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2022年2月18日 (金)

プレイバック武蔵坊弁慶・(14)峠の軍使

寿永元(1181)年・秋──。一足違いで熊野から京へ向かった玉虫と小玉虫の母娘を追って、都にやって来た武蔵坊弁慶ですが、都は戦さながらに平家の軍勢でごったがえしていました。木曽義仲の追討軍と聞き、いよいよ木曽でも蜂起したかと弁慶は理解します。

病に倒れて御所を退き嵯峨野の尼寺に身を寄せていた右京太夫は、玉虫と看病を受けながら養生しています。毎日毎日穏やかな生活の中で、小玉虫の話は右京太夫にとっては刺激的でありまして、いちばん怖いのがおばば(=桃の前)、次に怖いのがかかさま(=玉虫)、ととさま(=弁慶)はかかさまに叱られて小さくなっていた、などととても愉快で幸せな話ばかりです。「それでは御方様に子守歌を歌うて差し上げまする」

弁慶がその尼寺にやってきて中の様子を伺いますが、あいにく見えません。一度は入ろうとするのを諦め、引き返そうとしていたところ、中から小玉虫が歌う子守歌が聞こえてきました。それをしばらく聞いていた弁慶は、達者でな、と尼寺を後にします。


──木曽山中で平家追討ののろしを上げた木曽次郎義仲の軍勢は疾風迅雷、越後・信濃・甲斐を燎原(りょうげん)の火のごとくなめ尽くし、今や鎌倉の頼朝をも凌ぐ一大勢力にのし上がっていた。そして新宮十郎とともに一気に都になだれ込まんばかりの勢いであった──

ところが、肝心の頼朝は一向に腰を上げる気配を見せませんでした。平家の軍勢が北国街道沿いに集結しているというのに、義仲は信州に陣所を据えて動かない今、頼朝が挙兵して京に攻め上ればいいものをと義経は考えているわけです。

それは北条時政に言わせれば頼朝の遠望神慮なのだそうですが、血で血を洗うような戦はしたくない頼朝は、戦わずして勝つ、つまり最後に笑うのは誰かというのを考えながら流れを組み立てていく人物のようです。頼朝の兄・悪源太義平によって討ち果たされた次郎義仲の父のことを考えれば、頼朝の風下で甘んじているような男ではないわけです。

同族が争うようなことだけは避けたいと考える義経に、これが乱世の宿命であり同族の義仲は敵と思わなければならないと時政は説きます。頼朝は表情ひとつ変えず、義経に信州への出陣を命じます。木曽次郎の背後を突くと見せかけて脅しをかけ、頼朝に二心あるやなしやを問い、なければ証を見せろと迫れ、と言うのです。

京より戻ってきた弁慶に、義経は相談しています。二心ない証を見せろとはつまり人質を要求していることであり、弁慶はまたも頼朝から無理難題をふっかけられたとため息です。ともかく策を弄するよりも裸でぶつかるしかないと言う弁慶は、いい策があるからと義経に自分を軍使に任命してもらいます。

 

木曽義仲が信州平定の前線基地として陣所を構える信州依田の庄は、すでに雪景色です。義仲は鎌倉軍の先鋒が碓氷峠に陣を構えたとの情報をつかんでおりますが、根井行親は大事の前の小事なので引けと言うし、今井兼平や樋口兼光は蹴散らせと言うし、大きく判断が分かれてしまっています。巴御前は、鎌倉軍の先鋒を義経が務めているならそれは牽制であり、頼朝が本気で義仲を潰しにかかっているとは思えないと主張するのです。

軍使として弁慶と伊勢三郎、喜三太が義仲の陣に到着、義経の意向を伝えに弁慶だけが中に通されます。「義仲さまには和戦いずれを選ばるるや、使者の赴きこの一義にござる」と聞くや否や、攻撃を仕掛けておいていずれを選ぶかというのは理不尽だと、今井や樋口は弁慶に切りかかろうとします。義仲は、信州に陣を敷いたのは信濃平定のためであり、鎌倉を攻めるつもりは全くないと答えるのですが、それでは新宮十郎行家が坂東に所領を欲していると信じる頼朝は、納得しないだろうと言うのです。

