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2022年4月24日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(16)伝説の幕開け ~源義経 一の谷の戦い~

雪の降る日、北条義時と八重との間に生まれた男の子の名前を、源 頼朝が「金剛」と名付けます。仏法の守り神の名で、源氏を支えるにふさわしいという名に、北条時政もほくほく顔です。伊豆に帰っていた時政ですが、しびれを切らした頼朝が安達盛長を使いに出し、鎌倉へ呼び寄せたのです。期待をかける頼朝ですが、上総介広常をだまし討ちした頼朝を軽蔑している義時には、いつもの笑顔はありません。

今回のことは一通り聞いている時政が分かったのは、落ち度があればその者の所領は自分のものになるということです。今までのように御家人たちがなれ合いで事を進めていく時代は終わり、頼朝に対して「明日は我が身」とすっかり怯えてしまっていますが、だからこそ緩衝材として時政は戻ってきたわけです。北条が生き残るためには、これまで以上に源氏に取り入って付き従うしかありません。

──大きな代償を払い、頼朝は、御家人たちをまとめあげた。義経は鎌倉からの援軍を待っている。戦が近づいている──

北条政子は、これからは御家人たちの駆け込みどころとなるのが御台所の務めだと決意しますが、その役目として時政が戻ってきたのだし、政子にはどうすれば平家のように力が持てるか、内より外に目を向けよとりくは諭します。そのためにはたくさん子を作り、男の子なら跡取りに、女の子なら公家に嫁がせる。りくは政子には3人、実衣には10人のノルマを課します。りくも立派な跡取りを産んでみせると意気込みます。

頼朝を追討せよという後白河法皇の院宣が出されました。背後に木曽義仲がいることは明らかで、頼朝は義仲成敗に動き出します。これまで不服を唱えていた御家人たちは、一様に口をつぐんだままです。留守居役の時政は「わしにまかせて……」と言いかけますが、比企能員にかぶされて口封じされます。義仲や平家を滅ぼしたらその所領は分け与えるという大江広元の言葉に、和田義盛は大興奮です。

出陣に際して八重の見送りを受ける義時ですが、やはり表情は浮かないままです。金剛が生まれたばかりだというのに心苦しいというのもありますが、頼朝を支えて御家人をまとめていけるのか、いささか自信をなくしているわけです。大丈夫、と八重は背中を押し、まずは無事で帰ってくるように伝えます。

 

寿永3(1184)年の年が明け、鎌倉を出発した源 範頼の軍は墨俣で源 義経の先発隊と合流。範頼は、義経がよく本隊を待っていてくれたと評価します。実は木曽軍と小競り合いがあったようですが、義経を鎌倉へ戻されて最も困る範頼は、自分が命じたことにして不問に付します。梶原景時に注意されますが、自分が怒られれば済むことと大して気にしていません。

京・義仲の宿所では、迫る鎌倉軍に準備に余念がありません。ともに平家を討ちたいと考えている義仲は、鎌倉軍には自分たちと手を組むつもりがないのかといら立ちを隠し切れません。小競り合いが発生していることも耳にし、義仲は改めて盟約を出し、鎌倉軍に宛てて「ともに平家を討ちましょう」との文を送らせます。

鎌倉軍は近江国に入ります。義経は、範頼軍は瀬田を経由して正面から京へ、自軍は宇治を経由して京に入ることを提案します。戦奉行の景時は軍勢を二つに分ける指示を出すのですが、これに義盛が反発。義時は、景時は頼朝の命で広常を成敗したのだから頼朝を恨むのが道理であり、その道理が分からない者は鎌倉へ帰れと珍しく怒りを露わにします。

そこへ義仲から文が届きますが、義経は文を届けた使者を斬り義仲の頭に血を上らせ陥らせると言い出します。使者を斬るのは武士の作法に反すると遮る景時の言葉など耳に入りません。義盛にその役目を押し付けると、ぶつぶつ言いながら使者のところへ向かっていきます。更に、鎌倉軍を敵とみなしていないということは鎌倉軍の兵数も掴んでいないだろうと、義時に命じて1,000人少ない数の噂を流させます。

義経からの返事として使者の首を送り返され、義仲は腹煮えくり返る思いですが、巴に挑発には乗らないように言いおきます。義経は軍勢を二手に分けるだろうという義仲の推測は見事に当たりますが、宇治に向かった義経軍が1,000と聞いて、奥州を恐れて鎌倉に大半の兵を残したと錯覚し、この戦に勝ったと握った拳にも力が入ります。

 

