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2022年4月26日 (火)

プレイバック草 燃える・[新] (01)蛭(ひる)が小島の流人

──治承元(1177)年4月28日午後10時ごろ、樋口富小路から起こった火事は、折からの東南の強風にあおられ都中に燃え広がった。庶民の家々は言うに及ばず、公卿 諸侯 その他 殿上人 諸大夫の家々を焼き、王族の社殿をはじめ古今の名所三十数か所を焼いたが、火はそれでもなお収まらなかった。

ついに火焔(かえん)は大内裏にも燃え移り、朱雀門から始まって応天門、会昌門、大極殿、法楽院、所司八省、朝所(あいたどころ)があっという間に火に呑まれ炎上した。焼死者数百人、牛馬の類に至っては数えられないほどである。山王の祟りか、比叡山から大きな猿どもが手に手に松明を持って都中を焼くという夢を見た人もあったという──。


原作:永井 路子「北条政子」
        「炎 環」
        「つわものの賦」他より

脚本:中島 丈博

音楽:湯浅 譲二

テーマ演奏:NHK交響楽団
テーマ指揮:森 正
演奏:東京コンサーツ

監修:鈴木 敬三
語り:森本 毅郎

振付:花柳 寿楽
邦楽作曲:杵屋 正邦

殺陣:林 邦史朗
流鏑馬:金子 家堅
風俗考証:磯目 篤郎

 

[出演]

石坂 浩二 (源 頼朝)

松平 健 (北条義時)

中山 仁 (北条宗時)

滝田 栄 (伊東祐之)

福田 豊土 (土肥実平)
早川 雄三 (三浦義澄)

樋浦 勉 (加藤景康)
中田 譲治 (仁田忠幸)
佐藤 仁哉 (佐々木定綱)

佐久田 修 (佐々木盛綱)
松田 茂樹 (佐々木経高)
曽根 孝志 (佐々木高綱)

神山 卓三 (左源太)
時本 武 (千葉胤頼)
立枝 歩 (さつき)

金田 龍之介 (北条時政)

武田 鉄矢 (安達盛長)

藤岡 弘 (三浦義村)

かたせ 梨乃 (小観音)
佐藤 蛾次郎 (猿太)

河村 弘二 (西光法師)
生井 健夫 (俊寛僧都)
可知 靖之 (静憲法師)

武内 亨 (藤原成親)
日野 道夫 (平 康頼)
幸田 宗丸 (多田行綱)

秋月 喜久枝 (下女)
河原 裕昌 (盗賊)
石光 豊 (盗賊)
酒井 昭 (盗賊)

宮沢 公栄 (北条時連)
森井 睦 (藤原成経)
池田 武司 (藤原師高)
山口 純平 (藤原師経)

若 駒
劇団いろは
早川プロ
鳳プロ

 

尾上 松緑 (後白河法皇)

黒沢 年男 (苔丸)

真野 響子 (北条保子)

 

岩下 志麻 (北条政子)

 

制作:斎藤 暁

美術:富樫 直人
技術:鈴木 実
  :小布施 英雄
効果:大和 定次

照明:川原崎 賢明
カメラ:大内山 正則
音声:小玉 孝
記録・編集:大橋 冨美子

演出:大原 誠


清涼殿では廊下に着物が散乱し、不気味な声が怪しげに伝わってきていました。「遅いぞ、酒(ささ)はどうした」とものをつまむのは盗賊の苔丸、冠を頭に乗せて笏(しゃく)も手にしたいかにも束帯姿の公家風ですが、話し方といい身なりといいとても雑さが目立ちます。そして苔丸の言葉を受けて「お言葉でございますが~」とキンキン声で返すのは小観音で、こちらも盗賊です。大きすぎる扇を手にしているものの、女御というにはちょっと……というほどです。その苔丸の正面に座っている清盛役は、苔丸の子分の猿太です。

