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2022年1月23日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(03)挙兵は慎重に ~頼朝ついに挙兵へ! 都の法皇を救え~

都に激震が走ります。平 清盛が後白河法皇を幽閉し、自分の孫を帝に即位させてしまうのです。この時即位したのは安徳天皇、1歳3ヶ月。

伊豆・北条館では、源 頼朝がまだ幼い大姫と戯れていまして、次はじいじじゃ! と近づいてきた北条時政に、政子が「寄らないで!」と止めます。父親にそんな言い方をしなくてもと思うのですが、それは政子だけではなく実衣も同じでありまして、時政と後妻のりくとの間にもうすぐ子どもが生まれるので、それまで我慢しなさいというわけです。しょうがねえなあ、とりくの横に座ろうとする時政ですが、りくからも「寄らないで!においが」と拒絶されてしまいます。

頼朝を婿に迎えた北条家に、都の不穏な気配が忍び寄っていました。
──治承4年。この年に起こったのは、歴史的な異常気象。日照りが幾月も続き、人々は飢饉(ききん)の不安におびえている──


治承4(1180)年、鹿狩りから北条宗時が北条館に戻ってきました。源 頼朝と引き離された八重は、伊東の家人・江間次郎のもとに嫁いでいました。その粗末な館は狩野川を挟んで北条館の向かいにあり、北条義時は宗時らを出迎えながら、八重が暮らしている江間館のほうを見上げています。三浦義村は、こんな近くに嫁がせたじいさま(伊東祐親)もひどいよなぁとつぶやきます。

鹿狩り(と言っても取れたのはウサギ2羽)で一番の手柄だった工藤茂光が、鹿狩りの最中に妙な坊主を見かけたと話します。薄汚い衣をまとい、源氏の再興を唱えて回っているらしいのですが、畠山重忠も見たことがあるそうです。首から布の袋を下げ、その中には源 義朝のどくろが入っているとか。まやかしだと笑う宗時ですが、日照りが続き先行きが不安になるとそういう輩が出てくるもんだという話に、すべて平家のせいだ! 天がお怒りなのだ! と苦々しく言います。

 

北条館に源 行家という山伏姿の人物がやってきました。頼朝に確認しますが、十郎叔父のことか? と思い出しました。頼朝の父・義朝の末弟で通称「新宮十郎」、後白河法皇の妹の八条院から蔵人に任ぜられ、行家と名を改めたそうです。

他言無用と断ったうえで、行家は「後白河法皇の子・以仁王が6月に挙兵する」という大事を頼朝に伝えます。都に火をつけ、騒ぎに乗じて平相国(へいしょうこく=清盛)の首を取り、父を救う…。そんな以仁王の発言を受けて、源 頼政は老骨に鞭打って以仁王を助けると約束してくれました。そして以仁王は全国の源氏に呼応するように行家を使者として回らせているのです。

 

以仁王が平家に不満を持っていることは頼朝も聞いてはいたそうです。戦の用意はすぐに整いますと逸る宗時を遮って、頼朝は時政と二人きりになり、源 頼政という人物について深く尋ねます。頼政は伊豆国主で、時政が大番役で京にいた時に何度か顔を合わせた程度らしいのですが、時政自身はあまり好きではないようです。

頼政卿では無理だ、人はついて来ぬ、と判断した頼朝は、「清盛はいずれ死ぬ。死ねばわしも許され京へ戻れる」と以仁王の挙兵には加わらないことにします。頼朝が立ち上がり平家を倒せる絶好の機会だと喜んでいた宗時は、頼朝の判断に異議を唱えますが、頼朝の決意は変わらなさそうです。そしてりくも、使者の行家があれだけ仰々しく触れ回っていたらいずれ平家に事が露見するのは目に見えていて、以仁王の企ては失敗するだろうと見ています。

 

京からの知らせが届きました。頼朝に京の動静を伝えていたのは朝廷の下級役人・三善康信でした。1通目は5月22日、2通目が5月26日。それが一度に届くというのは、京での混乱が影響しているものと思われます。

そしてその1通目の中身は、平家に挙兵の企てを知られてしまった以仁王が、期日を早めて挙兵したとの知らせでした。清盛は鎮圧の兵を送り込むのですが、ひとつ想定外だったのは、鎮圧側で送り込んだはずの大将軍・頼政が寝返って以仁王側についたことです。これにより以仁王の軍勢は一気に勢いづきます。

そして2通目には、以仁王の謀反はあっという間に鎮められたことがしたためられていました。頼政は宇治の平等院で自害して果て、以仁王も奈良へ逃げる途中で落命したとのこと。挙兵しなくてよかったですねと政子が言えば、頼朝は色をなして怒ります。「頼政卿は我が源氏再興のために身命を賭し、志半ばで世を去られたのだ」

 

