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2022年4月 5日 (火)

プレイバック武蔵坊弁慶・(27)叡山脱出

──当時、比叡山延暦寺は都における一大政治勢力であった。反鎌倉の機運も強かったが、後白河法皇への反感も根強かった。比叡山と法皇の手を結ばせねばならない。その同盟が成らぬ限り義経追討の院宣が取り消されることはない。それが弁慶の読みだった。義経とともにこの比叡山に赴いた弁慶は、日夜粘り強く説得を続けた──。

弁慶の叡山時代の後輩である大和坊俊幸は、弁慶のよき協力者として力を貸してくれていました。


頼朝の命により京に派遣されている北条時政からは、やれ義経が後白河法皇と対面しただの、やれ比叡山に入っただのと、逐一鎌倉宛に報告を入れてきます。頼朝は、法皇と比叡山が手を組む恐れを考えて梶原景時をさらに京都に派遣します。法皇と叡山は犬猿の仲だという話はあまりに有名で、義経にはその二者を結びつけるだけの器量はないと大笑いしますが、頼朝が心配しているのは、それすらもやってのけてしまう弁慶があちらにいることなのです。企てだけでもいいので何か証拠を掴めたら、おのずとしっぽを出すだろうという頼朝の読みです。

 

弁慶の策が通った! と俊幸が走って知らせに来てくれました。仮に比叡山と法皇が力を合わせれば鎌倉に対して相当強いことが主張できるようになります。ただ力関係は微妙に変わってくるので、鎌倉方を話し合いの席につかせること一つとっても、和平か? 戦か? 危ない綱渡りになりそうです。恐るべきは、綱渡りをして戦側に落下してしまうことで、それだけは何としても避けなければなりません。

 

伊勢三郎と片岡経春は京の市場を歩いて情報収集ですが、向こうから三郎の姿を見つけて駆けてくる玉虫と小玉虫の姿を見、慌てて家の陰に隠れます。小玉虫は、母が見たのが三郎であったのか少し訝(いぶか)っていますが、玉虫は確かに三郎の姿を見かけて駆けてきたのです。

弁慶に言付けをお願いしたいそうで、ついでに弁慶の居場所も聞き出せるでしょう。小玉虫は、そんな機密事項は教えてくれないとドライですが、三郎はきっと教えてくれると玉虫は言い張ります。「あの方はおなごには甘いのです」

 

弁慶は、比叡山の向きを伝えにさっそく八条女院を訪問することにしますが、順調に法華経全巻を写していた義経の表情は曇ったままです。追われている義経が意外にも穏やかに過ごせているわけですが、追討の院宣さえ取り消されれば戦も辞さないという煩悩が義経の心の隅に巣くい始めているのです。フッと我に返った義経は、これは単なる愚痴でありすべてを弁慶に一任するので、意向や立場、この心情を慮ることなく動いてほしいと伝えます。

 

比叡山の一部の過激的僧兵は、弁慶が山を下りて女院の館に向かったことで本当に鎌倉と戦をするつもりなのだと読み取ります。そのあたりの動きは中務大夫知親に任せて、僧兵たちは戦がいつ始まってもいいようになぎなたの手入れや確認などに余念がありません。

 

女院の館を訪問した弁慶は比叡山を説得したと報告し、女院はよくやったと言葉をかけます。さっそく法皇に対面して義経追討の院宣を取り消すように取り計らう約束をします。

 

しかし、その知親の動きが怪しいと後藤新兵衛が時政に報告します。何か企んでいると察知した時政は、確かな証拠を掴んでくるように新兵衛に命じます。

 

右京大夫の庵を訪れた玉虫は、弁慶のことについて右京大夫に相談します。今の都は静かすぎて、それがこれから戦の始まる前触れなのではないかと妙に胸騒ぎがして心配が先に立ってしまうのですが、必ず逢いに来ると弁慶が書置きしていたとはいえ、玉虫も年齢を重ねてこらえ性がなくなって来たのかもしれません。親子3人の安穏な暮らしを味わって、またその生活を望んでいる自分がいるのです。

「小玉虫……飛ばしてみやれ」と、右京大夫は庭で竹とんぼで遊んでいる小玉虫に声をかけます。小玉虫が空に向かって竹とんぼを飛ばすと、しばらく空を飛んだあと、右京大夫の元に落ちました。部屋の内に落ちたということは……。右京大夫は玉虫に 家におりなされ と伝えます。

 

