大河ドラマ鎌倉殿の13人・(05)兄との約束 ~三百対三千の戦い・決戦! 石橋山~
治承4年8月17日深夜、北条宗時率いる頼朝の軍勢が堤館の周囲を取り囲み、襲撃を開始します。火の手が上がったというのは、源 頼朝と北条政子たちが待機している北条館からもはっきりと見えます。
北条時政や宗時が必死に敵兵を切り倒していく中、この戦いが初陣となる義時は腰が引けてしまい、たいまつを振り回したり刀を突き出したりして敵兵が近寄らないようにするので精一杯です。父上から離れるな! という宗時の指示に従い、屋敷の奥に進んでいった時政をおろおろしながら時政は付いていきます。
堤 信遠は屋敷の奥の角に隠れていましたが、月明かりですぐに見つかります。こんなことをしてどうなるか分かっているのか!? と歯向かってくるのを時政が切り倒し、義時はこれまでの信遠から受けた仕打ちを力に変えてとどめを刺します。ガクガク震える義時の手を握り、時政はフッと微笑みます。「これで終わりじゃねえぞ。始まったばかりだ」
──頼朝は立ち上がった。未曽有の大戦、源平合戦が始まる。目指すは源氏ゆかりの地、鎌倉。義時、たどり着けるか──
戦の後、頼朝の前に山木兼隆、堤 信遠の御首級(みしるし)が並べられて首実検が行われます。まずは大勝利、時政としてはこの勢いを維持したまま伊東祐親の館に攻め込みたいところですが、頼朝は18日であるのを理由に戦は中止するつもりです。頼朝にとって18日は神仏に祈る日であると決めているので、それは時政であっても覆しません。
山木、堤の両名が討ち死にしたことを知った祐親は大きくため息をつき、やはり頼朝を八重と夫婦になった時点で殺しておくべきだったと後悔しています。
頼朝は宗時と義時を呼び、後白河法皇を救うまで坂東での政は頼朝が行うことを世に知らしめることにします。まずは敵の所領を召し上げて味方してくれた者たちに再分配するのです。これはまさに、頼朝の所信表明でした。
誰か所領を取り上げてもいい者と聞いて、ふたりが名前を出したのが「中原知親」という下田地方を担当する奉行です。平家の家人であることを鼻にかけ取り立ても厳しく、領民たちは苦しめられていて彼の評判も実に悪いそうです。頼朝は中原を呼び出し、「全ての国々の荘園公領はみな頼朝の沙汰に従うこと」と以仁王の令旨にしたためてあるとして、中原の土地での権限を停止させてしまいます。
結果的には、これが平家方を激怒させることになります。
「いよいよ来たな、頼朝を成敗する時が」と大庭景親は難しい顔をしています。景親は、頼朝が相模や武蔵の豪族たちに声をかけて味方に引き入れるべく東に進むと読み、そこで頼朝を討ち取る命を下します。
動き出した大庭軍は3,000、頼朝軍はわずか300。三浦軍1,000が北条軍に加勢すれば、力で言えば互角以上…でしょうか。ともかく頼朝は一日も早く鎌倉入りを果たして、自分が源氏の棟梁であることを世に示したいわけです。ちなみに甲斐の武田信義もまた、己が源氏の棟梁であると表明しているようですが、血筋を見れば頼朝に軍配が上がるのは明らかで、なおのこと鎌倉入りを急ぐように宗時は頼朝に進言します。
鎌倉では大庭軍が待ち構えているため、土肥郷に到着した時に三浦半島よりやってくる三浦軍と大庭軍を挟み撃ちにして、一気に鎌倉に入る計算です。宗時は、政子たち家族の身柄を伊豆山権現に預けるために義時にその役目を命じます。自分は頼朝と行動を共にするので、義時には政子たちを送り届けたら土肥郷で合流することになりました。
夜、江間館で心静かに過ごしている八重の元に、頼朝がひょっこり姿を現しました。少ない兵ながら山木を討ち取ることができたのは、八重の機転によるところが大きかったわけで、頼朝としては八重に礼を言いたかったのです。八重は「どうぞ」と館の中に引き入れようとしますが、それはさすがにまずいと頼朝は躊躇しています。ただ幸いにも夫の江間次郎は伊東館に行っているので、いまここには八重一人しかいません。「えっ…そう?」と、頼朝は渋る安達藤九郎をなんとか納得させ、するりと中に入ります。
「達者であったか」「…はい」 元々は夫婦であったふたり、久々の再会に笑みもこぼれようというものですが、「いま帰りました」と外から江間の声がしてきました。頼朝は慌てて手ぬぐいをかぶって顔を隠し、江間館を後にします。何事もなかったかのように振る舞いつつ、フフッとほほ笑む八重の顔です。
北条を引っ張る三郎宗時がいなくなれば北条は崩れると、祐親は善児に宗時を闇討ちせよと命じます。それを聞いていた九郎祐清は「戦の習わしに反する」と反対を主張しますが、勝つためだと聞き入れる様子は全くありません。善児は無表情のまま「へえ」と話を受けます。
