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2021年7月 4日 (日)

大河ドラマ青天を衝け・(21)篤太夫、遠き道へ

徳川家茂が逝去し、一橋慶喜が徳川宗家を相続することとなりました。
慶喜が幕府の頂点になるということは喜ばしいことですが、
渋沢篤太夫は、これまでのようにじかに自分たちの建言が届くようなことは
二度とないことに、とても悲しさを覚えます。

原 市之進は篤太夫を屋敷に呼び出し、内々の話ながら
卯の年、フランスのパリで博覧会という催しが開かれることを伝えます。
博覧会とは、西洋東洋の万国が、己の国の自慢の物産を持ち寄って
これはいい、あれはいいと品定めをする会であります。

国の威信をかけて各国の王族が集まるその博覧会に、日本も公に
参加することとなったのですが、王族の参加を求めるフランスに対し
天皇家を送ることは不可能であるため、慶喜の弟の民部公子(みんぶこうし)に
名代として参加してもらうことになりました。

民部公子・徳川昭武は、会津松平家に養子に入る予定でしたが
慶喜の意向により、徳川御三卿のひとつ・清水家を相続しました。
しかしこれに随行する水戸の者たち30人は、異人を見れば
切りかかるような者ばかりなので、誰に守らせるかが重要になってきます。

「渋沢であれば、公儀との間を取り持つのに適任ではないか」
白羽の矢が立ったのが、篤太夫だったというわけです。
徳川昭武一行の一員としてパリへ行き、俗人の動きを見張ること、
これこそが、慶喜が篤太夫に命じた密命だったのです。

もともと篤太夫は攘夷論者でもあるし、向かうのはフランスであって
長崎や蝦夷地とはわけが違うので、よくよく考えて返答を、と
原は篤太夫に念を押したはずなのに、篤太夫は二つ返事で話を受けます。
「どのような艱苦(かんく)も厭いません。それがしをパリに!」

会計を担当する篤太夫に「仏行御入用帳」が渡されます。
異国に出る際には幕府から旅費を前借し、帰国後に使用目的と金額を報告。
外国とのやりとりには通詞もいるし、医師や髪結いも随行します。
ただしその前に、落命した時のために後継者を決めなければなりません。

篤太夫が相談したがっている渋沢成一郎は江戸での御用を終え、
血洗島の尾高惇忠のところを訪問していました。
攘夷の志を持って村を出て行った喜作と栄一が、今や幕臣として
将軍慶喜の下で働いている、その理由と思いを伝えに立ち寄ったのです。

惇忠は、慶喜が作り上げようとしている新しい幕府というものが
国を強めていくものならば、それは徳川斉昭の考えにもつながる、と
理解を示してくれ、成一郎は安堵しています。
成一郎は、惇忠には「道が違う」と言われたくなかったわけです。

 

孝明天皇の強い希望もあり、慶喜はついに将軍の座に就きます。
その挨拶に出向きたいと朝廷に申し出ましたが、天皇は
国の安寧を祈るための4時間以上に及ぶ御神楽に参列するため、
別の日に、との返答が来ました。

神事をおろそかにしてなにが帝ぞ、と体調不良を押して参列しましたが
ついに倒れてしまい、数日後に天皇は崩御しました。
慶喜が将軍となって朝廷と一丸となり、幕府を盛り立てたいところで、
その好機を生かせず、慶喜はひとり味方を失う形になってしまいます。

天皇家は、祐宮睦仁(さちのみや・むつひと)親王が践祚する予定です。
祐宮を推すのは、孝明天皇に追い出された反幕府派の公家ばかりで
慶喜にとっては大きな敵として目の前に立ちはだかります。

京のはずれで隠遁生活を送る岩倉具視も、孝明天皇が中心となって
政を行うことを夢見てきた公家なのですが、帝が崩御されたいま
その強い思いは、新たな幼帝を支えることに向かいます。
「今度こそ帝の世を……王政復古を果たします!」

 

慶応3(1867)年、篤太夫は慶喜に呼ばれて二条城を訪れます。
慶喜は、いつもの和装ではなく、フランス皇帝である
第3代ナポレオンが慶喜に贈った洋装で現れました。
慶喜は、篤太夫と昭武を対面させる場を作ったのです。

慶喜は昭武に、万国博覧会に初めて参加することで、
幕府が公に世界に顔見せできる好機と捉えておりまして、
その門出を前に昭武に心得を説くのでした。

・会が終わったら、条約を結んでいるイギリス・オランダ・ロシア・
ベルギー・イタリア・スイスの各国を訪問して、王に挨拶すること。
・それが終わったら、フランスで3~5年程度 学問を治めること。
まだまだ足りないと思えば、さらに長く学んでもかまわない。
・学んでいる間は師を必ず重んじること。
・もし日本に事変が起きたと風聞を耳にしても、みだりに動かないこと。
・今回の渡欧の一行は、一和に円満に努めること。