弁慶は長い間、女院の館で待たされていました。この待ち時間が義経の運命を大きく変えることになります。

弁慶が待つ対面所に現れた女院はある公家を伴っていました。法皇の側近のひとりである中務大夫知親です。知親が言うには、法皇は義経の願いを聞き入れて、義経追討の院宣を取り消すと約束する……その代わりに、鎌倉追討の院宣を受けてもらわなければならない、と。鎌倉と戦をすること──義経には一度それを企てて敗れた経験がある、と遠回しに断る弁慶ですが、知親は、あの時は法皇も公家も義経の後ろ盾にならなかったことが大きく影響したと考えています。

平 清盛には朝廷を敬う気持ちがありましたが、頼朝にはまるでありません。その頼朝に主導権を握られては、朝廷をないがしろにされるのではないかという危険性があります。それだけに今回は、朝廷も不退転の決意で不倶戴天の敵・比叡山と手を結んで事に当たることにしたわけです。つまりは、その先頭に義経が立たされる……。

弁慶はいったん持ち帰りたいと返答しますが、景時が鎌倉から京に向かっている以上、一刻の猶予もならないわけです。幸いにして事は鎌倉方に露見していません。しかし弁慶は引き受けを拒否します。鎌倉追討の院宣は明後日の夜に発せられるのですが、知親は、もし弁慶が引き受けを拒否するなら義経追討の院宣も取り消すことができなくなると脅します。弁慶は、やむを得ないと一点を見つめたままつぶやきます。「戦を起こしてまで院宣を取り消そうとは考えませぬ」

 

知親が去った後、女院は弁慶に頭を下げます。知親によりこういう企てが進んでいると知らなかったわけです。それにしても企てに加担しなければ義経追討の院宣は取り消さないなどと、院宣を駆け引きに使う卑怯なやり方に女院は知親に対して激怒します。弁慶も、知親の企ては無謀すぎてすぐに鎌倉方につぶされてしまうだろうと考えています。

ともかく、弁慶たちの都での望みは絶たれたため、都を落ちることにします。弁慶は、これまで女院が義経に対してかけてくれた温情に感謝し、深々と頭を下げます。

 

その日の夜、新兵衛率いる鎌倉方の一軍が公家屋敷を取り囲み、牛車に乗り込む知親を捕縛します。そして義経や弁慶たちをも捕まえようと都中を駆け回って彼らの探索に奔走します。大勢に囲まれた亀井六郎は力強く応戦するも、槍で刺されて落命。さらには弁慶と玉虫たちの家にも土足で踏み荒らして暴れまわった後、去っていきます。

 

景時が都に到着したことで鎌倉方の兵力はさらに増大します。景時は新宮十郎行家にも軍勢を差し向け、残るは比叡山のみとなりました。時政は比叡山をどうするか正直迷っているのですが、頼朝の「比叡山を焼き払っても構わぬ」という言葉をかざして、堂々と義経引き渡しを求めて比叡山に攻め込むつもりです。時政は「そんなこと……できるか」と口をモゴモゴさせますが、日本の聖地とも言うべき比叡山を焼き払うことは、この時代においてはまさに自ら地獄に落ちるような所業でした。

比叡山の義経の元に戻った弁慶は、交渉不成立に終わったことを詫びますが、内容を知ってよくぞ断ってくれたと義経は感謝しています。そこに、鎌倉方がこちらに兵を差し向けたと知らせが入ります。企てがバレたのです。比叡山の過激派僧兵たちは攻め手の鎌倉方を横暴だと猛批判し、目にもの見せてくれる! と立ち上がります。

義経たちは、都に散らばっていた物見たちが次々と帰ってきました。行方六郎が亀井六郎の死を伝え、みんなで彼の死を嘆きますが、そんな暗いムードを打ち破って、弁慶は宣言します。「我らはこれより奥州へ向かう!」

奥州よりも亀井の仇討ちの方が先だ! と主張する伊勢三郎に弁慶は、仇討ちをして亀井が喜ぶとでも思っているのかと迫ります。亀井はまだ心の中で生きていると訴え、第二の故郷である奥州が自分たちを温かく迎え入れてくれることを信じよう、と肩を叩きます。そこに、比叡山僧侶の過激派が暴徒化していると、大和坊俊幸が弁慶に助けを求めます。

 

雪崩のように山から駆け下りてくる僧兵に弁慶は立ちふさがります。そもそも義経たちが比叡山に来たからこうなったわけで、戦になったから比叡山から抜け出そうとするのは臆病で卑怯だと批判の声が上がりますが、弁慶は自分たちへの誹(そし)りは受けるとしながら、鎌倉とむやみに戦をするのは匹夫の勇だと訴えます。

