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2022年3月 1日 (火)

プレイバック武蔵坊弁慶・(17)一の谷 鵯(ひよどり)越え

寿永3(1184)年2月、戦で家を焼かれた都の人々の顔にようやく明るい笑顔が戻り始めていました。女たちは小川に集まって着物を洗濯しているのですが、木曽義仲を追い払って京に入ってきた源 義経の凛々しさを語り合っていて、井戸端会議のように会話も弾みます。今でいうアイドルのようなもてはやされ方です。

そこに「おはようござります」と入っていったのは静でした。女たちは、義経の話を静にもするわけですが、その話が終わらぬうちにたまらなくなって家に引き返してきます。静としては義経のことは忘れようと努力しているようですが、なかなかに忘れがたく……。ともに暮らす母・磯禅師も、静の心の中にまだ義経がいると分かっていながら、義経は昔の遮那王とは違うからと早く忘れるように諭します。義経に縁談話があることを知った静が、鎌倉の屋敷から姿を消したのが4年前のことでした。

洛中を地震が襲ったのがその直後でした。多くの公家たちが我先にと屋敷から逃げ出す中、義経の兵は警護を理由に屋敷に入ろうとします。抵抗する公家もいたのですが、役目を果たすべく強引に入っていきます。揺れが収まり、床に散らばるものを慌ててかき集める家人の手から書状を奪い取ってみると、平 宗盛からの密書を見つけてしまいます。

 

大膳太夫成忠は、警護にことよせての義経の暴挙を批判しますが、伊勢三郎や片岡経春・為春らを番犬ぐらいにしか思わず危ない役目ばかりを押し付けて、保身に走った成忠へのうっぷんを言い放って成忠を脅かします。

笑ってその様子を見ていた義経は、改めて、屋敷に押し入ったのは御所を守ろうとしたからであり、お互いに取り乱していたために結果的には乱暴狼藉という形になってしまったことについて詫びを入れます。その上で、平家に内通する公家がいること、そして平家追討の院宣がいまだに下されないことについて、義経は成忠に意見を求めます。

あくまでも後白河法皇は戦には反対の立場だと説明し、義経も戦をせぬに越したことはないと認めつつ、入京した義経軍がのうのうと過ごしている間に、平家は屋島に内裏を置き西国の勢力を結集して福原に兵を進め、上洛の機会をうかがっているのです。もし平家がそのまま京に攻め入ったとしても、それでも法皇は戦は避けるべきとの姿勢でいるのか、と義経は成忠を追い込んでいきます。

正直なところ法皇にとって最も気がかりであるのは、平家とともにある安徳天皇の身と三種の神器でありまして、最悪でも神器さえどうにか戻って来さえすれば、平家と源家の争いについては関与しないというわけです。神器を取り返すためにいったん平家と和睦しては? と勧める成忠は、義経を小ばかにしたように言います。「それともおことらに三種の神器を取り戻す手立てが他におありかな」

 

直接的表現を避け、遠回しにしか言えない殿上人に飽き飽きした義経は、法皇に関係なく源 範頼らとともに平家を討伐すると決意します。弁慶は、法皇に平家との和睦のことがある以上はこちらの動きも平家に筒抜けであることを義経に忠告します。

 

洛東地区を警護に回る義経主従ですが、どこからか今様が聞こえてきました。声がする方へ歩いてみると、静が舞を近所の民たちに披露していました。「おおぉぉ、あれは……静どの!」とはしゃいだ三郎の声で、みな蜘蛛の子を散らすように逃げ隠れてしまいますが、弁慶が義経の名を名乗って民たちを安心させようとします。静は振り返り義経のまなざしを一身に受けるのですが、家に入っていってしまいます。

涙を流す静ですが、義経上洛の際にも姿を見かけ、鎧を付けた凛々しい姿にとても嬉しくなったと語ります。とはいえ、義経にはすでに北の方(=妻)がいる身であるので、自分のような人間が義経のおそば近くにいてはいけないと、身を引くしかなくて声掛けしなかったと弁明します。義経は静に辛い思いをさせてしまったことを詫び、しかし自分が思いを寄せているのは静しかいない、と打ち明けるのです。「九郎はそなたが欲しい。一生そなたをそばに置きたい」「お会いしとうございました……!!」

 

西国を平定して陣容を立て直した平家軍は、屋島を安徳天皇の行在所(あんざいしょ=仮御所)と定めます。新中納言平 知盛を総大将とする10万騎は、海を渡って清盛ゆかりの福原に進出。西の一の谷に本陣、生田の森に東の岐路を設けて、満を持して源平決戦の時を待ち受けていました。

