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2022年3月 8日 (火)

プレイバック武蔵坊弁慶・(19)壇の浦

──屋島の戦いから一か月後、安徳天皇を奉じ西海に逃れた平家一門を追って、ここ周防国柳井の港(現在の山口県柳井市)は源氏の軍勢であふれていた。壇の浦決戦前夜である──。

屋島から壇の浦に入ってはやひと月、武蔵坊弁慶は船暮らしを続ける源 義経をいたわり、少しでも陸地に上がって英気を養うことを勧めますが、船での戦によほど自信を持っている平家と対等に戦うためには、少しでも船に乗って自在に船を操れるように慣れておく必要があるわけです。そこにあらかじめ弁慶が呼んでおいた串崎城関守・船所五郎正利が現れます。船所五郎といえば、名を聞けば海賊ですら震え上がるという船奉行であり、いつの日か海戦を迎えるときが来たら役に立つように、弁慶が片岡経春・為春兄弟に五郎とよしみを通じておくように命じていたのです。

義経は、坂東の者で船での戦に不慣れであるがゆえに、先に情報をいろいろと仕入れておきたいところです。平家一門がたむろする周防~彦島周辺の潮の干満はどうなっているかを五郎に尋ねます。五郎はぜひとも自分たちにまかせてもらいたいと頭を下げます。何を隠そう五郎の家は八幡太郎義家公以来、この長門で海門の警護に当たっていて源氏ゆかりの者なのです。源氏の旗の下に加えてほしいわけです。

義経は弁慶とアイコンタクトをとり、大きな声で「頼む」と依頼します。
五郎の説明によれば、長門の海峡は一日に2度潮の流れが変わり、早朝から辰の刻半ば(午前9時ごろ)まで東から西へ流れていた潮が、巳の刻(午前10時ごろ)から正午にかけて逆に西から東への激しい流れに変わる。さらに夕方、今度はまた逆に東から西へ流れが変わるというわけです。

もし頼朝が平 知盛であれば、潮の流れが西から東になった時に彦島を出て流れに乗って敵を追い詰め、潮が止まっている短時間のうちに一気に勝敗を決し、流れが東から西へ変わったときにまた流れに乗って西に戻ってくれば、余力を戦いに使うことができて好都合です。
ということは、義経がなすべきことは敵の裏をかき、流れが西から東に向かう昼間はのらりくらりと戦をかわし、潮の流れが東から西へ変わった時を狙って攻撃に転ずれば敵を彦島に追い詰めることができるわけです。

義経は三郎に、合戦の始まりは明日の午の刻(正午)と触れを出させます。

 

彦島にある仮御所に、知盛と平 資盛がやってきました。安徳天皇に申し上げる話があるようで、直々に参る と知盛は歩いていってしまいます。その場に残された資盛と右京大夫は再会を喜びますが、右京大夫に従う玉虫は「ここは人目につきまする」と、場所を変えることを勧めます。

誰もいない浜辺で感情が高ぶり、二人は固く抱き合っています。資盛にもしものことがあれば、自らも壇の浦の渦に身を投げるという右京大夫に、資盛は「ならば御身とわしはどこまでも一緒じゃの」と言って右京大夫を喜ばせます。そして勇気をもらった資盛は、思う存分戦えると その表情は自信に満ち溢れています。

 

母である二位尼 時子の前に出た知盛は、安徳天皇を彦島に残しては心もとないので、御座船に帝を乗せ彦島から出て合戦に向かうように伝えます。矢など飛んで来たら危ないと主張する二位尼ですが、帝の生母・建礼門院徳子はみんなが一緒の方が心強い、と知盛の提案に従うことにします。

 

「この海のどこかに、ととさまもおじゃるのであろうか。のうかかさま」と小玉虫が尋ねます。しかしもし母娘が弁慶に会えるなら、その時はお味方が負け戦になったときであり、義経軍が女子に無体なふるまいをするとは考えにくいものの、覚悟をしておかなければならないとつぶやきます。覚悟という表現では小玉虫は理解ができないわけですが、一門と運命を共にするのが武家の倣いであると諭します。

弁慶は屋島の戦いの折、何があっても最後まで望みを捨ててはならない、生きていさえすればいつか必ず会える、と言ったと信じていました。玉虫は、もし一門が覚悟を決め自害を選んだとすれば、自分や小玉虫だけが生き残るわけにもいかないと説明するのですが、いやじゃ! と小玉虫は走り出します。「小玉虫は自害などしませぬ! ととさまに会いたい……」

 

柳井の津の女郎屋にいる千載は、弟の頑入に呼ばれて付いていきます。海辺に腰を下ろす千載は、目の前の明かりのどこかに弁慶がいることを頑入に教えてもらい、初めて弁慶に出会った頃のことを思い出していました。しかし頑入にとって弁慶は恨むべき敵であり、彼がいなかったら遮那王をとっくの昔に殺していたわけで、現在の九郎判官義経はこの世に存在しないことになります。そして頑入は今ごろ知盛に取り立てられ、船の上にいたはずなのです。

とはいえ、平家がアヒルなら源氏はキャンキャン吠える犬同然、水軍を持たない義経が船に乗ったところで何ができる、と鼻で笑う頑入は、海の藻屑となって消えていく彼らの明日が楽しみで楽しみで仕方ありません。

 