山を血で穢し、社寺堂塔をことごとく焼き尽くすのが望みであれば止めはしないが、戦えば鎌倉勢はそれを口実に比叡山に対して攻撃してくるし、血を血で購(あがな)う振る舞いが果たして僧侶として正しいかどうか? 釈尊の教えに反するというのはもとより、天下万民の共感を得ることはできない。何よりも、戦となれば泣き寝入りするしかない民の難儀を忘れてはならない。

僧兵たちは、弁慶たちを引き渡すように鎌倉から要求されていることを打ち明けると、戦が避けられるなら我々は喜んで鎌倉の縛につこうと弁慶はどっかと座り込みます。ただ、さようかと弁慶たちを引き渡すのも比叡山の面目が立ちません。弁慶はニヤリとします。「面目が立つ方はある」

 

その方法とは、僧兵たちが神輿を担ぎ、ジャラジャラと音を立て「わっせ、わっせ」と声を上げながら山を駆け下りてくることであります。当時、比叡山の神輿はとりわけ神聖視されていて、迫りくる鎌倉勢に弁慶は、比叡の神輿を遮ると神罰を被る! と大声でわめき蹴散らすのです。あまりの勢いに鎌倉勢も手出しができません。

景時は地団駄を踏み、新兵衛に弁慶を射殺せと命じますが、寸でのところで時政が止めに来ます。景時は、あの神輿の中に義経が潜んでいるはずと聞く耳を持ちませんが、未だに比叡山を焼き討ちにしてもよいという頼朝の言葉をかざす景時に、愚か者め! と時政は叱責します。そこまで言われては、景時も何も攻撃できずに悔しい思いです。

 

そのころ義経は、伊勢三郎たち郎党とともに山道を下りていました。弁慶の画策によって、鎌倉方と比叡山は直接戦闘を避けることができ、さらには義経主従を無事に下山させることに成功したのです。

 

弁慶は久々の家に戻りますが、誰もいる気配がしません。玉虫と小玉虫の名前を呼ぶと、ふたりは床下からヒョコッと頭を出します。鎌倉方の攻撃を受けて床下に隠れていたのです。

家で明かりをつけ酒を飲む弁慶に、小玉虫は酌をしながら、酒を飲んでいていいのかだの義経に別れを言ってきたのかだの、親をからかうような質問ばかりしていますが、玉虫の弁慶を見る顔が放心状態になっているのを見ると、「私は眠とうなりました」とあくびをするふりをしてさっさと自室に帰ってしまいます。

弁慶は玉虫に、再度の奥州行きを打ち明けます。奥州では理想郷のための国づくりを藤原秀衡の元で学ぼうと考えている弁慶に、玉虫は思いつめたような顔をして奥州へ連れて行ってほしいと迫ります。弁慶を待ちながら虚しさに耐えるのはもうたくさんで、それが叶わぬならここからどこにも行かせぬと玉虫主張します。

「理想郷がそれほど大事か。この家で親子3人が仲良く平和に暮らす以上の理想郷が、いったいどこにありますのじゃ……あるはずがない!」 弁慶を待っている15年の間に、女ざかりはすっかり過ぎ去ってしまいました。玉虫は、私の女ざかりを返せ! と感情を露わに弁慶の背中をバンバン叩きます。弁慶は玉虫をギュッと抱きしめ、ゆるせ……とつぶやくのみです。

 

小玉虫の寝顔を眺めた弁慶は、玉虫の頬をなで、意を決して出発しようとした時、玉虫がすそをギュッと握りしめていることに気づきます。弁慶はゆっくりと玉虫の指をほどき、胸の上に置きなおすと、家を出て行ってしまいます。寝たふりをしたままの玉虫は、涙を流して弁慶の感触を確かめ、たまらなくなって弁慶の後を追いかけていきます。

弁慶は、玉虫が呼ぶ声に後ろ髪を引かれる思いをしながら、それを振り切って前だけを向いて歩いていきます。


原作:富田 常雄
脚本:杉山 義法・下川 博
テーマ音楽:芥川 也寸志
音楽:毛利 蔵人
タイトル文字:山田 恵諦
語り:山川 静夫 アナウンサー
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[出演]
中村 吉右衛門 (武蔵坊弁慶)

川野 太郎 (源 義経)
荻野目 慶子 (玉虫)
岩下 浩 (常陸坊海尊)
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真野 あずさ (右京太夫)
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ジョニー 大倉 (伊勢三郎)
光本 幸子 (八条女院)

菅原 文太 (源 頼朝)
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制作:村上 慧
演出:清水 一彦

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