火災で避難してしまい空になったことをいいことに、京の盗賊一味が勝手に上がり込んで好き勝手にやっているわけです。苔丸たちがふざけ合って宮中コントに夢中になっている間にも、仲間たちが御所内から次々と反物を盗んできています。「こんなところに遊びに来たわけじゃねぇんだよォ」と言う真面目な盗賊もいるのですが、苔丸たちは気にする様子はありません。盗品を運び出すのは手下の者たちの仕事なのです。

外から馬のいななきが聞こえてきました。戻ってきやがった! と慌てて盗品を詰め込み、あるいは手にして屋敷を脱出する一味ですが、運悪く左も右も大番役(御所の警護役)の武士たちに挟まれてしまい、たちまちのうちに捕らわれてしまいます。

苔丸は大番役の北条時政に「東夷(あずまえびす)と顔に書いてござるよ」と、東国武士を無骨で粗野だと嘲(あざけ)るのです。頭に血が上る時政ですが、そのスキに苔丸や小観音たちは高く飛び上がり、塀に乗って武士たちを見下ろします。やっぱり六波羅とは大違い、そんなことじゃ刀は抜かねえんだよと吐き捨てて、高笑いしながら逃げていきます。

盗賊に逃げられてしまいましたが、やれやれ仕方ねえよ、と時政たちは気にも留めませんが、千葉胤頼は3年間も大番役として無料奉仕して費用はすべてこちら持ちである上に、盗賊たちには東夷とバカにされて割に合わないと腹の虫がおさまりません。

時政はそんなことよりも、大番役で京に出仕している間に平家でもなんでも取り入って兵衛尉(ひょうえのじょう)でも右馬允(うまのじょう)でも肩書さえもらっておけば、田舎に戻ったときに幅を利かせられるわけで、そちらの方が大事だと胤頼に言うのです。現に、ともに大番役を務める三浦義澄は平 経正のところに足しげく通っていて、強大な後ろ盾になってくれようさと時政は笑います。

「やめてください! 平家平家と……情けなくなる」と胤頼はいら立ちを隠せません。自分も義澄も保元の乱・平治の乱と結集して戦ってきたというのに、武士の棟梁として源氏を置いても平家にこびへつらうのは見苦しいと主張するのです。とはいえ時政が言うように、小豪族は中央の動きに敏(さと)くなければいつ潰されてしまうか分からないほどの存在であることも否定はできません。

 

京の都から東国まで馬を走らせて10日ほど、北条家は伊豆半島の付け根の部分(韮山あたり)を支配する豪族で、丘陵地帯に囲まれた狩野川の流域の一部を領する ごくありふれた小豪族に過ぎませんでした。その北条館では、北条政子が藍染のすすぎ方について侍女のさつきに教えています。やる気のないさつきに「あたしが代わりましょ。おどきなさい」とすすぎを代わる政子ですが、さすがに主人に下働きの仕事をさせておくわけにもいかず、また代わってもらいます。

政子の妹・北条保子が弟の五郎(後の時連)を探しに来ました。政子は保子に五郎の子守を頼んでいたのですが、他にやることがあって目を離したスキにいなくなってしまったようです。保子は妹の高子に子守を依頼したのですが、その高子は妹の栄子に、栄子は妹の元子に頼んだそうです。ただ元子は五郎の子守は引き受けた覚えはないそうで、責任の所在がまったく掴めません。「見つからなかったらあなたのせいよ!」と保子の手を引いて、一緒に探しに行く政子です。

米蔵では次々と運び出される米俵を横目に、時政の留守を預かる北条宗時が蔵番に文句をつけています。米20俵に馬20頭、有力なつてでも掴んだのかもしれませんが、経験上、位がもらえると言うから贈り物をしても当てにならず、大抵は空手形になってしまうわけで、京の公家たちにはきりきり舞いさせられてほとほと迷惑しているのです。