8月20日、頼朝は300の兵とともに北条館を発ちます。頼朝の戦旗(いくさばた)の頭(かしら)にくくりつけてあるのは、以仁王の令旨です。
八重は父・祐親の指図により伊東館へ移ることになりました。戦が近いことを肌身で感じた八重は、北条と戦って勝てるかを次郎に尋ねます。次郎は、北条が大庭軍と戦う間に伊藤軍が背後を攻めて挟み撃ちにする戦法を明かし、勝てますと答えます。挟み撃ちという言葉を聞いた途端、八重は顔色を変えて隔たりの川へ急ぎます。
八重を追いかけてきた次郎に「佐どのにお知らせするのです、船を出しなさい」と命じますが、今は自分が八重の夫だと主張してその命令を断ります。侮るな! と訴えつつ、愛する妻の言うことを結局は聞いてしまう次郎です。
土砂降りの中、北条館にたどり着いた八重は、すでにもぬけの殻になっているのを目にします。絶望の表情です。
伊豆山権現は関東でも指折りの霊場で、信心深い当時の人々の厚い信仰を受けていました。ただし女人禁制の環境下ですので、時政後妻のりく、政子、実衣の3人は身を偽り、寺女として雑事を行い掃除などもすべてこなして過ごすことになりました。ひととおり3人を伊豆山権現に送り届けた義時は、雨の中を急いで土肥郷に向かいますが、その途中で伊東軍と遭遇します。
鎌倉へ向かった頼朝軍は雨で思うように進めず、23日、石橋山の山中に陣を構えます。時同じくして大庭軍も石橋山のふもとに到着、陣を敷きます。梶原景時は、狭い山中にいては数の有利が消えてしまうため、石橋山から敵を追い出して平場で一気に叩き潰すことを提案、景親に採用されます。そして三浦勢も石橋山に近づきつつ、雨によって酒匂川(さかわがわ)の水かさが増し、足止めを食らっているようです。「では三浦勢の到着を待って一気に片をつける」 景親は冷静に指示を出します。
その三浦軍ですが、三浦義村はやはり頼朝に兵は集まらなかったからと、父・三浦義澄に撤兵を進言します。しかし義澄は北条を放置するのは納得できず、ひとまず明朝まで待って水が引かなければ引き返すことに決めます。
和田義盛は「おもしろくねぇ!」と、向こう岸の大庭の縁者の屋敷に火をかけてくると言い出しますが、義村は三浦軍は大庭勢の味方だと思われていることを挙げ、わざわざこちらの態度を明らかにすることもないと相手にしません。しかし義澄は、味方と思わせての不意打ちは三浦のすることではないと、ひと暴れして来いと背中を押されます。
大庭の陣中では、信じていた三浦がどうやら裏切ったらしいという話になっています。このままでは大庭軍が北条と三浦の挟み撃ちになってしまうわけですが、この雨では川は渡ってこないから大丈夫だと景親は判断します。しかし景時は、明日まで待てば雨がやんで三浦がやってくるから、三浦が加勢する前段階の今こそ出陣すべきだと進言。黄昏時なので戦としてはちと遅い時間帯ですが、だからこそ敵も油断していると聞いて腑に落ちた景親は、全軍に出陣を命じます。
宗時は自軍に、味方の印である白布を鎧につけさせます。人数分だけ用意したのですが、人がひとり多いようです。仁田忠常は、座り込んでいる善児の肩をポンと叩くと、善治はいきなり刀を抜いて暴れ出し、林の奥に走って逃げていきます。
夜、こっそりと大庭軍に近づいてみると、兵の数に圧倒されます。しかし宗時は、こちら側の兵数が少ないときは敵兵を挑発して山に誘い込めば、狭い場所ならむしろ有利に働くとそれなりの知恵を働かせます。そう時を稼いでいるうちに朝になり、三浦勢が背後から押し寄せてくれば挟み撃ちの完成なのです。
義時が軍に合流しました。背後の山に伊東兵が潜んでいることを伝え、今戦を起こせば戦には負けると必死に訴えます。しかし……。
対峙する大庭軍と北条軍、景親は「カマキリが両手を上げて牛車に立ち向かうようなもんだ!」とけしかければ、宗時に促された時政が「そなたは源 義朝さまに仕えたではないか! 何ゆえ平家にこびへつらう?」と応戦。しかし景親は大笑いして時政を相手していません。それにカーッと血が上ったか、時政は「かかれーっ!!」と景親の挑発にまんまと乗ってしまいます。
ただでさえ3,000と300、数が少ない軍勢が挑発に乗せられて攻め込んでも、結果は火を見るよりも明らかであります。頼朝を連れていったん兵を下げることにした宗時は慌てふためく義時と遭遇、背後に伊東軍が潜んでいる事実を知ります。しかし時すでに遅く、前後を挟まれてしまった北条軍は逃げ場を失ってしまいます。
館に戻った景親たちは戦勝祝いで大騒ぎしています。頼朝をくまなく探している最中で、祐親は頼朝を捕らえるまでは勝ったとは言えないと真顔ですが、頼朝が生きていようが死んでいようが勝敗はついたのだ、と景親は笑います。景親の横に座る景時は盃に口をつけていませんが、敵の大将の首を見てからゆっくり飲む、と表情一つ変えません。