1月20日早朝、義経は宇治川のほとりに兵を集結させます。偵察に向かった義仲は、ざっと見積もっても1万の兵がいるのを見て「してやられた」と笑います。義仲は付き従う今井兼平に宇治川にかかる橋の橋板を外させます。しかし義経の計略が義仲を飲み込もうとしていました。しばらく悩んだ義仲は、京を捨てると決断します。

橋を壊し始めたという情報はすぐに義経の耳に届きます。義経は川のほとりで大物ふたりに先陣争いを演じさせ、敵の目がそこに注がれているスキを見て畠山重忠軍に川を渡れと指示を出します。敵の矢の格好の的になると難色を示す重忠でしたが、そのからくりを聞いた重忠はさっそくに準備に取り掛かります。義経はニッコリ笑います。

院御所に足を踏み入れた義仲は陰に隠れている法皇に、京を離れて北陸へ戻る旨を報告します。平家を追討できずに京を離れるのは断腸の思いながら、その果たせなかった思いは頼朝が引き継いでくれると言う義仲は、「もう二度とお会いすることもございますまい」と別れの口上を伝えます。思えばかわいそうな人と丹後局は同情しますが、義だの何だのというのは平家と変わらんわと辛口の法皇です。

 

義仲は近江へ去り、宇治川を突破した鎌倉軍は大和大路より入京します。平家が落ちた後の京は相変わらずの廃れ具合で、乞食たちはものを恵んでくれと上目遣いで軍勢を見る中、義時もとても厳しい表情です。法皇への拝謁を許された義経は、義仲の首を落とし その足で西に向かい平家を滅ぼすと宣言。法皇を喜ばせます。

拝謁が終わるのを御所の外で待っている重忠は、戦が終わったら嫁探しをしたいとこぼし、義時は ウチの妹はどうだ? と提案します。義盛も新しい嫁が欲しいと羨みますが、本妻がすでにいる義盛は物足りないわけです。そこを通りかかった女官たちにほれ込んだ義盛が鼻の下を伸ばして近づくと、たちまち悲鳴が上がります。義時も重忠も呆れてしまっています。

近江へ向かった義仲ですが、そこには範頼軍が待ち構えていて、義経軍も義仲を追って迫っていました。供の兵も少なく、義仲は巴に落ち延びるように命じます。無言の抵抗をする巴に義高への文を持たせ、わざと捕らえて鎌倉へ行くように伝えます。女は殺されることはないという義仲の配慮ですが、男勝りな巴のこと、歯向かえば殺されるから抵抗するなと言っておきます。

鎧姿のまま力なくとぼとぼと歩く巴を、鎌倉軍の兵たちが囲みます。「我こそは源 義仲一の家人、巴なり!」と薙刀を振るって襲い掛かる兵たちを斬り倒していきますが、「そこまで!」と声をかけたのは義盛でした。

巴と分かれた義仲は兼平と移動しますが、その先には鎌倉兵が待ち構えていました。ここまでか、とつぶやく義仲は、兼平が敵を防いでいる間に近くの松原へ行って自害する道を選びます。やれるだけのことはやった、と義仲の表情にはすがすがしささえうかがえます。「一つだけ……心残りがあるならば」と言いかけた義仲の眉間に、放たれた矢が刺さります。

 

京に進軍した武将たちから続々と報告が届き、一つ一つに目を通す頼朝ですが、土肥実平の書状は子どもの字で全く読めず、義盛のはまるで絵日記のよう。義時のは内容が細かすぎて頭に入って来ず、時政は恐縮しきりです。景時の書状は完結で見やすく高評価ながら頼朝は読みません。頼朝が知りたがっていた義仲を討ち取ったという報告が、義経から朝一番に入っていたのです。

義仲討ち死にと知って、政子は悲痛な面持ちです。その事実を義高の耳には入れてはいませんが、義高を死なせはしないとつぶやきます。その義高は不吉な予感を感じ取っていて、心ここにあらずといった様子です。ご一緒に(遊びましょう)と大姫にせがまれて、いつものように相手をする義高ですが、沈んだ様子は拭い去れません。

京に設けられた範頼の陣では、さっそく平家追討の軍議が開かれています。平家軍は福原に集まっていて、責めるなら東の生田か西の一ノ谷かになります。景時は、範頼軍に生田から攻め込んでもらい、義経軍には北の山から攻め込んで敵の脇腹を突くと提案。重忠からも「さすが戦上手」と言われて得意げの景時です。

しかし義経は、景時の策は子どもでも思いつくとバッサリ。敵も思いつく策ならば意表をついたことにはならないと、義経はわざと襲来を知らせるように北側の三草山に配置している見張りの敵に夜討ちをかけると言い出します。敵に北側にも守りを割かせて分散させるわけです。その上で裏をかいて予想外のところから攻撃をする。その策に、理にかなっていると景時は頭を下げます。

