プレイバック武蔵坊弁慶・(18)屋島の灯
寿永3(1184)年2月7日、武蔵坊弁慶に先導された70騎の源氏武者は、一の谷平家本陣を背後から奇襲。世にいう「鵯越えの逆落とし」です。これにより一の谷の合戦は源氏の勝利に終わります。
その年の夏、義経は武蔵守に叙せられるといううわさが立つ中、一切の功績がなかったという扱いになってしまいます。後白河法皇は、一の谷の合戦の第一功労者は義経だとしていながら、鎌倉の源 頼朝の意向により口をつぐむしかなかったようです。それを大膳太夫成忠に聞いた弁慶は憤慨しつつ、言いかけた言葉を飲み込むしかありません。ともかく成忠からは、今回の叙任に関しては頼朝の意向が強く働いていることを、義経には誤解なく伝えておけと言われてしまいます。
「兄上はいったい何をお考えじゃ!」と、義経が扇子を床にたたきつけて激怒するのも無理はありません。源 範頼は、この一の谷の合戦の総大将であるだけで何も功績がないのに評価され、義経の戦功は頼朝がとても喜んでくれたのに評価なしです。くやしゅうはないのか! と義経は弁慶を怒鳴りつけますが、弁慶は「くやしゅうござる」と大笑いするだけです。
義経の功績が認められて褒美がもらえたら、自分も義経にあやかって下級官位をもらえるのではないかと“捕らぬ狸の皮算用”をしていたわけです。書写山圓教寺放火という天下の大罪人が官位をもらえるとすれば、それは相当な出世であるわけで、義経の無冠を笑ったのではなく己の浅ましさを笑ったのです。
義経は官位をいただくのが夢でした。官位を授かって母と喜びたかったのです。義経の寂しそうに笑う顔が、弁慶には印象的に映ります。
一の谷で敗れたとはいえ、平家は瀬戸内海を制して本陣を屋島に置いていました。平 知盛は長門まで下がり、水軍の力を使って源氏らに一泡吹かせてやりたいと訴えますが、京の都から離れるのをよしとしない平 宗盛は首を立てには振りません。そんな話し合いの中、平 資盛が「兄が…入水仕りました」と泣き崩れます。維盛といえば清盛の嫡孫、重盛の嫡男であり、平家一門にとっての嫡流であります。その維盛の入水自殺は平家滅亡を予感させ、一門にとってはとても大きな衝撃でした。
維盛入水の知らせを聞いた右京大夫は、おいたわしいと涙を流しますが、資盛は誰のためでもない右京大夫ひとりのために戦うと言い、女に生まれてこれほどの家宝はあろうかと、右京大夫は感激します。「今宵こそは……身も、心も」
屋形船の上で暮らす小玉虫は、父・弁慶がいつ迎えに来てくれるのかと母・玉虫に尋ねます。会わないと父の顔を忘れてしまうと嘆く小玉虫に、玉虫もさほど長く一緒に暮らしてはないものの、しっかりと胸に焼き付いていると答えて小玉虫に羨ましがられます。「今度会えたら思いきり甘えたらよい」と小玉虫を慰める玉虫です。
一の谷の戦いから半年が経過した寿永3年の夏、源平両軍は海を挟んでにらみ合っていました。弁慶は次の戦いに向けて準備を怠ってはいません。次は海の戦いになるだろうからと、泳げない伊勢三郎に水練を命じて泳がせているのですが、なかなか上達しませんで難儀しています。義経に呼ばれたと弁慶が席を外せば、三郎は「ありゃ悪い知らせだ、俺が聞いてくる」と弁慶の後を追いかけようとするのですが、片岡経春らに担がれて海に連れていかれます。
満面の笑みを見せる義経が言うには、「検非違使(けびいし)・左衛門少尉(さえもんのしょうじょう)」というお役目を任ぜられることになりました。弁慶はおそるおそる「鎌倉どののご推挙で?」と義経に尋ねますが、義経は自信たっぷりに「いかにも」と答えるので、弁慶は目に涙を浮かべて義経の任官を喜びます。
検非違使とは京周辺の地を管轄して治安維持に努める役目で、犯人を捕まえたり訴訟裁判を担当したり、道路河川の修復など民政にも関与することなども受け持ったお役目、左衛門少尉は実務上の責任者、今でいえば警視総監と東京地裁所長を合わせたような役職であり、無位無官の義経にしてみれば大出世ということになります。
実は弁慶、頼朝のことは少し誤解していたようで、これまでも義経に対して兄弟の情が一切感じられなかったのですが、今回の任官についてやはり実の兄なんだなぁと頼朝のことを見直したようです。
義経は一刻も早く母に知らせたくて、文を書く用意を弁慶にさせる義経ですが、弁慶の喜ぶ表情を笑顔で見ていた義経の顔がみるみる暗くなっていきます。「今度のことは、鎌倉のあずかり知らぬことなのじゃ」 検非違使 左衛門少尉の任官について、後白河法皇の特別な思し召しであって頼朝の推挙はなかった。その話を受けた義経は、ただ単に母を喜ばせたかっただけなのです。
無断で官位を得るのは、鎌倉の指図に反することでした。しかし、義経の母への思いを知っている弁慶としては、その思いを止めることができませんでした。代官という役目もあるので、鎌倉にはお伺いを立てることを勧める弁慶です。
鎌倉では、義経からの書状を受けて、北条時政たち重臣たちに後白河法皇の真意について考えてみます。時政は、義経を認めない頼朝と義経の間にくさびを打って二人のつながりを引き裂くつもりではないだろうかと考えています。頼朝は 捨て置けと、義経からのお伺いを無視することにします。官位などというものはたかだか玩具だから好きなように遊ばせておけ、というわけです。「ただし、このたびの西国攻めから九郎を外す」
