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2022年4月17日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(15)足固めの儀式 ~頼朝討て! 鎌倉分裂~

戦の臭いがする……と源 義経は原っぱで目をつぶって風を感じ取っていますが、ここは近江国。敵の木曽義仲がいる京はまだまだ先です。しかし来たる戦に興奮気味の義経は、その風の匂いでさらに気分が上がってきています。「義仲ー!! 待っていろー!!」

その義仲は、追討軍として義経を総大将として近づきつつあるのを知り、チッと舌打ちをします。院の御所に兵を送って後白河法皇を捕らえるように命じます。法皇の身柄が義仲側にある限りは手出しもできず、鎌倉勢を京に入れることも防げるかもしれません。院の御所に火をかけられて、平 知康が慌てて法皇の元に駆け付けてきました。法皇も丹後局もガタガタ震えて身動きが取れません。

 

八重をようやく妻とすることができ、伊豆北条館の北条時政とりくに挨拶に出向く北条義時と八重。八重のお腹は大きく膨らんでいて、しばらく伊豆に戻ってこれない自分の代わりに、八重の面倒を と頼む義時です。時政は、立派な北条の跡継ぎをと笑い、りくも協力的に動いてくれるようです。夫婦見つめ合って微笑みあうふたりです。

──義仲討伐のため、すぐにでも出兵したい頼朝。しかし、御家人たちがこれに反発する。着々と進む、頼朝追放計画──

頼朝の首を取る! と息巻く千葉常胤になだめる三浦義澄。上総介広常が この坂東を源氏から取り戻すと言えば、御家人たちは大きく頷きます。義澄は、頼朝嫡男の万寿を連れ去り、引き換えに頼朝に御所から立ち退きを求めるという案を提案します。文覚は、生後500日の「お立ち初め」という儀式を作り、そこを狙うと大笑いです。しかしこの輪の中で、広常と梶原景時は頼朝側に通じています。

景時は自邸に戻る振りをしてそっと鎌倉御所に帰ろうとしますが、景時の怪しい動きはすでに掴まれていて、和田義盛らに見咎められ、広常の命によって監禁されてしまいます。

 

五百日の儀式当日、源 義高を呼び出した常胤らは、自分たちは義仲とは戦いたくないという意思表示をし、頼朝を追い出す代わりに旗頭になってほしいと手をつきます。義高はそれには返事をせず、しばらく時間をほしいと言って帰っていきます。

北条政子は、百日の儀式は知っていたものの五百日にも儀式があると初めて知りますが、近所の鶴岡八幡宮で行われるのだからと実衣に言われてしぶしぶ承服します。もちろん万寿は普段乳母に預けているので、政子としては一緒にいられるだけでいいわけです。そして頼朝は万寿を抱っこし、我が子の成長ぶりに目を細めています。

 

頼朝派の面々が集まり、義時は三浦を中心とした鹿狩りがこの祝いの日に催されることが気になっています。鹿狩りではみんな弓矢を携えて参加しても何ら不思議ではなく、都から下向してきた大江広元も五百日の儀式は聞いたことがなく、疑いはますます深まります。比企能員は三浦館に入り、様子を見てくることにします。

能員は鹿狩りについてやんわりと尋ね、義澄や広常らに緊張が走ります。能員は立ち上がろうとしますが、次の瞬間には首元に義盛の刀が付きつけられます。我らの仲間になると誓えば助けてやると脅され、手のひらを返して「力になりましょ」と約束します。広常は、謀反の気配はなかったと御所に伝える条件で能員を御所へ帰すことにします。岡崎義実は、念のために着物の下に鎧を着けておけとアドバイスします。

五百日の儀式がどこの文化なのかを尋ねる義時に、文覚は口ごもってしまい、義時は文覚が何か隠していると察知して御所に戻ってきます。三浦から戻った能員は「殺気だった様子はなかった」と報告しますが、動くたびにジャラジャラと音を立てています。衣の下に何か着けていると広元にたちまち見抜かれ、今夜は冷えるとごまかすのですが、その場に土肥実平がいなかったことを伝えます。

さっそく実平に会う義時ですが、腰を痛めた実平に、今日集まっているのは本当に鹿狩りのためかと問い詰めます。つまり鷹狩りに不参加なのは土壇場で謀反をやめて戻ってきたと疑う義時から何とか逃れようとする実平。しかしついに「本日謀反の企てはありや!なしや!」と迫り、コクリと頷いてしまいます。

