プレイバック武蔵坊弁慶・(16)旭日落日
寿永2(1183)年11月、木曽義仲はついに堪忍袋の緒を切って、後白河法皇の住む法住寺殿を攻撃。後白河法皇はかろうじて難を逃れますが、法皇の第四皇子・円恵法親王など600名余りが首を刎ねられてしまいます。これが史上悪名高き「義仲の法住寺焼き討ち」であります。
一方、源 義経は頼朝の命を受けてすでに京を目前にした琵琶湖畔に陣を進めていました。都から帰った武蔵坊弁慶は、さっそく義仲の所業を義経に報告します。さらに常陸坊海尊は、義仲の所業はすでに平 清盛を上回っているため、義仲を討たなければと義経に進言しますが、義経は同族同士で敵味方に分かれるのをよしとせず、気乗りしません。義経自身、義仲を鏡に映る自分の姿だと思っていて、以仁王の令旨を信じてただひたすらに平家追討を願ってきたのです。「どうあっても木曽殿を討たねばならぬのか」
義経はふと、新宮十郎が河内石川城にこもったままであることを思い出し、十郎に謀反を起こしてもらおうと画策します。十郎は戦下手で謀反にはならないと家臣たちは反対しますが、義経の目的は、十郎が謀反を起こすと知った義仲が救援のために兵を分散させることにあります。そして一気に上洛して後白河法皇を救う、という段取りです。
「行家め! 今さらどの面下げてこの俺に謀反など!」と義仲は激昂します。義仲の中には、我が子義高を鎌倉に送ってかばってやったのに、という気持ちが強かったのかもしれません。それにしても早く法皇を探し出して木曽へ戻らなければ、鎌倉の兵が都に攻め上ってくるという危険性にも、義仲はフッと笑います。たとえ平家と手を結んだとしても、鎌倉の兵は一人たりとも京には入れない、と。
話を聞いた平 宗盛は、そんな男の申し出に今さらおめおめと乗れるか! と顔を引きつらせますが、知盛は分かりやすくため息をつきます。知盛は義仲と手を組むつもりはさらさらなく、本当の敵は鎌倉の頼朝と義経にあるわけで、見せかけで手を組むふりをするのです。知盛としては、義仲が後白河法皇に翻弄されてバカ踊りしている今、それを利用して平家軍が無傷で京に戻るようにしたいわけです。
しかし宗盛は、これが頼朝の策略だったらあまりに危険すぎると知盛の提案を遮ります。宗盛の頭には、平家側には安徳天皇がいて、港を持っていれば平家の時代は安泰だというのがあるようなのですが、そんな過去の栄華は捨てろと知盛は説得します。
義仲が和睦を申し入れてきたという情報は、女房たちを通じて右京大夫の耳にも入ってきていまして、知盛がその申し出を受けて京に戻ることを主張していると平 資盛が説明すると、右京大夫にはそれがとても意外だったようです。
ただ資盛は知盛の意見が正しいと思えるようになってきていまして、確かに和睦受け入れは危険な賭けではあるのですが、宗盛のあまりに棟梁の座に向いていない人物を見るにつけ、平家の力を盛り返せるのは知盛しかいないとどこかで感じてしまっているのです。資盛自身はいつまでたっても子どもと思っていまして、知盛のような立派な人物にはなかなかなれないと引け目を感じています。
その「資盛は子どもだ」という引け目こそが、右京太夫に対してどれだけ愛情を示しても、右京太夫が自分に対して未だに肌を許してくれていないという現実につながるわけです。早く知盛に追いつきたい、そして右京太夫から知盛の影を拭い去りたいという気持ちでいっぱいです。
元暦元(1184)年正月、義経はわずか20騎の手勢を引き連れてひそかに都に潜入します。弁慶が鳥笛を吹くと徳とほくろが現れ、五条東の洞院に高貴な方が隠れ住んでいるという情報を義経に報告します。その高貴な方が後白河院である確証はありませんが、大膳太夫成忠が院の側近であることは間違いないので、おそらく隠れ住んでいるのは院であるだろうという話です。
義経主従は義仲勢の真っただ中を一気に駆け抜けて、五条東洞院に向かいます。陣をぐちゃぐちゃに乱された義仲は、あっという間の出来事で見張りがその役割を果たせずに戻ってきたことに激怒しますが、コマ切れな情報をつなげていくと、駆け抜けた一陣の先頭には法師がいて、東洞院の方角へ向かったということから、義経が院を迎えるために出し抜いたと理解します。
院を義経に奪われてしまっては自軍の命運は尽きると義仲は兵たちに号令をかけていますが、重臣・根井行親は討ち死に、味方は総崩れとなって今井兼平から都を落ち延びられよとの撤退勧告を受けます。しかし義仲には都を離れるつもりはなく、義経と刺し違えてやると放心状態です。巴御前が義仲の名を呼び続けてようやく我に返る有様で、義仲にとっては自分の思わぬ方向に事態が進んでいくのが悔しくてしかたないといった様子です。