大番役を務めた大庭景親が京から戻ってきました。景親は清盛から、伊豆に逃げた頼政の縁者を滅ぼせと命じられています。伊豆守だった頼政の自害により、平 時忠が伊豆国主、目代には平 兼隆が任命され、伊豆は平家王国となったわけです。清盛の覚えめでたい伊東祐親にとっては非常に喜ばしい環境であるわけですが、祐親が気になっているのは頼政とその縁者よりも頼朝の処遇です。景親は「源氏はもう終わった。いずれ成敗されるであろう」と笑います。

 

祐親は時政を呼び出し、一日も早く頼朝と縁を切れと迫ります。頼朝は今回の以仁王の挙兵には加わっていないと主張しても、もはやそのようなことは関係なく、政子を兼隆の嫁に差し出せとまで言われてしまい、さすがにそれは突っぱねる時政です。時政は一度頼朝を匿うと決めた以上はそれを通すというのですが、新役人とのつながりも大事にしたいと、とれたての野菜を手にさっそく伊豆の国衙(こくが=役所)に赴き兼隆に挨拶することにします。

 

出てきたのは堤 信遠でした。信遠といえば、八重と会わない頼朝の代理として比企館に向かった義時が無理やりに跪かせられた、伊豆権守の信遠です。時政が兼隆への目通りを求めると同時に 信遠への変わらぬ引き立てを願い出たところ、差し上げた野菜をひっくり返し、ナスを踏みつぶしてそれを時政の顔に塗り付けて激怒。今回の以仁王の謀反に時政が加わったのではと疑いをかけて去っていきます。「……持って帰るぞ。やっかいな婿殿もらっちまったなぁ」
義時は、その帰りしなに

八重が住んでいる江間館に、祐親が来ていました。祐親は、頼朝と離別させられ見張り番の次郎と無理やり結婚させられた八重に、次郎のことを夫と思ったことはないとハッキリ言われてしまいます。しかし今回の以仁王の謀反の鎮圧により平家の威信はますます強まったわけで、この仕置きに狂いがなかった、すべてはお前のためだと諭すのですが、八重は決してそうは思っていません。

北条館の入口のところで、大姫がよちよちと段差を下りて頼朝のところに歩いてくるのを楽しく眺めていた政子は、江間館の柵のところから八重がじっとこちらを見ているのに気づき、手を振ります。八重もそれに気づいたか一礼していますが、ひとり気まずい頼朝は、ゆるやかに木の陰に移動して隠れています。

 

頼朝が眠っていると、枕元に後白河法皇が座っています。清盛にさんざんひどい目に遭わされ、今は福原に幽閉されているという法皇は、一日も早く助けてくれと頼朝に訴えます。「清盛の首を取り、平家の奴らを都から追い出してくれ。それができるのはお主だけだ!」 分かりました! 分かりました! とうなされ続けた頼朝は、心配になった政子に起こされ寝汗をびっしょりとかき、息切れして生きた心地はしていません。

 

しかし事はまだ終わってはいませんでした。康信からの文で、以仁王の令旨を受け取った源氏全てに対して、清盛は追討の兵を差し向けると決めたことを知ります。奥州藤原秀衡なら匿ってくれるはずだから北に逃げるように勧める文を握りしめ、挙兵に呼応しなかったのに咎めを受けるのであれば、挙兵したほうがマシだったと頼朝は珍しく感情をあらわにします。頼朝の家人気分で 急いで出陣の支度を! と言う宗時は、頼朝のその勢いで直々に「勝手に家人を名乗るな!」と怒鳴られてしまいます。
後世、この康信の知らせは彼の早とちりであったとされています。平家が追討軍を出して追っていたのは頼朝ではなく頼政の残党のみ。しかし慌て者の早とちりが時として歴史を動かすこともあるわけです。

 

おまえは家人ではない──川岸でしょげている宗時は、茂光や重忠が見たことあると言っていた坊主を見かけます。日照りの後に長雨が来てその次の年は必ず飢饉がくる、食い物を独り占めしているのは平家じゃ! と説いたところで平家ゆかりの武士に囲まれせっかんを受ける坊主を、宗時はなりゆきで助けることになります。

その坊主は文覚(もんがく)といい、頼朝の父・義朝とは共に北面の武士として院に仕えるなど昵懇の間柄だったそうです。義朝の首が京の獄門にかけられたとき文覚がそれを奪い、片時も手元から離したことがないそうです。文覚はゆくゆく頼朝にこれを渡すつもりでいるらしいのですが、宗時はその頼朝が自分の館にいることを伝えると、文覚は興奮気味に 参ろう! 参ろう! と走り出します。

 

その北条館では、もし頼朝と清盛の戦になっても頼朝に勝ってもらわなければ困る! と政子が興奮気味に義時に話しています。勢いに押された義時は義村に、戦をして勝てる見込みがあるかを尋ねてみますが、どれだけ兵を集められるか? 波に乗れば味方はどんどん増えてくるわけで、緒戦は300は欲しいところだと最もらしいアドバイスです。