一方、弓の稽古場では北条義時が鍛錬に汗を流しています。弦を引き絞ってヒョウと矢を放ちますが、矢は的から大きく外れ、義時は大きなため息です。もう一度構える義時に、贈り物の件でイライラしている宗時が通りかかって指導するのですが、やはり矢は的から外れてしまいます。今日は調子が悪いんです、と首をかきながら言い訳する義時に、「見ててやるから、もう一度やってみろ」と練習を促します。

そこに五郎を探し続ける政子がやってきました。「五郎知りません?」「どうして俺が五郎なんか!」とやり取りしているスキに弓を放り出して逃げ出す義時。アッと気が付いて もっと稽古しろ! と叱る宗時に、義時は馬上の人となり遠駆けに行ってしまいます。父時政からは、大番役から戻ってくるまでに義時の武術を上達させておくようにと厳命されている宗時は、先が思いやられて大きくため息をつきます。

男だからと弓矢が上手くなるとは限らない、と縁側に腰かけた政子は義時の肩を持ちます。義時には武芸よりも学問の才があり、一緒に学んでいる政子をとっくに追い越して先に進んでいくそうです。周りの男たちは読み書きはおろか自分の名前すらろくに書けないと嘆く政子は、男には武芸だけでなく学問も必要だとつくづく感じているのです。

政子は塀の向こう側を見てアッと気が付き、最近屋敷の中を覗き込んでいる男がいると宗時に打ち明けます。「そんなところで何をしている!」と宗時が大声で威圧すると、ひょっこり顔を出したのは伊東祐之でした。それほどの用ではないという祐之ですが、祐之の政子を見る目がニヤニヤしていて、政子は気味悪がっています。

 

義時は近くの川のほとりで馬から下り、大の字になって気持ちよさそうに寝ています。村の若い女たちが土のお団子を義時に放り投げてからかっていまして、いい加減にしないか! と女たちを追い出し、また馬に乗って駆けていきます。草原を駆けていると、おーい! と叫びながら後ろから追ってくる祐之の姿がありました。義時は構わず馬に鞭を当てて駆け続けます。

祐之はどうしても政子を嫁にもらいたいと思っていて、その仲立ちとして義時に気持ちを打ち明けたわけですが、政子の方が歳も3つも上だし、祐之がことのついでに言ったものだと義時は本気に捉えていませんでした。政子への気持ちを語る祐之に、義時は苦笑いしながら首をかしげ「止めたほうがいいと思うんだがなぁ」とイマイチ乗り気ではありません。幼いころから共に過ごした弟であるからこそ、政子の勝気な性格は十分知っているし、黙って男に従ってついていくタイプではないと分かっているのです。

 

五郎がようやく見つかりました。しかし五郎を叱りつけるということはせず、いけない子ねぇ~と笑顔のまま五郎を抱っこします。いつも藍染をすすいでいるおばあさんの家に行っていたようで、そこの孫たちが面倒を見ていてくれたそうです。「あなたたちよりよっぽどマシね!」と、ともかく政子は安堵します。

宗時は矢の手入れをしながら、義時がなぜ祐之と付き合いがあるのかと疑問ですが、政子が言うには、ずいぶん前の三島大社の神輿担ぎで一緒になったとかで、それ以来のつきあいだそうです。ともかく、伊東の人間は食えない奴が多いからな、と宗時はあまりいいイメージは持っていません。「気をつけたほうがいいんだ」と、政子にも自分自身にも言い聞かせます。

 

政子の結婚話に乗り気でないのは義時が姉と離れたくないからだ、などと祐之は考えています。バカな、と義時は相手にしませんが、一緒にいて仲が良かった姉に嫁に行かれると困るんだ、とからかう祐之についムキになってしまいます。いつまでも甘えていたいからなどとからかいの手を緩めない祐之に、義時は取っ組み合いを仕掛けます。