軍議が終わり、じっと月を見つめている景時。義経に恥をかかされながらも最終的に賛同した景時に、軍議の場が荒れずに済んだと義時は礼を言います。本来であれば自分が思いつくべきことだったのに思いつけなかった自分自身への腹立たしさもあったのでしょう。義経を「軍神、八幡台菩薩の化身のようだ」とつぶやきます。

そこに義経が現れ、景時を帰すと、義時にもうひとつ思いついたと打ち明けます。平家に対し、源氏と和議を結ぶように命じる院宣を法皇に出してもらうのです。しかし源氏軍はそれを知らなかったことにして平家を攻撃する……。当然平家方は院宣で気が緩んでいるので、その油断を突くという作戦です。返答しない義時に、義経は詰め寄ります。「だまし討ちの何が悪い?」

 

義経からの依頼を受け、法皇は平 宗盛に源氏との間を取り持ってやるという文を出すことにします。もちろん平家を嵌(は)める策であることは法皇は知った上です。すぐに、と知康はその段取りに入ります。丹後局は、義経は(義仲と違って)法皇と気が合いそう、と言ってニッコリしますが、どうやらこういうのは法皇も好きらしく、ワクワクしています。

福原の平家の陣に法皇からの文が届きます。和議を結べという内容に平 知盛は、父・平 清盛の遺言に背くことになると相手にしていませんが、宗盛としては平家一門の行く末を考えるのも役目のひとつです。知盛が宗盛をどんなに一生懸命に説得しても、宗盛の頭の中は和議のことでいっぱいになります。

三草山で平家軍に夜討ちをかけた義経勢は、福原に向かって足元の険しい山中を進みます。先に見分しておいた景時は、この先は断崖絶壁ながら一か所だけなだらかな「鵯越(ひよどりごえ)」という坂があると報告します。義経は、なだらかな場所なら出し抜いたことにはならないと、鉢伏山(はちぶせやま)のひときわそびえたつ崖「蟻の戸」を下りると言い出します。さすがにこれには案内役の小六も無茶だと反対します。

いい加減になされよ! と景時は叫びます。たとえ義経にできたとしても兵たちにできなければ無駄死にしていくだけです。しかし義経は、先に馬に下りさせその後に人が下りていくという案を出します。攻めかかるときに下馬するのは無様だと景時は言いますが、義経にはその見栄えのために大事な兵を失うことこそ馬鹿馬鹿しいのです。どうして義経にだけ思いつくことができるのか、と景時は悔しがります。

金剛をあやす八重のところに、三浦義村が娘の初を抱いてやってきました。初を産んだ母親は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまい、義村は後詰としてもうじき出陣するので、初を八重に預かってほしいというのです。きょとんとする八重は、無理ですと断るのですが、義村は金剛のいい遊び相手になるし一人も二人も同じだと無理やり押し付けて行ってしまいます。

 

2月7日早朝、義経は70騎の武者とともに鉢伏山の断崖の上にいました。鉢伏山に上る途中にあった鹿のフンを見て、鹿が下りられるということは馬も下りられると、義経は自分の策に俄然自信を持ちます。「このクソに、命運をかけた!」

福原の東・生田口で範頼軍と知盛軍が衝突します。「一の谷の戦い」といわれる源平合戦最大の攻防が、始まりました。一ノ谷の平家本陣に劣勢が伝えられると、宗盛は安徳天皇に「心配はございませぬぞ。ここ一ノ谷に、敵は参りませぬ」と言って安心させますが、その言葉が言い終わらないうちに義経軍が攻め込んできます。愕然とする宗盛です。

一ノ谷にたどり着いた景時は、敵に向かって突き進む義経を見て改めて、八幡台菩薩の化身だと感じています。


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
新垣 結衣 (八重)
菅田 将暉 (源 義経)
小池 栄子 (政子)
中川 大志 (畠山重忠)
青木 崇高 (木曽義仲)
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山本 耕史 (三浦義村)
横田 栄司 (和田義盛)
岡本 信人 (千葉常胤)
阿南 健治 (土肥実平)
栗原 英雄 (大江広元)
小泉 孝太郎 (平 宗盛)
中村 獅童 (梶原景時)
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佐藤 浩市 (上総広常(回想))
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佐藤 二朗 (比企能員)
鈴木 京香 (丹後局)

坂東 彌十郎 (北条時政)
宮沢 りえ (りく)

大泉 洋 (源 頼朝)
西田 敏行 (後白河法皇)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・川口 俊介
演出:末永 創

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