京にいた三浦義澄が時政を訪ねてきていました。黙って差し出す書状は「法皇さまの密旨(みっし)」だそうで、頼朝に渡すように言い遣ったそうです。ただ、義澄が多少オーバーに言った「法皇さまに呼ばれた」「法皇さまから直々に頼まれた」が「召しだされたというかお使いが見えて」「直々にというのは大げさだが」だったので、それを頼朝に渡すように頼まれた時政は本物かどうかを疑いますが(笑)、とにかく家人の安達盛長に預けておきます。

 

ちょっと付き合えと義村を誘った義時は、伊豆の国衙に再びやってきました。ちょうど信遠が時政や義時と対面した時の様子を兼隆に報告していましたが、彼らが行ってしまった後に義時と義村は侵入します。義時が目指したのは「どこの田にどれだけ種もみを貸し与えたかを記す木札」が入れてある箱でした。その中身を確認する義時の目はとても鋭く……。

 

翌日、義時はその証拠を持って頼朝に対面します。さっそく事情を報告しようとした矢先、宗時が強引に割って入って、かの文覚上人を頼朝に対面させるのです。しかし頼朝とはすでに顔を合わせていたようで、どこで拾ってきたか分からないドクロを義朝のものと偽って高値で売りつけようとする“危険人物”だったのです。文覚が「今こそ! 平家打倒の好機なり!」と叫んでみたところで頼朝にはまったく響いておらず、追い返せ、と無表情のまま言われてしまいます。

ボロボロの布につつまれたしゃれこうべをポイッと床に投げ捨てる文覚は、悔しそうに立ち去ろうとしますが、慌てて拾った宗時に「ほかにもまだあるからっ」とオネエよろしくプイッと帰ってしまいます。あっけにとられる一同。この騒動の汚名返上とばかりに宗時は、文覚の声は民の声、平家の横暴に苦しみ源氏の再興を待ち望んでいると力説するのですが、汚名返上どころか火に油を注いでしまい、頼朝の怒りをさらに買ってしまいます。

黙って事の成り行きを見ていた政子が立ち上がり、頼朝の本心は実は戦いたくてうずうずしていながら、それが怖いだけだと指摘します。しかも戦の決断の時はもう目の前まで来ているわけです。文覚が持ってきたドクロはまがいものかもしれませんが、平家と戦って死んでいった者たちの無念が籠っているのはまちがいないのです。今こそ平家を倒し世を正すと誓ってください! と頼朝に迫ります。「必ず勝てるという証がない限り、兵を挙げることはできぬ!」

勝てますこの戦、と義時は頼朝に進言します。実は頼朝が挙兵した時にどのぐらいの兵力になるかを義時なりに割り出してみたのです。国衙に忍び込んで、木簡から味方になりそうな豪族それぞれが納める米の量を調べ、民の数を計算してみたわけです。

北条、仁田(にった)、加藤、狩野(かのう)、宇佐美、奈古谷(なごや)、ざっと見積もって300(これで目代の山木兵と互角)。この緒戦に勝ち、相模の三浦、和田、土肥(どい)、佐々木、頼朝に近い山内首藤(やまのうちのすどう)、武蔵の畠山、熊谷(くまがい)なども味方に付く……。そうなれば伊豆の10倍にはなる、という見立てです。ざっと3,000! 当面の敵は大庭と伊東ですが、彼らがどれだけ兵をかき集めても2,000が限界といったところでしょうか。

頼朝は、義時たちの熱いまなざしを避けるようにうつむき、絵に描いた餅とつぶやきます。そもそも戦を起こす大義名分がなければだれもついてくるわけもありません。平家討伐を促す法皇様の密旨でもあれば話は別ですが、以仁王の令旨といってもすでに死人なので、その命令を誰が聞くものか、と言われて頭を抱える一同です。思い出したように急にせきばらいをする盛長は、頼朝に法皇の密旨を差し出します。

──人々は、夢のお告げを信じている。平安末期は、そういう時代である──
「法皇様がわしに、助けを求めてこられた」


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
新垣 結衣 (八重)
小池 栄子 (政子)
中川 大志 (畠山重忠)
片岡 愛之助 (北条宗時)
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山本 耕史 (三浦義村)
横田 栄司 (和田義盛)
小林 隆 (三善康信)
佐藤 B作 (三浦義澄)
市川 猿之助 (文覚)
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松平 健 (平 清盛)
國村 隼 (大庭景親)
杉本 哲太 (源 行家)
浅野 和之 (伊東祐親)
坂東 彌十郎 (北条時政)
宮沢 りえ (りく)

大泉 洋 (源 頼朝)
西田 敏行 (後白河法皇)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・橋本 万葉
演出:末永 創

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