鎌倉方の快進撃の前に義仲はついに都を去ります。征夷大将軍の宣旨を受けてからわずか10日後のことでした。昨日までの旭日は、今つるべ落としの落日となって都を落ちていきます。
義仲に変わって都入りした義経一行に京の人々は沸き返ります。義仲軍の乱暴狼藉に苦しんでいた都の人々にとってはまさに地獄に仏でした。義仲がいた屋敷に入る義経一行ですが、よほど慌てて逃げて行ったのか、烏帽子や着物が乱雑に散らかったままでした。その様子を見て義経は、無残よの…と発するのが精一杯です。義経は弁慶に、義仲を追ってくれと命じられます。
琵琶湖畔の山中で義仲は軍勢に小休止を命じます。軍勢と言っても義仲に付き従うのはわずかに数騎でした。義仲はともに戦ってきた巴御前に「ここらで分かれよう」と提案します。落ち延びるさなかに女連れで逃げ惑い、女に戦わせた挙句に道連れに討ち死にしたとあっては末代までの恥辱だという義仲に、なぜ生きることを考えないのかと必死で説得します。
木曽に戻ればなんとかなる、義仲が死ぬならわしも死ぬ、と駄々っ子のように聞かない巴に、「俺は、お前に生きてほしいのぜ」と義仲は諭します。鎌倉にいる義高のためにも、2人とも死んではならない。巴にぜひ生きてもらって、源氏がこの先どうなるのかを見届けてほしい。瀬田のあたりにいるという巴の兄弟を探し出して、木曽にたどりついてみせる。そう言われては、巴は別行動を承諾するしかありません。
巴はしばらくこの地にとどまり、義仲を見送ることにします。
義仲を追って弁慶が琵琶湖畔にたどり着いたのはそれから一刻ほど後のことで、義仲を見送った巴が義仲追討の兵たちと戦い、一人残らず倒したところでした。巴は弁慶が義仲を追ってきたと思い勝負を挑もうとしますが、巴でも弁慶の怪力にはまったく歯が立ちません。殺せ! 首を刎ねよ! と騒ぐ巴を落ち着かせ、木曽へ落ち延びることを提案した弁慶は、まずは誰も予想しえない南へ進路をとることを勧めます。
目立たぬように巴を洞穴に誘導し、決して悪いようにはしないとの約束で義仲の行先を聞き出した弁慶は、自分が帰ってくるまで決して動かぬように言いおきます。(32:47)
義仲は、手勢の者たちを遠ざけてただ一騎、粟津のあたりをさまよっていました。山々を目の前にしたとき、見上げた義仲がふと後方を振り返ると、源 範頼軍の兵が放った矢が義仲めがけて飛んできました。矢は義仲の頭を射抜き、何も発しないまま落馬……命を落とします。
木曽義仲、享年31。旭将軍の最期にしてはふさわしからぬ、義仲の最期にはまさにふさわしい死にざまであったのかもしれない。
巴御前の隠れている洞穴に都から戻ってきた弁慶は、巴が落ち延びられるように着替えなどを持ってきていました。戦はすでに終わり、巴に求められるまま義仲の最期を語ると、懐刀を出して自害しようとします。今度ばかりはあの弁慶が振り回されるほどに巴が暴れ、弁慶が平手打ちして必死に止めると「殺してくれ弁慶……」と涙ながらに訴えます。弁慶は、義仲の分まで生きてほしい、義仲の気持ちも考えてほしい、とこんこんと説くのです。そして着替えを促し、洞穴から出て待っています。
もうそろそろかと弁慶が洞穴に戻り、巴の姿が見えないと一瞬焦る弁慶ですが、小袖に着替えた巴が洞穴の奥に立っていました。ホッとする弁慶です。「弁慶、わしはこれから次郎殿の分まで生きるぞ」 ほんの少しだけ微笑む巴ですが、せめて一度だけでも義仲にこの姿を見せたかった、とほおを赤らめます。道中ご無事でと弁慶に見送られながら、巴は木曽を目指して歩いていきます。
戦乱の世に咲いた大輪の牡丹、またいつの日か水を得て花開くか。弁慶は巴の幸せを祈らずにはいられませんでした。
原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)
川野 太郎 (源 義経)
加藤 茶 (徳)
岡安 由美子(ほくろ)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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真野 あずさ (右京太夫)
堤 大二郎 (平 資盛)
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大地 真央 (巴御前)
ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
隆 大介 (平 知盛)
佐藤 浩市 (木曽義仲)
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制作:村上 慧
演出:黛 りんたろう
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