牢で監禁されている景時のところへ、重忠がやってきます。この企ては必ず行き詰まるから今のうちに抜けてしまえと言う景時に、重忠は景時こそ頼朝の下にいていいのかと尋ねます。「使われると頼りにされるとは違います」 頼朝が坂東武者を信じていないことは景時が一番分かっているはずと言うのですが、景時は重忠をキッと睨みつけるだけです。

文覚の件、実平の言葉、そして戻ってこない景時……いずれも謀反の兆しを示していると安達盛長は吐露しますが、頼朝は儀式で八幡宮に向かった源 範頼の加勢に向かわせます。能員は着物の下に鎧を着けていることを明かし、戦の支度はできていると早まるわけですが、頼朝に止められます。義時はぶつかれば戦になると、広常と自分とで話し合いでの解決を進言し、今撤兵すれば不問に付すとの頼朝の言葉を取り付けます。

 

五百日の儀式も無事終わり、帰ろうとするところで義盛や重忠らに囲まれます。しかし護衛で範頼とともに義高が出てきて「主に歯向かう者は許さぬ」と刀を抜くと、義盛らはひるんでしまいます。そこに「同士討ちしている時ではございません!」と義時が駆け付けます。義仲は法皇を人質に京を手中に収めた行いを正す必要があると説得を続け、「詭弁である!」と重忠は反発します。

しかし義盛はあっさりと納得し、仲間たちに刀を治めるように合図を出します。これには裏があり、重忠と張り合っている義盛は、重忠が言うことにはことごとく反論するというクセを利用して、重忠はわざと分からぬふりをして反発していたわけです。こうすれば義盛は分かっていなくても納得したと刀を治めてくれるだろうという重忠のファインプレーでした。

立ち行かなくなりうつむく常胤に、義実は御所に乗り込もうと言い出しますが、謀反はもう終わったと義時や三浦義村に言われてしまいます。この謀反はすべて自分が計画したことで、無念だと言って常胤は腹を切ろうとしますが、義村は刀を奪い取ります。広常は、あとは義時に一任しようと言って場を収め、解散を告げます。

 

今回の活躍で広常は頼朝と酒を酌み交わします。「武衛」と親しげに呼ぶ広常は、頼朝は父親の仇を取ることしか考えない自分勝手な男だが、御家人は使い捨ての駒だから己の道を行けばいいと諭します。「そなたがいるから今のわしがおる」と頼朝に頼みにされて、照れ笑いする広常がどこかかわいいです。

義澄や義実を前に、政子は御家人たちが頼朝との関係についてそこまで思いつめているとは知らなかったと頭を下げます。義実は石橋山の合戦で息子を亡くしていますが、政子も宗時という兄を亡くしていて、気持ちはとても理解できます。命を懸けて戦った者たちのおかげで今の鎌倉があるわけで、もし頼朝に言えないことがあれば自分に言ってほしいと、御家人たちに寄り添う約束をします。

 

今回の謀反に加わった者たちリストが能員から提出され、その数の多さに頼朝は驚きます。御所に攻め寄せるつもりだったのだからと厳罰に処すべきという声の一方で、寛大な処置を求める義時は、平家を倒したらその所領を分け与えることを約束すれば、みんなが我先にと戦いに向かうはずと進言します。頼朝は「合点がいった」と、義時の案を採用することにします。

ただ、謀反に対してお咎めなしというのは示しがつかないため、誰かひとりに罪を負わせて見せしめとするのがよいと広元が言い出します。見せしめなど必要ないと難色を示す義時を無視して、広元と頼朝とで話が進んでいきます。「やはりあの男しかおらぬ」と頼朝はつぶやきますが、広元はそこで広常の名前を出します。

広常は義時に頼まれて企みに加わったわけで、謀反の責めを負わせるのはおかしいと義時は表情を引きつらせますが、頼朝も広元も微動だにしません。そこで義時は、初めから広常を粛正するつもりで企みに加わらせた、という頼朝の策に気づいてしまいます。

頼朝は広常を何とかしなければと考えていて、都合のいいタイミングで謀反の話が上がってきたというわけです。ただ広常に恩も感じているから昨夜ともに酒を飲んで礼は尽くしたという頼朝に、義時は言葉を失います。すぐの手配を命じる頼朝に反発するのがやっとです。「御家人は使い捨ての駒と……ヤツも本望であろう」