戦場を離れた仁田忠常は真っ先に政子たちがいる伊豆山権現へ向かい、お味方大敗北の報を伝えます。政子は頼朝が逃げ込んだと言われる山へ急いで向かおうとしますが、行ったところで足手まといになるだけと、りくが止めます。あなたにはやるべきことがあるでしょう、と言われた政子は読経をして頼朝の無事を祈ります。そこにりくも加わり、合わせて読経します。「私の夫も……戦っているのです」
草深い奥の洞穴に隠れていた頼朝と北条勢、ともかく三浦の加勢なくここまで戦えたことは奇跡に近く、時政は「勝ったも同然!」と頼朝を励ましますが、頼朝にしてみればどう考えたって負けています。北条の愚策に乗せられて挙兵に及んだことをひどく後悔する頼朝は、ここで死ぬわけにはいかぬから命に代えても守り抜けと時政に命じます。それにしても頼りにしていた山内首藤が味方してくれなかったことを、頼朝は恨みに思っています。
宗時は武田信義に援軍の依頼をすべく、時政と義時に甲斐に向かってもらうことにします。頼朝は武田に頭を下げるようなら自害する! と荒れていますが、頼朝が再起を図るにはこれしか方法がないわけです。盛長に諫められて「任せる」とつぶやきます。
頼朝は髻の中から3歳のころから肌身離さずに持っていた小さな小さな観音像を取り出します。仮に頼朝の首が敵の手に渡った時、髻の中から観音様が出てくれば敵はあざ笑うだろうと、頼朝は洞穴の岩に観音様を立てかけておきます。どうせならご本尊を持ってくればよかったと、誰か取ってきてくれ! と当たり散らすのですが、「私が参りましょう」と宗時がすっくと立ちあがります。頼朝は、怒ったのか? とおどおどしますが、宗時はそれには答えず、小さすぎる鎧を替えたいガタイのいい工藤茂光とともに館に戻ることにします。
武田に向かう義時に、このまま逃げてしまおうと言い出す時政。「大庭に頭を下げてもいいと思ってる。頼朝の首持ってきゃ何とかなるんじゃねえのかな」 何とか仲間割れを避けたい義時の説得に、ふらふらと歩きだす時政ですが、どこまで本気なのか息子と言えども分かっていません。ともかく引き続き武田に向かって歩き出します。
北条館の近くまで戻ってきました。茂光はここで宗時と分かれ、鎧を替えてから北条館に立ち寄るのでそこで合流して戻る算段です。まぁそれにしても、茂光が着用している鎧が小さいというより茂光が太っただけのような気もしますが、そんなことを言いながら宗時が笑って振り返ると、そこには後頚部を刺された茂光が息絶えていました。
「工藤どの!」 あまりのことにうろたえる宗時ですが、その時自分の背後に怪しげな影が近づいてくるのを見、刀に手をかけます。しかし刀を握る直前、ピュッと不気味な音が……。血を吐いて倒れた宗時の後ろに立っていたのは、祐親に命じられた善児でした。善児は宗時が死んだのを確認すると、懐の青色の巾着袋を手にすると、何ごともなかったかのように去っていきます。
館に戻る宗時を見送りに来た義時とふたりきりになった時、宗時は自分の思いを初めて弟に吐露していました。
──平家とか源氏とかそんなことどうでもいい。この坂東を俺たちだけのものにしたいんだ。西から来た奴らの顔色をうかがって暮らすのはもうまっぴらだ。坂東武者の世を作るる。そのてっぺんに北条が立つ。そのためには源氏の、頼朝の力がどうしてもいるんだ。それまでは辛抱しよう──
頼朝の挙兵を誰よりも望み、北条をここまで引っ張ってきた宗時が、死にました。
作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
新垣 結衣 (八重)
小池 栄子 (政子)
片岡 愛之助 (北条宗時)
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山本 耕史 (三浦義村)
梶原 善 (善児)
横田 栄司 (和田義盛)
阿南 健治 (土肥実平)
佐藤 B作 (三浦義澄)
中村 獅童 (梶原景時)
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國村 隼 (大庭景親)
浅野 和之 (伊東祐親)
坂東 彌十郎 (北条時政)
宮沢 りえ (りく)
大泉 洋 (源 頼朝)
西田 敏行 (後白河法皇)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:大越 大士・川口 俊介
演出:吉田 照幸
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