京から5万の軍勢で山陽道を西に進む範頼軍、1万の軍勢で亀岡から丹波篠山方面に向かう義経軍、平 資盛軍は一の谷から北上して義経軍に対抗します。ところがこの時義経は、情報が公卿から平家方に漏洩するのを見越し、2月4日に1万の軍勢で都を進発すると伝えておいて、実際にはその前日に播磨三草山に駒を進めていました。そして油断している平 資盛の軍を三草山に打ち破った義経軍は、瞬く間に平家本陣に迫ります。

このまま鵯越本街道を進めば平家軍2万が待ち受けています。義経は軍を二手に分け、土肥実平隊7,000は塩屋方面から一の谷の西側に、義経軍は残り3,000で鵯越えから一の谷の背後(北側)に進むことにします。一の谷の背後は険しい山道ですが、まさかこの険しい山道を通って攻撃には来るまいと油断が生じているはずだ、というわけです。

 

途中、大木が転がって先に進めなければ弁慶が抱えて脇に投げ飛ばし、経春が方角を見て三郎が先頭に峠道を進んでいきます。みんなそれぞれに得意分野があれば、できなさそうなことでもなんとかなるんですねwww。途中、平家の見張りのような者がひとりついてくるのが見えますが、弁慶はあえて放置し一の谷に引き寄せておきます。

我慢しきれなくなった三郎の勧めで、「休憩だ!」と円座になって水を飲み、ちょっとしたスキにその男を追いかけます。しかしこの男もすばしっこく、木に登ったかと思うと他の木を伝って飛び逃げていったり、追いつきそうなところでわき道から出てきて反対方向へ逃走したりと、三郎と佐藤継信はかなり翻弄されます。そして穴に落ちそうになった継信を突き飛ばした三郎は、自分が穴に落ちてけがをしてしまいます。

弁慶が穴に飛び込んで三郎を抱え上げ、なんとか助けた一行ですが、その一行がぎこちなく会話している間に弁慶が男の背中側に移り、木の上に逃げたのを見て弁慶はその大木を揺らしに揺らし、振り落とされたところをようやく捕まえます。しかし男は、弁慶にどれだけ脅されても一言も発しません。いや、もしかしたら言葉を知らないからこそ発せないのかもしれません。

いつもケンカばかりの三郎が身代わりになって穴に落ちてくれたんだと、初めて友情を感じた継信は三郎のためにその男を殺そうとし、三郎は自分に殺させてくれと聞きません。弁慶は、自分たちはこれから次々と人を手にかけていかなければならないとき、殺す必要のない者まで殺していてはそれは殺生に当たると三郎を諭します。それでも収まらない三郎に、弁慶はスッと表情をなくし「ならば好きにしろ」とさじを投げます。命を助けて平家に知られるのを恐れて、三郎はこの男の命を奪おうとするのですが、振り上げた手を下ろすしかありませんでした。

曇っていて経春が方角を読めなくなったので、三方に分かれて一の谷への道を探しますが、結局は見つからず同じ場所に引き返してきました。こんな山中に兵たちを通すというのが無理だったのではないかとあきらめムードが漂う中、耳をすませば波の音が聞こえる、無心になって匂いを嗅げば潮の香りがしてくるはずだ、と皆を鼓舞します。

草をかき分け進んでいくと、先ほど捕まえたはずのあの男が立っていました。縄で木にきつく縛りつけたはずなのに、と驚く一同をよそに、男は「ついてこい」と弁慶たちを先導していきます。鷲尾三郎経春──彼との出会いの瞬間、一の谷の合戦の勝敗は決したと言っても過言ではありません。

 

義経軍が、わずか70騎という精鋭で険しい山道をもろともせず、鵯越へ向かいます。一の谷の本陣の裏手にある鵯越に、まさか忽然と義経軍が出現しようとは、平家軍は予想だにしていませんでした。
「鷲尾三郎、この崖は時々鹿が下りるそうだが?」
「おぉ、下りていくぞ、群れをなしての」
「鹿が下りるものなら馬が下りぬはずはあるまい。それが道理というものじゃ」
「その通りじゃ、臆病な鹿はどうか分からぬがのう」

寿永3年2月7日、義経軍は後世にまで勇名をはせた鵯越えの逆落としによって、一の谷の平家軍を打ち破ります。義経の天才的な軍略と、弁慶の力が見事に実を結んだ勝利でもありました。


原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)

川野 太郎 (源 義経)
麻生 祐未 (静)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
岩本 多代 (磯禅師)
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制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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