プレイバック武蔵坊弁慶・(23)堀河夜討
武蔵坊弁慶が源 義経の元を去ってから数日が経ちました。伊勢三郎をはじめとする一党は都中を駆け回り弁慶を探し続けますが、その行方はついに分かりませんでした。
「何と愚かな! 九郎は何を考えておわす!」 弁慶失踪について常陸坊海尊から報告を受けた八条女院も、その怒りの矛先は暇を取らせた義経と海尊に向かいます。弁慶の代わりとなる侍頭を三郎が務めると知り、馬泥棒が筆頭家臣というのも納得がいかず、海尊は平謝りするしかありません。
弁慶消えるの報は鎌倉にも届けられていました。義経もずいぶんと派手に動いているようですし、そんなさなかに右腕たる弁慶が出奔するというのは何か意味するところがあるに違いありません。ともかく弁慶を手放した義経を、北条時政も北条政子も呆れて見ていますが、いよいよ仕掛けてくるかと見る頼朝は、もうしばらく様子を見ておきたいところです。
弁慶は、玉虫と小玉虫と新生活を始めようとしていました。木を倒し、削って建築材に加工し、土台からしっかりとした家を作り上げていきます。玉虫は格子状の竹編みに泥を塗り土壁としています。小玉虫はそれを集めて玉虫に渡すお手伝いをします。こうして作り上げた3人の家は、思ったよりみすぼらしくはありますが、3人の思いはたくさん詰まっているので、みんな満足げです。
そのころ源 義経は新宮十郎行家とともに、頼朝追討の院宣を賜るべく奔走していました。義経には頼朝を朝敵にする以外のことは眼中になかったわけです。御所に上がったふたりは力を持つ公家集に砂金を掴ませ、院宣が下るように根回しを図ります。
義経と静の館に入った十郎は酒を飲んでいますが、義経はふと不安に感じることがあって大好きな酒に手が伸びません。院宣の根回しを依頼した公家の動きのことが鎌倉にどう伝わっているのかが不安なのですが、鎌倉は何も知らないと十郎は笑い飛ばします。仮に院宣が出たとしても、それを各地に伝えるときに立てる使者も鎌倉方が黙って見過ごすわけもありません。「院宣にかまけすぎて、肝心の戦支度もまったく手付かずでござる!」
右京太夫の庵を尋ねてきた玉虫に、半ば強引に庵を出したことを申し訳ないと詫びるのですが、それが結果的には弁慶と対面することができたわけで、よかったと胸をなでおろす右京太夫です。義経の元を離れた弁慶は、夜ごと寝言で「御曹司~ッ!」と叫ぶようで、そこは男同士でなければ分からない友情があるのかもしれないと感じつつ、玉虫は幸せいっぱいです。
玉虫は右京太夫に、新しく建てた家の隣に引っ越しませんか? と提案しますが、私には歌がある、とやんわり断ります。
梶原景時が鎌倉から上洛してきました。義経の敵情視察であることは間違いないのですが、とても豪華なもてなしで景時を迎えます。特に静の舞は景時にも好評で、とても宴を楽しんでいるようでした。というのも景時と義経の間にはいろいろと行き違いがあり、景時は追い返される覚悟で上洛したのです。しかし義経はとても丁寧なおもてなしで景時を迎え入れ、これまでの非礼を頭を下げて詫びてきました。景時も義経に対しての悪いイメージを良く考え直さなければなりません。
義経は、鎌倉に対して二心あるかのように受け取られてはなはだ迷惑を被っており、義経もいろいろと悩んでおります。義経は景時に、頼朝によしなにお伝えを、とさらに頭を下げます。
鎌倉追討の院宣はこの翌々日に下され、各地の反鎌倉勢力に次々に届けられます。
相変わらずトンカチ片手にモノづくりを続ける弁慶は、真横に座る小玉虫を優しいまなざしで見つめながらトントンと叩くからか、つい左手を痛めてしまうわけですが、それでも3人が一緒にいることに弁慶は幸せを感じています。ふと目線を横にすると、男の足が見えました。小玉虫に注いでいた笑顔がサッと真顔に変わり、目線を上にやると、その主は三郎でした。
鎌倉追討の院宣が下りたという話を三郎がしても、弁慶は話を一切聞き入れません。話はもう三郎の手の負えないほどにまで大きくなってしまったわけで、どうしても弁慶の助けがほしいのです。もし義経の許しが欲しければ三郎が必ず許すと言わせるし、仮に義経と仲たがいしたとしても海尊や自分とは友だちのままであるわけで、戻れない理由があるなら聞かせてほしいと食い下がります。
