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2022年3月11日 (金)

プレイバック武蔵坊弁慶・(20)さらば討て

──平家はついに西の海に滅んだ。さしもの栄華を誇った一門の末路は、一つの時代の終焉を感じさせるにふさわしかった。壮絶にして華麗であった──。

右京大夫、玉虫母子の乗った船は早潮に押し流され、壇の浦からはるか離れた海上にあり。真っ暗闇の中、不気味な波の音だけが響いてきて、3人が身を寄せ合って震えています。潮に流されているので、戦いの音は全く聞こえませんが、右京大夫は戦がどうなったのか心配しています。

急に大きな音と衝撃があり、船の揺れが収まります。どこかにぶつかって止まったようです。玉虫と小玉虫が様子を窺って外に出てみると、矢折れた戦場に青白い火の玉がいくつかふわりふわりと浮かんでいます。右京大夫は、そのひとつの火の玉を見ると「資盛さまが……」と目を見開き、放心状態で船から海に身を投げようとして、玉虫たちは必死に止めます。ともかく、船を下りて近くに洞穴を見つけ、右京大夫を寝かせると、玉虫たちも少しは安心したか、疲れがピークに達して寝入ってしまいます。

朝、玉虫が起きると、横で寝ていたはずの右京大夫の姿がありません。玉虫は小玉虫を起こして右京大夫を探しに外に出ますが、見つかりません。それでも「御方さま!」と声を張り上げて探し回る玉虫たちです。

右京太夫は放心状態で、林の中をとぼとぼと歩いていました。そこに蒲冠者(がまのかじゃ)範頼の兵士たちが3人、かわいがってやるよぉ~などと言いながら右京大夫に近づき襲い掛かります。そこに鼻息荒く走って駆け付けるのは弁慶でした。兵士を掴んで放り投げ「平家の落ち武者狩りをよいことに、か弱き女性に狼藉を働くとはなんたることだ!」と一喝します。しかし、自分たちに歯向かう気か!? と脅す兵士たちですが、フンと鼻で笑い、九郎義経の家人 武蔵坊弁慶と名乗れば、彼らは一目散に逃げていきます。

気が付いた右京大夫は、助けてくれたのが弁慶と聞いて、目を輝かせます。玉虫と小玉虫は無事であること、この近くの洞穴で夜を明かしたことを伝えますが、ぼうぜんと歩いてここまで来たので、その洞穴がどこにあるか分かりません。弁慶は、一緒にいた徳とほくろに右京大夫を京までお連れするようにお願いし、自らは玉虫たちを探すことにします。

 

玉虫や小玉虫の名を叫びながら探しますが、その姿は見えません。玉虫たちも右京大夫たちを探しているので、一足違いで右京太夫、玉虫たち、そして弁慶がそれぞれ散り散りになってしまっているようです。村の人たちに尋ねても、そういった女子たちが来たような情報はなく、海を見つめながら力を落とす弁慶です。

玉虫が幼いころ、子守歌として教えた歌を口ずさむ子どもがいたので、その親に話を聞いたところ、周防では落ち武者狩りの詮議が厳しく、長門に渡れなかったために玉虫母子は2日前に四国に渡ったと教えてくれました。「そうか、四国へ行ったか。無事ならばそれでよい。無事ならば」

 

鎌倉から派遣された梶原景時は義経と対面し、戦のあとの鎌倉の意向が定まらないうちに平家方への寛大な扱いはどうかと忠告しています。“平家方への寛大な扱い”というのは、総大将・宗盛親子のことを指していまして、とにかくもっと厳しい監視をつけろと要求するのですが、義経はその忠告まがいの心配りに感謝しつつ、話をほとんど聞き流しています。

義経は検非違使少将としての役目もあり、宗盛親子に寛大に接しているわけですが、それは後白河法皇に忠節を尽くすことが引いては頼朝に仕えることにつながると考えているわけです。ともかく義経には新宮十郎と対面する所用があって、話はまたの機会にと言って、会見の席を中座して出かけて行ってしまいます。

義経に対して不満に思っているのは景時だけではなく、玉虫捜索から戻った弁慶が話を聞いてみると、常陸坊海尊や伊勢三郎など、けっこうあちらこちらから「近ごろでは殿のお考えが掴めぬのよ」と愚痴が聞こえてきます。どうやら家人たちより身分の高い方々との付き合いの方が大事だということらしいのですが、都に凱旋して半月あまり、鎌倉からのお声がけが未だにないいらだちが、義経をそういう行動にさせているのかもしれません。

 

数日後、弁慶は土肥実平の館を訪れます。実平は鎌倉の御家人の中で義経に最も好意を寄せている人物なのです。その実平が言うには頼朝から「関東に志があるものは、今後一切判官(=義経)に従ってはならぬ」とのお達しがあったそうです。

さっそく弁慶は、鎌倉からそういうお達しが出ていることを義経に伝え、頼朝も大人げないが義経にも落ち度はあると正直に言います。戦に勝って思い上がった部分はあっても、頼朝に誤解されたままというのはいかにも無念と、義経はなるだけ早く鎌倉に戻って誤解を解きたいと考えています。

