それがしをパリに!」

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