それでも無視し続ける弁慶に、三郎は「俺とは口も聞きたくないって言うんだな! 俺のしていることは……そんなにおせっかいなことなのかよ?」と拗ねてしまいますが、それでも弁慶は三郎にとどめの「もう追わんでくれ……迷惑だ」と言って、三郎を突き放します。迷惑を被っているのは自分たちの方だし、どんな気持ちでここ数日弁慶を探し回ったか分かってもくれないと、三郎は急に悲しくなって、涙を流しながら飛び出していきます。
義経は焦っていました。各地に院宣は届いたはずなのですが、兵が集まる気配がなかったのです。このままでは院宣が宙に浮くと、義経は十郎の兵も含めて自分たちだけで鎌倉討伐に動こうとするのですが、十郎はぽつりとつぶやきます。「どうも我らは頼朝に乗せられたのではあるまいな」
頼朝は朝廷に働きかけ、鎌倉追討の院宣を出させたかもしれない、というのです。院宣が出たところで義経や十郎に呼応する者がいないと読んでいたのでは……? でなければあの頼朝が、院宣が下りるのを手をこまねいて眺めているはずもないのです。こんな時に十郎は和泉国の城に帰ると言い出します。院宣を賜った者が都落ちとは天下の笑いものですが、たとえ笑いものになっても命を長らえばやり直しもきくと、目線を外して言います。
義経は十郎を批判しつつ、自分はてこでも都を動かぬと言い放ちますが、十郎は呆れながら「義仲も……そう申しておった」ともはや他人事です。
「力の裏付けなき院宣など茶番じゃ」と頼朝は吐き捨てるように言います。時政にしてみれば、鎌倉追討の院宣が出るまでよく我慢したものだと感心を通り越して恐ろしさすら感じる頼朝の戦法ですが、じっくり事を見定める頼朝はそこまで大変ではなかったようです。もし院宣に対して鎌倉追討の兵を各地で挙げ出したらどうするつもりだったのかと聞けば、むしろ頼朝はそれを望んでいた節があります。
義経であればちょうどいい力加減だと考えていたわけですが、存外、歯ごたえは感じられませんでした。もはや水に落ちた犬のように、助けてやりたいという時政ですが、そのまま助けるだけというのも他への示しがつきません。逃げてくれればよい、と頼朝は低い声で笑います。
頼朝に呼び出された景時は、義経を討てと命じられます。鎌倉追討の院宣が下されているので、形ばかりは自分が朝敵という扱いになりますが、頼朝はすでに手は打っているようです。「いつ発つ?」と聞かれて、さすがの景時もおどおどして冷や汗ばかりかき、半ば逃げるように館を後にします。恐らく明日、景時は急病となって戦に行くことを辞退すると思われます。
そんな、義経追討に誰も名乗りを上げないこんなときに白羽の矢が立てられたのは土佐坊昌俊でした。僧侶崩れの無法者として恐れられていましたが、知略や武勇は人よりも抜きんでていた人物です。
何者かが義経の屋敷を夜討ちし、義経が敵に囲まれて叫ぶ……そんな夢を見て弁慶は飛び起きます。汗びっしょりかくほど恐ろしい夢でしたが、横を見ると玉虫や小玉虫がすやすやと眠っています。フッと息を吐くと、弁慶も横になって寝なおすことにします。この時玉虫は寝たふりをしていたのですが、実は起きていました。昼間の、三郎とのやり取りを聞いてしまい、いろいろと考え続けていたのです。
鎌倉の刺客・土佐坊昌俊とその一党64人がついに都に入りました。白昼堂々と人目をはばかることもなく、そのまま堀河館(義経屋敷)を訪れたのです。義経は不在であると伝えても昌俊は居座り、ほとほと困り果てていました。刺客が挨拶に来ると言うのはどういうことだ? と昌俊に怒り狂う三郎ですが、忠信は昌俊の動きを封じ込め、怪しい動きがあれば直ちに討つつもりです。義経の許しも、静の館からの帰りを待っていたら出遅れることになりますし、ましてや弁慶には言う必要はありません。
十郎は和泉へ帰っていき、義経は満天下で孤立無援でした。義経は静に堀河屋敷へ移るように伝えます。静は命じられたままに動くつもりですが、堀河屋敷には義経の正室・若の前がいます。しかし若の前は面白い人物で、静が来ることを喜んでいたそうです。そのこだわりのなさは義経にとっては救いです。さらに言えば、弁慶がいてくれたらもっと救いになるのでしょうけど、義経には弁慶に「戻ってきてくれ」などと言えた義理ではありません。
