大河ドラマ青天を衝け・(40)栄一、海を越えて ~最終回直前拡大版!~
日本は、ますます帝国主義に傾いていきました。
「私はこのたび、第一線を退くこととしました」と渋沢栄一は宣言します。第一銀行と銀行集会所以外、務めている役員を全て辞任し、実業界を引退したい、と。大倉喜八郎(帝国劇場設立者)や西野恵之助(帝国劇場発起人・専務)は、栄一が指導監督するから帝国劇場を引き受けたのに! と栄一の引退には異を唱えますが、実業界も人材がそろい、栄一頼みの現状から脱却しなければなりません。拍手をもってその場を後にする栄一を、「そこをなんとか!」と追いかけてくる人たちを佐々木勇之助に防いでもらい、そのすきに逃げる栄一です。
この時栄一が辞職した会社は、
東京ガス、大日本遠洋漁業、日本郵船、木曽興業、東京製綱、東京帽子、日本煉瓦製造、浅野セメント、七十七銀行、高等演芸場、東京海上保険、日清汽船、帝国商業銀行、東洋ガラス製造、三重紡績、日韓ガス、営口水道電気、日英銀行、京釜鉄道、日英水力電気、磐城炭礦(砿)、万歳生命保険、東部煉瓦、韓国倉庫、浦賀ドック、北越鉄道、大阪紡績、東明火災海上保険、十勝開墾、日本興業銀行、日清火災保険、韓国興業、日本醋酸製造、函館ドック、小樽木材、東京人造肥料、中央製紙、東亜製粉、東京石川島造船所、京都織物、京阪電気鉄道、名古屋ガス、明治製糖、大日本精糖、東京毛織物、大日本塩業、日清生命保険、帝国ヘット、日本皮革、帝国ホテル、広島水力電気、大日本ビール、品川白煉瓦、二十銀行、帝国劇場、大船渡築港鉄道、沖商会、日本醤油、石狩石炭、東海倉庫、汽車製造…
60以上にのぼりました。
栄一は大磯の伊藤博文邸で、伊藤とまったり過ごしています。伊藤が総督を務める韓国ではいろいろともめており、陸軍が韓国を直轄しようと大きな顔をし始めていて、抑えるためにハルピンゆきも考えなければなりません。
「私もアメリカに行くことにしました」と栄一。アメリカにいる10万人の日本人が排斥されそうになっていて、“日本をやっつけろ!”と新聞も書き立てるありさま。そこで栄一は、日本人はアメリカ人の友であり、経済上も人としても仲良くしようではないか、と心を込めて伝えていけば分かってもらえるはずです。栄一がやろうとしていることは「民間外交」なのです。これには伊藤も、栄一はうそをつかないから信頼を得ているし、戦のにおいがしないから向いているかもしれない、と。
明治42(1909)年、栄一たち渡米実業団はアメリカの実業家たちが用意した特別列車に乗り込みました。アメリカ大陸を横断する旅の始まりです。
栄一たちは91日間をかけて全米60の都市を訪問。各地で視察を行うほか、70回に迫る多くの講演や演説を行う超過密スケジュールです。その訪問旅には当然ながら妻の兼子と、兼子の姪で日本女子大学校に在学中の高梨孝子が同乗していまして、接待委員のロジャー・グリーンも日本語で応対しています。その過密スケジュールの中で、ペリー提督やハリス公使、グラント将軍の墓にもお参りする予定でいます。
実業家と大学教授、新聞記者からなる51人の渡米実業団のメンバーは、各地で工場やエネルギー施設、発電所、農場や大学、福祉施設などを訪問。栄一は夜通し列車に揺られる毎日に「疲れる!」と文句たらたらですが、兼子に言わせれば、それは栄一が「だれに会いたい、どこに行きたい」とわがままを通したからに他ならないわけです。
日本人の排斥運動が盛んであると聞いていたのに、渡米実業団が訪問する各地ではまったく見当たりません。それは排斥運動が盛んなのはアメリカ西海岸だそうで、低賃金でも熱心に働く日本移民をアメリカ人労働者の敵とみて、日本人児童を学校から退学させたり、日本人経営の店の不買運動まであるそうなのです。
移民に対する差別問題で、日本に友好的な姿勢だったウィリアム・タフト大統領に面会することは、この旅の目的のひとつでした。ミネソタ・ラファイエットクラブでそれが実現しますが、栄一が「感謝の気持ちを英語で伝える能力がないのが残念でならない、私は元来おしゃべりだ」とジェスチャーを交えて伝えれば、大統領は「あなたの笑顔はどの国の言葉より愉快にさせます」としつつ、兼子や孝子のような上品でチャーミングな女性を内に閉じ込めていることが唯一の不満だと言い、どんどん表に出ていきなさい、と言葉をかけます。栄一は、日本男児も大和なでしこも、大いに外交しなければならないと感じます。
走っている列車が急停車しました。栄一の秘書で通訳の八十田明太郎や大阪商業会議所会頭の土居通夫が栄一の元にかけつけ、伊藤の死を伝えます。列車の後方ではアメリカの新聞記者たちが、ハルビン駅で韓国の独立運動家によって暗殺されたことについて取材しようと大騒動になっています。栄一のうろたえようは兼子たちがとても心配するほどです。次の訪問地は排日運動が激しい都市であり、栄一たちの受け入れを最後の最後まで反対していた都市でもあります。商業会議所でのスピーチを中止してはどうかとグリーンは栄一に提案しますが、栄一の頭には「アメリカを頼んだぞ」との伊藤の言葉もあり、栄一は無言を貫きます。
