プレイバック武蔵坊弁慶・(22)行方も知らず
源 義経は鎌倉方との戦を決意し、それに反対する武蔵坊弁慶はついに義経と袂を分かちます。弁慶と義経との別れは同時に、弁慶と玉虫、小玉虫との出会いでもありました。偶然に弁慶を訪ねてきた愛しい母子と再会した弁慶は、2人を連れていずこともなく姿を消しました。
弁慶が消えた夜は駆け足のように去り、朝を迎えて義経の家人たちで大捜索が行われますが、誰ひとり弁慶と再会する者はおらず。しかし有力な情報も得られました。女を2人連れていて、うち1人は子どもであったとのことです。伊勢三郎はそれが、玉虫と小玉虫であると察知しますが、その3人が結局どこに向かったのかというところがはっきりとはつかめていません。
片岡経春は「妻子に泣かれた、主君か妻子か? 妻子じゃ。逃げる。うん、よくある話じゃ」とひとりで話をまとめてしまっていますが、三郎にお前も同じ状況であればそうするかと問われて首を振ると、三郎は「お前がしても弁慶はせぬ」と冷静に突っ込みます。ともかく、地図を頼りにもう一度最初から捜索をやり直すことにしました。
常陸坊海尊は義経の元を訪れ、弁慶との間に何があったのか問い詰めますが、義経は「暇を出した」としか言いません。郎党たちが必死で弁慶を探し回っているのは、彼らの要であるからなのです。海尊が「弁慶は義経の右腕になる」と直感したからこそ義経に対面させたのです。しかし義経は侍頭は三郎か佐藤忠信に決めて、喜三太に馬の用意をさせて出かけていってしまいます。
新宮十郎行家の館を訪れた義経は、鎌倉と戦を構える決断をしたと報告します。十郎は昨晩、弁慶に脅かされたのを根に持っているようで、あんなお尋ね者の僧は必要ないと言いたげです。しかし義経は、自分や弁慶は無分別なほど威勢が良かったとつぶやいては、五条大橋や鞍馬寺での対決を思い出して懐かしんでいます。
十郎は弓矢がまったくダメでありまして、義経にその場を譲るのですが、的の中央から弁慶の顔が浮かび上がってきて、それで心をかき乱されてしまったのか、義経が放った矢も大きく的を外してしまいます。
右京太夫のところにも、義経の堀河館から亀井六郎が訪ねてきていました。弁慶が失踪したことを伝え、もしこちらに来た際には館に戻るように伝言をお願いし、帰っていきます。ふたたび庵にひとりになって、右京太夫は竹林を見つめながら振り返ります。もし弁慶が平家に味方していれば、平 知盛の運命も変わっていたかもしれない、と。
ふと見ると、目の前に知盛が立っていました。知盛が案内するままに竹林を進んでいくと、平家の公卿や女房たちが手招きしている姿が見えました。右京太夫はびっくりして立ち止まりますが、知盛が「この世であの世を歌いなされ、そなたは歌詠み──」とつぶやくところでふっと我に返ります。
義経から侍頭について一任すると言われた海尊は、弁慶の後釜として三郎に侍頭になってもらおうと頭を下げますが、「俺はそんな柄じゃねぇよ」と言って断ります。弁慶の後釜であれば海尊が継ぐのが筋、という姿勢を崩さない三郎ですが、よくよく考えてみれば自分も海尊も、そして忠信も弁慶の後釜は無理というものです。弁慶にははなから叶わなかったのです。
忠信が弁慶を見つけたと行方六郎が知らせに戻って来ました。洛奥の補陀洛寺に経を上げさせてほしいと立ち寄ったそうで、そこは女人禁制のために寺の外で玉虫が待っているとのことです。忠信が弁慶を見張っているので、今のうちに一同、補陀洛寺に向かうことにします。
長い読経が終わり、弁慶が屋敷から出て来ました。忠信は弁慶を追いかけようとしつつ、それができません。
いつものように静の館に入った義経が酒(ささ)を持てと依頼すると、静は義経と縁を結んでくれた弁慶の思い出話をします。義経が母・常磐のことでもやもやしていた時も、弁慶は噂だけに流されるのではなく「自分の目で確かめられよ」と諭してくれたのです。そして一条屋敷に会いに行ったときに出会ったのが静御前でした。
補陀洛寺に家人たちが集まりました。弁慶の行方を尋ねる一同に、行方は分からないと忠信は頭を下げます。三郎は一発殴るのですが、弁慶が補陀洛寺から出てきたときの玉虫親子の喜びようを見ると、この3人の幸せを崩すことは自分にはできないと、追わなかったのです。そんなに遠くには行っていないはずだ、と三郎は探そうとしますが、他の面々は忠信の気持ちも痛いほどわかるだけに、行動はとてもスローです。
弁慶一家は、都での騒動など知るはずもありません。玉虫と小玉虫は外れの温泉に入って疲れをいやしていますが、弁慶は恥ずかしがって一緒に入れないようです。強くて力持ちな人間でありながら、そんなシャイな一面も見せる弁慶を、玉虫も小玉虫も大好きです。
静の館に三郎が来ました。侍頭を引き受けることになった挨拶にまかり越したわけですが、三郎は弁慶が戻るまでの期限付きということで引き受けます。義経は、侍頭が去った者のことばかり考えていても困るのだと厳しい表情です。そこで三郎は、弁慶が補陀洛寺でしたため納めた祈願状を借りてきて義経に手渡します。三郎は字が読めないので、義経が読み上げてくれることになりました。
──源 九郎判官 義経公に暇下されし候。ひとえに愚生の不徳の致すところ、しかして痛惜の極みの由、前世の因縁か、我ら野心なきこと天地神明に誓い相違なきと言えども、御勘気解けざるの由ただただ紅涙を覚えるなり。顧みれば判官公に初めてお目見え候時、まこと乱暴な振る舞いに及び候。それは愚生が判官公こそ極楽黄土の天人と悟らざるの由、まさに汗顔の至りに候なり──
祈願状は、義経への尽きせぬ思いをつづったものでした。それはまるで兄が弟に宛てた手紙で、さりげなくもあたたかな労わりの心が行間に縫い込められていました。
──一の谷、屋島、壇の浦の合戦など経し候間、ひと度も辛きことこれなく、判官公の愚生に対するお慈しみはらから同様、いやそれに勝るものと覚え候。請い願わくば、御祖師の広大無辺な御慈悲を以て源 九郎判官 義経公に一層の御加護を賜らんことを願いあげ奉るの状、件(くだん)の如し。寿永四年九月吉日、熊野国住人、武蔵坊弁慶──
涙を流す義経と三郎、そんな彼らを黙って見つめる静。こうして弁慶のいなくなった一日は過ぎていきます。
原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法・下川 博
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)
川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
麻生 祐未 (静)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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真野 あずさ (右京太夫)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
新 克利 (新宮十郎)
隆 大介 (平 知盛)
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制作:村上 慧
演出:重光 亨彦
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