恐ろしい方だ、と義時は頼朝について義村に愚痴を言います。義村は前からうすうす気づいていたようで、大して動じた様子はありませんが、広常に言って今夜中に逃げてもらうという義時を止めます。義村は、それしかないと義時は分かっていると指摘します。義村のところに駆け込めば、広常を救いに行かなくて済む口実ができるわけです。「気づいてねぇようだが、お前は少しずつ頼朝に似てきているぜ」

夜、景時を呼び出した頼朝は、常胤らのところに向かってしばらく戻ってこなかったことで、謀反組に加担したという疑いが生まれていると言い、その疑いを晴らすように伝えます。みんなの前で広常を斬り捨てよ、と……。

 

12月22日、御家人たちが御所に集まります。広常が歩いていると善児とすれ違い、右に左にと道を譲り合っています。

御家人たちが集まって頼朝から今回のことは水に流すと言葉をもらうという政子は、実衣に「甘すぎる!」と厳しく言われてしまいますが、事件のたびにいちいち誰かが責めを負って自刃したり首を討たれたり、そういうのはうんざりしているわけです。

景時は広常を斬るのをためらっています。息子の景季にすごろくの盤を用意させ、死ぬべき男なのかそうではないのか、サイの目に任せるつもりです。みんなが揃う大広間で景時は広常をすごろくに誘います。その様子は逐一、盛長によって頼朝の耳に入れられています。

サイの転がる音だけが響きます。広常は双六の名人ながら、この勝負に敗れてしまいます。景時はサイを放り投げたかと思うと、広常がそれに気を取られたスキに刀を抜き広常にひと太刀斬りつけます。広常は応戦するにも、刀は善児とすれ違ったときに抜き取られていました。烏帽子も落ち、逃げるしかない広常を追い、背中にもうひと太刀……。「上総介広常は、法皇様ならびに鎌倉殿に盾突いた大悪人なり!」

義時に助けを求める広常ですが、義時はうつむいたまま動きません。そこに現れた頼朝は冷酷の顔です。座り込んだ広常を助けようとたまらず義時は立ち上がりますが、「小四郎! 来ればお前も斬る」と威嚇します。頼朝を見つめる広常は後ろから景時に一突きにされ、何か言いたそうにしながらついに絶命します。

「わしに逆らう者は何人(なんぴと)も許さぬ。肝に命じよ!」 頼朝の一声で、御家人はみな平伏するしかありませんでした。

伊豆の北条館では、八重が産気づいていました。

 

広常の館の明け渡しは終わり、鎧の中から書状を見つけ出した盛長は頼朝に差し出します。中身を改める頼朝ですが、読めん! と義時に手渡します。広常は京にのぼる前に読み書きの稽古をしていました。それを知っている義時は、子どものような字でも読み取ろうとします。
『これから3年のうちにやるべきこと。明神様のための田んぼを作る。社も作る。流鏑馬をいくたびもやる。これ全て、鎌倉殿の大願成就と東国の太平のため』
頼朝は義時から書状を受け取り、くしゃくしゃにしてしまいます。

義時に長男が誕生したのはこの年、寿永2(1183)年のこと、後の北条泰時──。家に戻った義時は、出産を終えたばかりの八重の手に手を重ねます。抱いておやりなさい、とりくが勧め、我が子と初めて対面する義時ですが、その子が「ぶえい……ぶえい……」と泣いているようで、義時は涙を流します。


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
新垣 結衣 (八重)
菅田 将暉 (源 義経)
小池 栄子 (政子)
中川 大志 (畠山重忠)
青木 崇高 (木曽義仲)
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山本 耕史 (三浦義村)
梶原 善 (善児)
横田 栄司 (和田義盛)
堀内 敬子 (道)
岡本 信人 (千葉常胤)
阿南 健治 (土肥実平)
栗原 英雄 (大江広元)
佐藤 B作 (三浦義澄)
中村 獅童 (梶原景時)
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佐藤 浩市 (上総広常)
佐藤 二朗 (比企能員)

市川 猿之助 (文覚)
鈴木 京香 (丹後局)

坂東 彌十郎 (北条時政)
宮沢 りえ (りく)

大泉 洋 (源 頼朝)
西田 敏行 (後白河法皇)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・吉岡 和彦
演出:保坂 慶太

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