そこを、安達盛長に馬を引かれた源 頼朝が通りかかります。祐之と義時を無視して通り過ぎればいいものを、黙っていられなかったのか盛長はふたりの前までやってきて、せっかくの男前がなくなるぞ! と義時に早く家に戻って泥で汚れた顔を洗うように勧めます。ふたりともバツが悪そうに顔を背けたままで、盛長はブツブツ言いながら馬を引いて再び歩き出します。

去っていく頼朝の後ろ姿を眺めながら、「いつ見ても端麗なお姿だ……」と義時は笑顔に戻りますが、世になき源氏ではどうしようもないと祐之は冷静に分析しています。平家の世の中に殺されずに生きているのが関の山なのです。祐之は 源氏の世の中なんか来やしねぇ! と吐き捨てるように言います。源 頼朝が伊豆の狩野川の近く、蛭(ひる)が小島の配所に流されて16年。平治の乱で平氏に滅ぼされ、父義朝とともに敗走しますが捕らえられてしまい、清盛に命を助けられたのです。当時14歳の紅顔の小冠者もすでに30歳になっていました。

祐之は頼朝を討とうとしたことを義時に打ち明けます。頼朝は祐之の姉をたらしこんで子供を産ませたらしく、父親(伊東祐親)が大番役を終えて伊豆に戻ってきたときにはその子が3歳になっていたそうです。平家から頼朝の監視を任されていた父は源氏の子だと激怒し、裏切りを疑われる前に頼朝を討とうと 会いに来た好機に暗殺を謀るのですが、兄(伊東祐清)に密告されて逃げられてしまいました。頼朝と姉の子は父の命で祐之が手をかけたと知ると、義時は「しかしそこまでしなくたって」と真っ青になります。

平家と源氏がいれば豪族たちはそのどちらかにつかなければならないわけですが、自分たちは今、源氏に味方するわけにはいかないのです。清盛の娘の中宮徳子が皇子を産んだら、それこそ平家の天下はどんなことがあっても揺るがなくなるわけで、そこが“源氏の世の中なんか来やしねぇ!”なわけです。これには義時も頷かざるを得ません。

 

流人とはいえ頼朝は貴族的な起居を許されていました。一通りの面倒は三島にある国府の役人が見ているにしても、頼朝の乳母である比企尼が武蔵から絶えず食料や衣類などを届けていました。しかし配流所に戻った頼朝は、生真面目にも夕餉の前にお経の読み上げをするといって籠ります。先ほど法華堂で上げられたばかりでしょと盛長は口をとがらせますが、そのお経とは別のものを上げるのです。盛長は熱心な頼朝に関心を通り越してあきれ果てます。

かつて父義朝の家臣として仕えた豪族の中には、佐々木定綱・盛綱兄弟のように召使を差し出して身の回りの世話をさせる者もいました。この伊豆に静かに起居する限り、頼朝が亡き一族たちへの供養に身を傾け、読経三昧に明け暮れている限り、頼朝への監視の目は緩やかだったのです。

 

政子は髪を梳きながら、保子から自分が見た夢の相談を受けます。『仙人が住むような 頂上は天に届くほどの高い山に登っていたら、突風にあおられてしまう。吹き飛ばされたら大変とてっぺんにしがみついていたら、気が付けば両方の袖が明るく光っており、右の袖には太陽、左の袖には月が入っていた──』 まあ……と政子が絶句してしまいます。

政子が、何か手に持っていなかったかを聞いてみると、保子は黄色い実のついた橘の枝を持っていたと言うではありませんか。政子はさも言いにくそうに「あなたの見た夢は、大変な凶夢です」と答えます。“吉夢3年人に告げず凶夢7日人に告げず”と言うように、凶夢は7日のうちに人に告げると禍に見舞われるわけです。大病か、命を失うか……。話さなければよかったと言われてもすでに後の祭りです。