サンフランシスコに到着し、予定通りにスピーチを行っていた栄一は、途中で原稿を読むのをやめ、伊藤の話をしだします。
──私は先日、長年の友を亡くしました。殺されたのです。今日だけではない、私は人生において実に多くの大事な友を亡くしました。互いに心から憎しみ合っていたからではない。相手を知らなかったからだ。知っていても、考え方の違いを理解しようとしなかったからだ──。
スピーチを聞いていたアメリカ人がざわめき始めます。しかし栄一はそのまま続けます。
──相手をきちんと知ろうとする心があれば、無益な憎しみあいや悲劇は免れるんだ。日本人を排除しようとするアメリカ西海岸も、しかりです。しかし私は今、訪米実業団としてこうして直にアメリカの地を踏み、各地で多大なる親切をいただきました。発展を目の当たりにして、大いに学ばせていただいた。アメリカ人の愛情は、ペリー提督やハリス公使の昔よりさらに深まり、その多大なる愛情を我が国に注いでくださっていることを確信しております──。
落ち着いて、うなずくアメリカ人たち。
──だからこそ、今、みなさんの目を見て申し上げる。日本人は敵ではありません。我々はあなた方の、友だ。日本人移民は、アメリカから何かを奪いに来たのではない! この広大な地の! 労働者として! 役に立ちたいという覚悟を持って! はるばるこの地にやって来たんです! それをどうか、憎まないでいただきたい。日本には「己の欲せざる所 人に施すなかれ」という忠恕(ちゅうじょ)の教えが広く知れ渡っています。互いが嫌がることをするのではなく、目を見て、心開いて手を結び、みんなが幸せになる世を作る。私はこれを、世界の信条にしたいのです。大統領閣下は私に「ピースフルウォー」とおっしゃった。しかし私は! あえて申し上げる! ノーウォー! ノーウォーだ!──アメリカ人から「そうだそうだ!」「その通りだ」と言葉が飛び交います。
「どうかこの心が、閣下、淑女、紳士諸君、世界のみんなに広がりますように」と栄一は言葉を締め、聞いていたアメリカ人たちから大きなスタンディングオベーションです。会場の外の廊下をモップ掛けしていた黒人労働者も、栄一のスピーチを聞いていたのでしょう。大きく頷き、笑って仕事を続けます。また栄一が乗り込んだ列車が駅に停まったとき、長州出身の夫婦と子どもが、一言お礼が言いたかったと寒い中を栄一たちの到着を待っていてくれて、栄一は心を打たれます。こうして、3ヶ月にも及ぶ旅が終わりました。
明治43(1910)年、飛鳥山の渋沢邸では、お尻を突き出して地に伏せる男がひとり。栄一の孫・渋沢敬三です。ここは興味深い虫がたくさん採れるらしく、はいつくばって拡大鏡でいろいろと眺めています。そんな敬三をおもしろそうに眺めている父の篤二をはじめ、徳川慶喜や鵜飼正為たちです。そう、この日も慶喜への取材が続いていたのです。興味深く話を聞く一同の中で、篤二だけはひとり居心地悪そうにそわそわしています。
その一か月後。“新橋美人”玉蝶が篤二を針に引っ掛けたようで、「海老で鯛を釣るような代物、澁澤男爵の令息篤二氏」と新聞記事にもされていました。つまり家出して玉蝶と家を持ったそうで、兼子はショックを受けています。穂積陳重は「後見人として御義父上に何とお詫びをすればいいやら」と頭を抱え、妻で姉の歌子は家まで押しかけ「どうしてあなたは過ちを繰り返すの」と涙ながらに篤二に迫ります。
栄一は「重大な事件だ」と捉えて家の者全員を招集し、正式に言葉を残す必要があるために遺言書を作成、承諾を得たいと言います。『嫡男篤二を廃嫡とし、篤二の持つ株券および土地を没収し、その名義を敦子夫人に書き換える』
「いやな…人には向き不向きってもんがある。例えば俺は、商売は向いていなかったのう」と喜作は敬三に笑います。徳川の家臣として上野から函館まで転戦を重ねた喜作は、獄から出て今も生き続けますが、後ろ指さされることも多かったそうで、篤二も後ろ指をさされるんだろうなぁ、と同情します。「おめぇの親父はよく頑張っておった。ただ、向いていなかったんだ」と敬三を諭す喜作は、栄一についてもポロリとこぼします。みんながあれほど言うからにはよほど偉大なんだろうが、近くにいる者からすれば、引け目ばかり感じさせる腹立たしい男だ、と。
翌年、明治天皇が崩御され、時代は大正に移ります。幼いころから集まっていた血洗島の大木の下で、栄一と喜作が語り合います。中国に行ってみたいと言い出す栄一に、少しは諦める心も覚えろと喜作は笑います。この日は五穀豊穣と悪疫退散を願う祭りの日で、かつて栄一たちも踊ったように、行列の先頭を獅子舞が踊って祭りを盛り上げています。大正元(1912)年8月30日、喜作は74歳でその生涯を終えました。