慶喜の狙いは、幕府は己の力だけではどうにもならないこともあって
これからは欧州で広い世を知った若い世代に後を継がせたく、
次期将軍には昭武がいいだろうと、将軍を出せる御三卿の清水家を継がせて
昭武には徳川姓を名乗らせておいたのです。

翌日、昭武一行は京を出発し、船で横浜入りを果たします。
神奈川奉行所で昭武は、案内役であるフランス公使のロッシュと対面し
固い握手を交わします。

篤太夫と医師の高松凌雲は別室を案内され、
そこで福沢諭吉と福地源一郎と対面するのですが、
フランスは2度目という福地は篤太夫に注意を促します。
「向こうに行ったら、モンブランというフランス人に気をつけろ」

何かと交流を求めてくるらしいのですが、何度も断っていると
今では薩摩に近づいているようです。
ということは、万国博覧会に薩摩も何らかの動きをするものと思われますが、
福地が奉行に報告しても「放っておけ」と言われる始末です。

勘定奉行小栗忠順もそこにいて、フランス行きのもう一つの目的が
600万ドル(450万両)の借款(しゃっかん)であることを知った篤太夫は、
小栗が手はずをしたためた帳を直々に手渡されます。
さらに、昭武が3~5年程度、諸外国で学ぶ間の経費についても
小栗は、自分が勘定奉行にある間は間違いなく送ると言ってくれました。

ただ、幕府については5年はおろか、1年先すらも分からない状態です。
6年前に渡米した小栗は、アメリカの産業のすごさに驚き
と同時に、日本は何も勝てないのだと思えたわけですが、
今の日本に、匹敵する造船所を作らなければならないと考えだします。

造船所ができた時に江戸幕府がどうなっているかは分かりません。
しかし幕府がしたことが日本の役に立ち、徳川のおかげで助かったと
言われるのであれば、それも徳川家の名誉となるでしょう。

 

見立て養子を出さなければならず、成一郎に相談したい篤太夫は
御用中の江戸へ向かいますが、どうやらすれ違いで京に戻ったらしく
篤太夫は小石川奉行所に寄って尾高長七郎との面会を求めます。
しかしそこに成一郎も現れ、久々の再会となりました。

見立て養子については、篤太夫は尾高平九郎をと考えています。
ゆくゆくは惇忠や平九郎を徳川に呼びたい成一郎も賛成してくれ、
実家と尾高家には話をしてやると言ってくれました。

篤太夫が再び日本の地を踏めるころには、どのようになっているのか
皆目見当がつきませんが、ともかく、これからの時代は
自分たちが良くしていくんだ、という思いだけは共通です。
屋台のそばをすすりながら、お互いの思いを確認しあう夜となりました。

1月11日、篤太夫は横浜港からアルフェー号に乗り込みます。

 

篤太夫からの手紙で、彼がフランスに行ってしまうことを知った
市郎右衛門はじめ家の者たちですが、
もう二度と会うことができないかもしれないと悲しみにくれます。
千代は、形見に預かった懐刀をじっと見つめて、篤太夫の無事を祈ります。

 

──さあ、いよいよ慶応3年だ。
慶喜は征夷大将軍となり、篤太夫は日本を飛び出しました。
篤太夫が、その一家が、そして我が徳川の世はどうなるのか
この先もしかと、見届けていただきたい──


作:大森 美香
音楽:佐藤 直紀
題字:杉本 博司
語り:守本 奈実 アナウンサー
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[出演]
吉沢 亮 (渋沢篤太夫)
高良 健吾 (渋沢成一郎)
橋本 愛 (渋沢千代)
田辺 誠一 (尾高惇忠)
満島 真之介 (尾高長七郎)
成海 璃子 (渋沢よし)
──────────
草彅 剛 (徳川慶喜)
尾上 寛之 (原 市之進)
志尊 淳 (杉浦愛蔵)
板垣 李光人 (徳川昭武)
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北大路 欣也 (徳川家康)
武田 真治 (小栗忠順)
尾上 右近 (孝明天皇)
山内 圭哉 (岩倉具視)
池内 万作 (栗本鋤雲)
梅沢 昌代 (トメ)
──────────
和久井 映見 (渋沢ゑい)
小林 薫 (渋沢市郎右衛門(回想))
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制作統括:菓子 浩・福岡 利武
プロデューサー:板垣 麻衣子・藤原 敬久
演出:川野 秀昭

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