範頼に率いられた平家追討軍2万の兵が西へ向かいます。義経は官位は得たものの、追討軍から外されたことは大きな衝撃でした。義経の屋敷で公卿たちに和歌を習って毎日を送ります。水練を続ける三郎はかなり上達したものの、義経がこのようなありさまでは水練の実力を発揮できる場がありません。自分たちは飼い殺しではないかと弁慶に訴えますが、法皇と頼朝の板挟みになって苦しんでいる義経を一番理解しているのは弁慶ですので、そのうち折を見てな、と三郎をなだめるしかありません。
北白河・静の館に、義経の姿がありました。兄はどうして自分を無視するのか……義経の心のモヤモヤは一層深まるばかりで、酒も全く進みません。静はできるだけ笑顔でふるまいますが、義経の気持ちは全く晴れません。任官を認めない頼朝のやり方に怒りを感じて軽はずみに官位を受けてしまったがために、平家追討軍から外されて今の硬直状態を生み出してしまっているのです。静にはかける言葉が見つかりません。
弁慶の密命を受けていた佐藤継信が西国から戻ったのは、その年の暮れのことでした。継信が見てきたところ、範頼の戦ぶりは全くダメダメで、大軍をもってしても“思わしくない”どころの話ではありません。瀬戸内は知盛の水軍に押さえられ、兵糧確保にも事欠くほどです。噂では頼朝に「全軍壊滅近し」と泣きの書状を送ったとか送っていないとか。
弁慶は義経の居室に赴き、今こそ鎌倉に宛てて「範頼とともに戦いたい」と書状を書くことを勧めます。しかし義経は半ば上の空で、返答の来ない文など何の意味があると、もはや自暴自棄に陥っています。書かぬ、とふくれっ面の義経に、弁慶は「さようか」とあっさり返し、御曹司は一生御所車に乗ることに決めたか、とため息交じりにつぶやきます。
いかに源氏が名門とはいえ、宮中の雅の中では借りてきた猫も同然であり、殿上人のまねごとは似合わない、とズバリ指摘します。戦場の中でこそ光り輝くというのに、公卿の客を相手にする毎日は見ていられないわけです。苛立ち、席を蹴る義経の腕をつかむ弁慶は、鎌倉に無断で官位を受けたのは、政のなんたるかを知らない無慈悲も等しい愚行ではあるものの、それをいつまでもくよくよ悩んでいては道は開けない、と説きます。
「あえて道を切り開く熱き思い冷めなば、いっそ山寺の稚児に戻られてはいかがか!」 それが主に対する言葉か! と逆上した義経は弁慶を平手打ちし、さやで殴り続けます。弁慶は甘んじてそれを受け、ついに義経は膝から落ち、泣き崩れます。気は晴れましたか、と優しく言葉をかける弁慶は、今からでも鎌倉に文をと勧めます。「最後の最後まで望みを捨ててはなりませぬぞ」
屋島を攻めよ──頼朝の義経への命が下ります。屋島には玉虫と小玉虫がいます。辛い戦が弁慶を待っているのです。京都を出発した義経軍は摂津渡辺の津(現在の大阪)を経て淡路島へ渡り、折からの嵐を利用して四国安房に上陸して一気に屋島を目指します。海上を警戒していた平家の裏をかき、一の谷同様、背後から平家本陣に奇襲をかけたのです。
迎え撃つ知盛は矢の標的を義経に合わせますが、それに気づいた佐藤継信によって遮られ、継信は義経の身代わりとなって命中してしまいます。そして、落命。三郎は、継信の仇を討とうと知盛めがけて攻撃しようとしますが、義経に止められます。「合戦は……これまでじゃ」 佐藤継信、享年27。
継信は奥州平泉に妻子を残しての参陣でした。一人むすめと聞いて弁慶は胸を痛めます。遠方の目の前に広がるともしびの中に、妻と娘がいるのです。とても複雑です。
翌朝、屋形船から一艘の船が陸地に近づいてきました。帆先には女子が立っていて、扇を立てています。「あの扇を射落とすということか」「戦占いじゃ」「はあ…大胆な」などと義経軍がざわざわし始めました。弁慶は、穂先に立つ女子が小玉虫であることに気が付きます。的を射落とすか外すか、それで勝敗を占うのが戦占いです。船上の小玉虫は父親会いたさに、危険な役目を買って出たわけです。
義経は軍勢の中に、あの扇を射落とせるものはいないかと尋ね、評判高い那須与一が選ばれます。与一は馬上のまま海に入り、しばらく的を絞って狙っています。構えを解いたかと思うと、弓を引き絞ってパッと放ちます。弓は見事に扇を射て、扇はヒラヒラと舞いながら海に落ちます。
引け! の合図で船は下がっていきますが、船上の小玉虫は「ととさまーっ、ととさまーっ」と呼び続けます。その声に弁慶はいたたまれなくなり、馬に乗って与一と入れ替わりに海に向かって駆け入ります。その様子は小玉虫からも見えましたが、ふたりの距離は徐々に離されていきます。
──もはや声は届かない。父は子を、子は父を見つめていた。その視線が途切れるときこそ今生の別れかもしれない。父と子は、ただ悲しかった──
原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)
川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
麻生 祐未 (静)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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真野 あずさ (右京太夫)
堤 大二郎 (平 資盛)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
隆 大介 (平 知盛)
菅原 文太 (源 頼朝)
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制作:村上 慧
演出:松岡 孝治
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