慶喜の元には『徳川慶喜公傳稿本』が積み上げられ、それに目を通した慶喜が、ページの各所に付箋をつけていきます。それを受け取った栄一は、晴れてようやく慶喜の偉業を、そして幕末の世の真相を世間に知らしめることができると喜びます。慶喜がこうして取材を受けたのは、パリからの徳川昭武の手紙(これを書かせたのは栄一だと慶喜にはお見通しでした)のことがありまして、「神祖三百年の御偉業を自ら捨てられ東照大権現様になんと申し開きをなされるおつもりか!」との問いの答えのつもりだったわけです。天璋院に切腹を勧められたときか、江戸を離れるときか、戊辰の戦いが全て終わったときか、自分はいつ死ぬべきだったのだろうかと、また慶喜は、いつ死んでいれば徳川最後の将軍の名を汚さずにすんだのかと自問自答してきました。でも今思うのです。生きていてよかった、と。話をすることができてよかった、と。「楽しかったなぁ。尽未来際、ともにいてくれて感謝しておる」
徳川慶喜は、大正2(1913)年11月22日、77歳の天寿を全うしました。徳川歴代将軍一の長寿でした。
中国に新政府を樹立した革命家・孫文が栄一に会いに来ました。革命を果たしたとはいえ、未だ道半ばであり、北方には袁世凱や西欧列強が待ち構えているのです。国家の滅亡を防ぎ民を救い子孫を外国の奴隷とせぬためにも、栄一に中国経済の指針となるお話を伺いたい、さらには資金を融通してもらいたいというわけです。栄一は、戦争のためではなく経済の発展であれば喜んで力になるので、孫文に経済人になってみてはいかがかと提案します。しかし孫文は、その後 中国での内紛に巻き込まれていき、このような状況では栄一との約束は果たせそうにない、と謝罪の手紙をよこします。
世界情勢はさらに悪化。ドイツがイギリス・ロシアと対立したことを背景に、ヨーロッパで世界大戦が勃発します。首相に返り咲いた大隈重信は、日英同盟のよしみで東洋・南洋諸島すべてのドイツ植民地と軍事基地を日本軍が接収すると最後通牒を発することにしました。外務大臣加藤高明も、日本も戦争には加担するが、領土的野心で行うわけではなくあくまでも同盟国イギリスのためだと主張。それに対して栄一は、欧州が内輪喧嘩をしているうちに日本が大陸に手を伸ばそうとしているだけではないかと反発します。明治の世になってから日本はたびたび戦争をし、そのたびに経済が打撃を受け、度重なる増税と物価高に民は苦しめられてきたのです。減らず口の大隈が何も言わないのは、いま口を開けば首相としてうそしか吐けないからだ、とズバリ指摘した栄一は、そもそも80歳の年寄りになってまでなぜ首相をやっているのかと言って脇を抱えられて部屋の外に出されてしまいます。
日本は、日英同盟に基づきドイツに宣戦布告。世界大戦に参加することになりました。
栄一は敬三の家を訪ね、彼が仙台二高を受験して農科大学に進み動物学を学びたいと考えていることを確認したうえで、農科ではなく法科に進んでもらいたいと言います。驚く敬三に追い打ちをかけるように栄一は提案を続けます。「法科を卒業し、ゆくゆくは実業界で働いてもらいたい。私の跡を取り、銀行業務に就いてほしいのだ」
いいえ、私は…と敬三は思い切って断りますが、栄一がそれで納得するはずもありません。両手をつき、「どうかお願いする」頭を下げるのです。敬三は戸惑います。
世界大戦の間に日本は、山東半島やドイツの植民地を占有して勢力を拡大。またロシア革命が起きたことをきっかけにシベリアにも出兵します。
──さて、慶喜よ。よくぞ生き抜いてくれた。
徳川の世が閉じて以来、励み続けてくれた者たちも次々と亡くなりました。しかし栄一はまだまだ止まりませんよ。さあ、どうか最後まで私と共に見守っていただきたい──
作:大森 美香
音楽:佐藤 直紀
題字:杉本 博司
語り:守本 奈実 アナウンサー
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[出演]
吉沢 亮 (渋沢栄一)
高良 健吾 (渋沢喜作)
大島 優子 (渋沢兼子)
泉澤 祐希 (渋沢篤二)
笠松 将 (渋沢敬三)
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草彅 剛 (徳川慶喜)
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山崎 育三郎 (伊藤博文)
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遠山 俊也 (鵜飼正為)
福士 誠治 (井上 馨)
大倉 孝二 (大隈重信)
北大路 欣也 (徳川家康)
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制作統括:菓子 浩・福岡 利武
プロデューサー:板垣 麻衣子・藤原 敬久
演出:黒崎 博
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