ついでながら弁慶は、余計なこととは思いながら、正室若の前のところにたまにはお渡りをと勧めます。

 

景時が鎌倉に戻ると、捕虜である宗盛父子の度を越えた扱いや後白河法皇への異常な接し方など、義経の傍若無人ぶりをさっそく頼朝に訴えるのですが、頼朝はフフフと静かに笑うのみです。景時は、義経の後ろ盾には奥州平泉の藤原秀衡がいると念押しし、鎌倉の棟梁として禍いの芽は早めに摘み取ってもらわねばと進言します。頼朝はゆっくり振り返り、景時を見据えます。「さらば討て。九郎討たば梶原の部門の誉れになろうぞ」

 

佐藤忠信や伊勢三郎、片岡経春・為春兄弟に叙任の話が舞い込んできました。彼らは当然位を得られて大喜びなのですが、海尊や弁慶は、鎌倉の風向きが変わってきたと怪しんでいます。そんな時、鎌倉から行方六郎(なめかたのろくろう)がやってきて、弁慶に書状を見せます。それは頼朝の下し文(命令書)の写しなのですが、そこには

頼朝の許可を得ず都で勝手に任官したものは、鎌倉へ帰ってきてはならない。それでももし鎌倉に下向した場合、本領を召し上げ斬罪に処す。

と書かれてありました。義経は、この下し文のはるか前に任官されているのでそこまで問題にはならないでしょうが、今回任官を受けた忠信たちはどうなるのかと、特に三郎は馬泥棒が右馬允になったら京の都はどろぼうだらけ、などと鎌倉では大騒ぎなのだそうです。弁慶は、このことは義経の耳には入れず六郎と弁慶の二人だけの秘密にしておき、写しは火をつけて燃やしてしまいます。

 

玉虫と小玉虫は、夜を日に継いで弁慶のところへ急いでいました。足をくじいて動けなくなった玉虫に、どうにかして助けたいとあがく小玉虫ですが、子どもにはいかんともしがたく、泣き出してしまいます。そんな二人にたちはだかるのはほくろです。「無理して夜道を急いだりするからじゃ!」と玉虫を叱るほくろですが、次の瞬間にはパッと笑顔になり、右京大夫の生存と、無事に都へ送り届けたことを玉虫に伝えます。玉虫は、小玉虫とほくろに支えられながら、痛みに顔をゆがませながら一歩一歩都へ歩いていきます。

 

数日後、鎌倉の頼朝から義経に鎌倉に来いとの運命の書状が届けられます。大喜びの義経に祝いの言葉を述べつつ、弁慶の頭の中ではいろいろな思いが交錯しています。

義経の家人たちはようやく鎌倉に戻れると歓喜していますが、浮かれる三郎たちに弁慶は、鎌倉に入る前に殺されるかもしれん、とつぶやきます。弁慶はそこで頼朝の下し文の存在を明らかにするのですが、都で勝手に任官したものは鎌倉に入れば斬罪と説明します。義経には伝えるつもりはありません。伝えたところで、義経は鎌倉行きを中止するとすれば、その時こそ頼朝との亀裂は決定的になります。

それでも鎌倉行きを決行しようとするのは、頼朝と義経は実の兄弟というところにあります。頼朝は情にほだされるような人物ではありませんが、一方で義経は肉親の情や人の情けを心から信じています。弁慶は、義経のその無垢な心が頼朝を動かすのではないかと期待しているのです。義経と心を同じくしなければ、義経の家来である値打ちはないはず、と弁慶は力説します。

 

弁慶は、右京大夫が暮らす小さな屋敷を訪れ、鎌倉へ出発する報告をします。玉虫母子が京に向かっていますが、その到着を待たずして出発することになりそうです。すぐに都へ戻ってくるつもりですが、それは鎌倉へ行ってみなければどう転ぶかは分かりません。

 

翌朝、義経軍は平家の捕虜である平 宗盛親子を護送して、東海道を一路鎌倉へ。

そして玉虫と小玉虫は、その日の夜に右京大夫の屋敷にたどり着きました。右京太夫と玉虫は大粒の涙を流しながら抱き合って、無事に再会できたことを喜びます。

 

途中の道で、かがり火の焚かれた関所がありました。誰かの出迎えではないのか、と義経は近づいていきますが、そこにいたのは北条時政の一軍でした。義経は早く鎌倉入りを果たしたいと気持ちばかりが急いていますが、時政は頼朝の命により、この地でしばらく待つようにと言われてしまいます。「なぜじゃ」と義経は食い下がりますが、時政はただ頼朝の言葉を伝えに来ただけと言って義経の疑問をかわします。

ついに弁慶が恐れていた事態が起こってしまいます。
そしてこれが義経主従の転落の第一歩となるのでした。


原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法・松島 としあき
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)

川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
加藤 茶 (徳)
麻生 祐未 (静)
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真野 あずさ (右京太夫)
堤 大二郎 (平 資盛)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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隆 大介 (平 知盛)
山咲 千里 (若の前)
ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
菅原 文太 (源 頼朝)
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制作:村上 慧
演出:重光 亨彦

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