義経は、滅ぼすべきは平家であり、源氏同士が血で血を洗う愚かだけは何としても避けよと言っています。義仲もこの義経の考えには同意です。義経とは戦いたくはありません。「和じゃ……条件は飲んだと九郎に申し伝えよ。鎌倉へは我が子義高を遣わす」 その言葉に弁慶は耳を疑い、巴御前も噛みつきます。義仲が戦に敗れたのならいざ知らず、我が子を人質に差し出すのは不承知である、と。しかし義仲は、男が決めたことに女が口を差しはさむなと巴御前の反対も聞き入れず、我が子の人質派遣は決定してしまいます。

引き続き弁慶は行家の陣所を訪れます。無法図な荒くれものと思っていた義仲ですが、実は心遣いが細やかな男です。叔父の行家と自分が疑われていると知った時、自分の子を人質に差し出したほうが丸く収まると考えるような男なのです。そういうことになってしまい、自分にも責務があると考えた弁慶は、行家の客将として平家追討の戦に連れて行ってくれと願い出ます。

 

8ヶ月後に義仲は京に攻め上り、天下を睥睨せんばかりに比叡山に陣を構えて都を恐怖のどん底に叩き込みます。後白河法皇は維盛が必死に探していますがいまだに見つかっていません。すでに義仲軍に捕らわれたか、もしくは法皇みずから義仲軍に出向いたか……。そんなピリピリムードの京の街に、優雅な音曲が流れてきました。平家一門の中でただひとり落ち着いているのは池大納言 平 頼盛でありまして、知盛の叔父・維盛の大叔父に当たります。母の池禅尼が頼朝の命の恩人であるわけです。

 

右京太夫の養生先には資盛がやってきていました。建礼門院も子の安徳天皇とともに西国へ落ち延びることになるのですが、建礼門院は幼い帝を抱えての西国下りだからか、右京太夫に一緒に西国へ来てほしい気持ちがあるようですが、資盛は右京太夫のその病状では無理そうという結論になります。資盛は、西国で陣容を立て直して再度都へ戻ってくると右京太夫と約束して別れを告げます。

「資盛さま……行ってはなりませぬか」 右京太夫は、ここでお別れしたら資盛には会えないような気がしたのです。資盛の気持ちに応えるのは今回が実質初めてで、資盛は右京太夫のために網代車の用意を急いでさせます。そして玉虫も、熊野へ帰ることなく右京大夫について西国へ向かうことにします。

 

義仲よりも一歩先んじて、京の都には玉虫の身を案じる弁慶がありました。嵯峨野の尼寺を訪問すると、一刻(いっとき)前に西国へ向かったとのことで、どこかの湊へ向かうと尼が耳にしているので、弁慶は山崎あたりから淀へ舟を使って移動すると判断、山崎の湊へ急行します。

山崎の湊にたどり着き 無人の網代車に寄りかかる弁慶は、女の子の声のととさまーの声に反応してしまいますが、違う家の娘が父親を呼ぶ声でした。どこの父親も同じだ、と苦笑していると、足元に弁慶の人形が落ちていました。駕籠の近くで探している小玉虫を見つけ、再会を喜んで抱き上げる弁慶です。そして小玉虫を探している玉虫とも再会します。

翌朝には西海に落ちる平家の舟が出ます。弁慶と玉虫、小玉虫との別れも近づいてきています。弁慶は心配する玉虫に、仮に源氏が平家に代わって天下を従えても帝は奉じなければならないわけで、今は敵味方に分かれても晴れて親子3人が睦み会える日がくるというものです。3人は笑って別れます。


原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)

川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
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真野 あずさ (右京太夫)
ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
堤 大二郎 (平 資盛)
新 克利 (新宮十郎)
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佐藤 浩市 (木曽義仲)
大地 真央 (巴御前)
隆 大介 (平 知盛)
菅原 文太 (源 頼朝)
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制作:村上 慧
演出:若園 昌己

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