顔色悪く慌てふためく保子に、政子は夢の買取りを提案します。夢は売り買いができて、凶夢の場合でも売れば禍は消えると占いの本にありました。政子は箱から母親形見の螺鈿細工の櫛を取り出し、保子の前に差し出します。「売るの? 売らないの?」と櫛をひらひらさせますが、保子は「売ります売ります!」と言って櫛に食いつきます。

 

夜、人気(ひとけ)のない持仏堂に若者たちが集まっています。土地の話と言って集まりましたが、議題はもっぱら頼朝の話です。宗時は日ごろからおそば近くで世話をする定盛・盛綱兄弟に頼朝の様子を聞いてみますが、全国の源氏に呼び掛けて平家を討とうとしているのか、とっくに忘れてしまったのかよく分からないというのが実情です。つまり色恋ボケに仏ボケしているというのです。

三浦義村や加藤景康は、頼朝に再起の気がないのでは仕方ないとつぶやきますが、宗時は頼朝をそうさせたのは自分たちではないのかと訴えます。蛭が小島にやってきて16年の間、源氏の嫡流に対して比企一族以外は見てみぬふり、誰も温かい援助はしてきませんでした。伊東祐親などは子を殺害させるなどひどい仕打ちをしてきているのです。

我々が成すべきなのは、頼朝に対して二心ない忠臣であることを示すことです。とはいえ、結束を固めなければならないこんな時に、景康と仁田忠常が土地のことで喧嘩を始めてしまうあたり、宗時が思い描く理想にはまだまだ遠そうです。

 

屋敷に戻っている義時ですが、政子が占った夢の話の真相を知っていました。姉妹5人を中宮にした垂仁天皇の話で日本書紀に出ていました。先に身ごもった妹を皇后にしようとしていたら、長女が橘の実を食べる夢を見た。やがて長女が懐妊して生まれたのが景行天皇で、長女は天皇の后になった──。つまり保子が見た夢は実は吉夢だったのです。それを母の形見の櫛と引き換えに吉夢を買った政子を「うまいことやったね」とからかいます。

政子は、21歳にもなって結婚もできない、男から文のひとつももらえない長女の自分をそこまで笑うかと悔しい限りです。義時は、政子が結婚したがっていることをそこで知るわけですが、「男に飢えてるんですか」と言って政子を激怒させてしまいます。「私だってふさわしい方がいたら結婚したいわ。それがどうだって言うの! 私だって女ですもの……」

 

景康と忠常の喧嘩を収め、宗時は改めて訴えます。内輪争いが起こっても公平な立場で裁ける人がいないと、豪族同士で無益な殺し合いになりかねない。大番役に当たれば蔵の中を食いつぶしてしまうほどの物入りです。租税を軽くさせるために荘園として貴族や寺に寄進する者もいますが、己の土地を守るのにそこまでしなければならないのは納得がいきません。

ヒートアップする宗時をひとまず止め、頼朝がその気になるためにはどうすればいいのかと義村は尋ねます。宗時はまずみんなで一回頼朝に会おうということを提案し、盛綱に日程の調整を依頼しますが、義村は人が結束するには地縁と血縁だと言います。地縁は、もともと坂東武者には源氏の家人が多いのでいいとして、血縁をつなぐ必要があるわけです。「ということは、佐どの(=頼朝)と誰かが…」と目を丸くする宗時に義村は、血縁がなければ口先だけで何を言ってもダメだと言って酒をあおります。

 

「私を好きな人が? ホントにそんな人がいるの?」と見つめる政子に、義時は祐之を紹介します。あぁー、と政子は当てが外れたように力が抜け、大笑いしてしまいます。祐之のような粗野な人ではなく、学もあって雅の風情ある人のほうがいいと政子は高望みするのですが、坂東武者は誰をとってもどんぐりの背比べです。政子が望むような人がこの坂東には──

「いや…いる」と言いかけて、慌てる義時に誰なの? と問い詰めたところ、蛭が小島の頼朝だと白状します。しかし相手は流人なので、そのまま紹介するのは弟としてもリスクが高すぎます。政子の脳裏に、頼朝の名前が刻まれた瞬間でした。