船上の義経に、後白河法皇からの書状が到着しました。戦に勝たなくてもいいから、帝だけはお救いせよ──。戦の前夜に「勝たずともよい」とは何事かと立腹する義経ですが、弁慶は義経の気を静めさせながら、なんとかやってみましょう、と笑います。赤間まで漕ぎ出して戦乱に乗じてという方法で、それは義経も考えた方法なのですが、あまりに危険が多すぎるわけです。とはいえそれしか方法が見当たらないので、船を2艘と海に強い片岡兄弟を借りて、弁慶たちは赤間に向かうことにします。

 

元暦2(1185)年3月24日、日本の合戦史上最も悲劇的な海の戦いとして語り伝えられる平家滅亡のドラマは、今まさにその火蓋が切って落とされようとしていました。

夜明けの彦島で、知盛の前にやってくる右京大夫と玉虫母子ですが、御座船にはもういっぱいで乗ることができず、やむを得ず別の船に乗ることになりました。そして玉虫には、もしもの時には女御たちを手厚くもてなしてやってくれと、玉虫の夫(←あえて名前は言わなかった)に伝えてほしいと伝えます。

小舟に分かれて無数の船が瀬戸内海を進んでいきます。そのころ、海峡の入口に位置する二つの小島──満珠と干珠に集結していた源氏の軍船は、じっと息を殺して平家の軍船を待ち受けていました。間もなく、この狭い海峡は両軍の軍船で埋め尽くされようとしていました。しばらくすると、敵兵の軍船が小さく見え始めました。「いざ、参ろう!」

知盛は、義経よりもはるかに壇の浦の潮流の変化に通じていました。西から東へ滾り(たぎり)落ちる早潮に乗って、源氏を満珠と干珠の周辺に圧迫し、潮の流れが止まっている間に一気に敵を葬り去る作戦でした。しかしその知盛の思惑を、義経はすでに読んでいたのです。

義経軍は攻撃をしては引き、引いてはまた出てくるの繰り返しで、のらりくらりとしていました。もしや潮の流れが変わるのを待っているのではないかと疑う能登守教経と資盛を、知盛は手ごろな船に乗り移らせて戦を仕掛けさせます。

戦いと言っても陸地とは違い、身動きが取れない船の上からの攻撃なので、そのすべてが弓矢でのものになってしまいます。それゆえに敵兵と交わり刀を合わせてというシーンがなく、戦というにはちょっとおとなしいものではありましたが、襲うと見せかけては離れ、離れては襲うを繰り返し、敵を翻弄する義経や弁慶に比べ、平家方はかなりイライラしてきたか、攻撃も強くなってきました。

やがて運命の、潮の流れが変わります。青天の下、居眠りしていた弁慶はムクッと起き出します。「よし、今だ」

 

それは実に、海を渡ってくる疾風(はやて)にも似た潮の急変でした。源氏の軍船はあたかも満を持していたように、流れに乗って激しく敵に襲い掛かります。義経は敵の船に乗り移り、敵兵を次々と倒していきます。

知盛は義経を弓矢で射殺そうとその姿を探しますが、小舟の中で行ったり来たりとあまりにうじゃうじゃしすぎていて、義経の姿を見つけることが困難になっています。

岩場の影から漕ぎ出でてきた弁慶の船は、敵兵を倒しながら御座船を発見し、片岡兄弟に向かわせますが、その船はダミーでした。

 

平家の形勢が悪くなってきました。知盛は資盛に帝を守って逃げるように叫びますが、資盛は逃げません。そんな問答をやり取りするうち、資盛の首に矢が突き刺さります。「ご覧候え叔父上……資盛とて恥を知る武士(もののふ)……むざむざ敵に首をかかれてなろうものか」 自ら刃を首に当て、サクッと斬ったかと思うと、御免! とひとこと、海に飛び込んでいきます。

知盛はその後もしばらく戦いを続けていましたが、目と鼻の先に義経の姿を見つけます。知盛は義経に弓矢を放ちますが、刀で簡単に払いのけられてしまいます。「この戦、すでに勝敗は明らかなり!」と義経に言われて、ワナワナと怒りに震えるのは知盛……ではなく能登守教経でした。刀を構える教経に、義経は八艘飛びで目まぐるしく船を乗り移り、完全に教経を翻弄しています。そのうち教経は敵兵に囲まれてしまい、彼らを抱え込んだまま海に飛び込みます。

2人の死に直面した知盛は、足元にあった船の錨を体に巻き付けます。「この世で見るべきものはすべて見たり! 何の命が惜しかろう」と、怒りを抱えたまま海に飛び込みます。

 

安徳天皇の乗った御座船は無傷でしたが、味方の敗北は濃厚となり、すすり泣く声が響いていました。二位の尼は女たちに、東男の辱めを受けるなと言葉をかけ、自らは帝とともに運命を共にするので、志を同じくする者は急ぎなさいと促します。

帝が離れないように帯で固く結んだ二位の尼が船から身を乗り出て言います。「さ、都に参りましょう。波の下にも都はござりましょうほどに──」

女たちが次々と海中に身を投じる中、平 宗盛ただひとりはじっと海を見つめたまま微動だにしません。

 

日が落ちようとしている中、弁慶は御座船らしき船を発見し早速に向かいますが、その前にひとり女性が海に浮いているのを発見し、引き上げます。助けたのが建礼門院と知り、帝の居場所を聞き出そうとしますが、帝も海に身を投じた後のようでした。

弁慶の無念さは果てしもありませんでした。


原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)

川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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真野 あずさ (右京太夫)
新井 春美 (千載)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
東 恵美子 (二位の尼)
堤 大二郎 (平 資盛)
隆 大介 (平 知盛)
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制作:村上 慧
演出:清水 一彦

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