日が落ち暗くなって、義経は静とともに堀河屋敷に戻って来ます。静はさっそく御台部屋に向かい挨拶をしますが、義経が言っていた通り、若の前は静を「いつも殿がお世話になってありがたく思っておりまする」と笑顔で迎え入れます。
宿舎(六条油小路)──。昌俊一党を追跡した三郎たちは、彼らの宿舎を見張っていました。義経一党の主力たちはほとんど出払っていました。横になっている義経はムクッと起き出すと、盃を傾けて「弁慶……」とつぶやきます。若の前は貝合わせに興じ、静は鏡を見て髪を梳いています。海尊は砂金を測り、喜三太は鞍を磨いています。そうしているうちに月に厚い雲がかかり、真っ暗になっていきます。
かがり火を焚いて警備している片岡経春と為春兄弟は、静かな夜だと感じていますが、馬のいななきにふと異常さを感じて、物見台に上がって見てみると、屋敷の周りを昌俊ら一党が取り囲んでいました。敵兵およそ100、義経方は15程度です。義経はまず女たちを逃がし、味方の兵を一か所に集める指示を出します。静は真っ先に若の前の元に駆け付け、館から脱出するために誘導します。
門が破壊され、敵兵が雪崩を打って駆け込んできました。静と若の前たちも、どうにかこうにか兵たちを避けながら門のところまでたどり着きますが、敵兵に切りかかられ、とっさに静が敵兵の首元を刀で斬りつけ、倒します。その様子にすっかり腰を抜かした若の前ですが、みんなで部屋の隅に隠れます。
屋敷を抜け出した喜三太は大急ぎで弁慶の住まいに駆け付け、戸を叩いて名を呼び続けます。
三郎たちは相変わらず宿舎を見張っていますが、特にこれといって動きはなく、昌俊らしき男も見当たりません。ひょっとするとこれは囮(おとり)では? と不安になり始めます。
少しずつ迫ってくる敵兵に義経たちは弓矢で応戦しますが、ふと気づくと裏口に回った昌俊らが背後から挟み撃ちしてきました。義経側、苦戦──。
そんなときに駆け付けたのは、弁慶でした。弁慶は鎧も身に着けず刀も持たず、なぎなたを奪って敵兵に向かっていきます。「我こそは熊野国の住人、武蔵坊弁慶なーり! ゆえあって判官どのにお味方申す! いざ!!」
弁慶の名乗りは、昌俊一党に押されていた海尊や片岡兄弟たちを勇気づけ、奮い立たせます。昌俊は「弁慶だと!?」と驚き、屋敷に火をかけます。そして弁慶と対峙した昌俊は、くさり鉄球をブンブンと振り回して弁慶の手に巻き付けますが、弁慶はたちどころに鎖を引きちぎり、昌俊を抱え上げて白壁に向かって投げつけます。
三郎たちが堀河屋敷に戻って来ました。みな無事を確認し合いますが、もう弁慶の姿は屋敷にはありませんでした。義経は、なべては弁慶ののおかげと、よく探すように命じます。
弁慶が家に戻ると、茅葺き屋根に玉虫と小玉虫が上って、堀河の方角を心配そうに見つめていました。「いま戻った」 弁慶の声にたちまち笑顔になった玉虫と小玉虫は、弁慶の胸に飛び込みます。
原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法・下川 博
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)
川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
麻生 祐未 (静)
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真野 あずさ (右京太夫)
光本 幸子 (八条女院)
山咲 千里 (若の前)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
新 克利 (新宮十郎)
神崎 愛 (北条政子)
隆 大介 (平 知盛)
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制作:村上 慧
演出:黛 りんたろう
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