あくる日、政子がさつきと野菜を取った帰り道、対向して頼朝が馬に乗ってやってきました。すれ違いながら頼朝をじっと見つめる政子は、もう目が完全にハートマークです。「そうだわ。あの方は清和天皇を祖先に仰ぐ高貴なお血筋でいらっしゃるんだわ…」

 

平家のあまりの隆盛、専横に反感を抱いているのは東国武士だけではありませんでした。京の公卿たちの中にも同じ思いの人々が多かったのです。特に叙位除目で平氏一族に順序を越された上位の人々、後白河法皇の近臣たちは不満を胸にくすぶらせていたのです。

大火の余燼(よじん)も収まらない5月半ば、法性寺修行 俊寛僧都の鹿ケ谷の山荘を目指して、貴人たちの牛車が密かに寄り集まります。その顔ぶれは──新大納言 藤原成親、西光法師、俊寛僧都、静憲法師、摂津源氏 多田蔵人行綱をはじめとする北面の武士たち、そして他ならぬ後白河法皇その人でした。

成親は法皇に対し平家追討の院宣を求め、法皇も「こうして朕が参ったことだから」と前向きに捉えています。俊寛僧都も西光法師も平家の成り上がりには一言モノ申したいようで、院宣には賛成の立場です。法皇は手ごわい六波羅勢を不安視していますが、成親は清盛が福原と貿易のことで頭がいっぱいになっている時に北面の武士たちに六波羅へ夜襲をかけさせる策を立てます。

あなおそろしや…と静憲法師は平家方へ陰謀が漏れてしまうことを心配します。静憲は集まるには集まったのですが、これほどの話をするとは夢にも思っていなかったようです。なにっ!? と言って成親が立ち上がった拍子に瓶子(へいし)がコトンと横に倒れます。「おっ…瓶子が。平氏が倒れました」と言って喜ぶ成親に、法皇もつられて大笑いしてしまいます。

しかし、静憲が心配していたとおり、この鹿ケ谷の陰謀は、その場に居合わせた多田行綱によってただちに福原の清盛に密告されます。陰謀に加わった面々には恐ろしい運命が待っていたのです。清盛はただちに首謀者を捕らえますが、その処罰は苛烈を極めます。法皇の寵臣 藤原成親の子・成経と俊寛僧都は鬼界ヶ島に、その他それぞれの配所に移されます。首謀者の一人西光法師は見せしめのために朱雀大路へ引き出され、読経が響き渡る中 首を落とされます。

 

頼朝がいつも乗っている馬が盗まれてしまって、困った盛長は北条館へ向かい、政子に馬の拝借を申し出ます。兄の宗時が帰ってからと答えるのですが、盛長はしつこく「佐どのも急いでらっしゃるんだよ」「まんざら知らぬ仲ではあるまいし」と好き勝手言って、政子は遠くから眺めているだけと少し照れています。

盛長はそこにつけこんで、頼朝の馬上姿の形良さは遠くからでも分かるだろうから、そんな頼朝を駄馬に乗せては台無しだと説得します。そして思い出したように言うのです。「そういえば佐どのもいつも姫御前のうわさをしてらっしゃいますのう」 政子の顔色がサッと変わります。とても驚く政子に、「つい先日も姫御前の見目形のよさをいたく褒めておられたなあ」と盛長のダメ押しです。

借りていくぞ! と言う盛長に、やっぱり兄が戻ってきてからという姿勢を崩さない政子です。宗時とは話がついていると言っても信じようとしない政子に、盛長はふところから証文と言って政子に渡します。中身を改める政子でしたが、冒頭を読んだ瞬間にその内容に驚いてしまいます。「佐どのが書かれた借用書だ。ゆっくりとお読みくだされ」

ぜひお目にかかりお話ししたきことがございます
お許し願えれば裏の楓の枝にご返事を

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