大河ドラマ鎌倉殿の13人・(20)帰ってきた義経 ~ついに義経vs義時 鎌倉で舞う静~
文治3(1187)年・平泉──。奥州を治める藤原秀衡の館に戻った源 義経。かつて過ごしていたように、秀衡は温かく迎え入れてくれます。惜しむらくは、平泉を出発する義経に合わせて挙兵していればもっと変わったかもしれませんが、義経が伝説を作るほどの武将として活躍してくれればそれでも満足なのです。秀衡は義経をねぎらい、義経は感情が高ぶって泣きじゃくっています。
京を落ち延びた義経が平泉に姿を現したことは、すぐに鎌倉の知るところとなります。もし義経が秀衡と手を組めば、頼朝にとって強大な敵となる。頼朝としても何とかしなければなりませんが、秀衡がバックについている以上、容易く手出しをすることはできません。北条義時は義経に対して怒りを露わにします。「九郎どの……あれほど申したのに!!」
──義経を迎え入れ、鎌倉の最大の脅威となった奥州平泉。藤原秀衡によって保たれていた均衡が、崩れようとしている──
御所の庭でとんぼ捕りに苦戦する家臣たちを笑う大姫。そこに万寿が、この季節には珍しいとセミの抜け殻を見せてくれます。しかし大姫にとってセミの抜け殻は木曽義高を思い起こさせるもので、顔色を変えて出て行ってしまいます。北条政子はそんな大姫をとても気にかけますが、頼朝は帝の后として入内させると言い出します。政子の表情は険しいままです。
秀衡が最期の時を迎えようとしていました。藤原泰衡には御館(みたち)として平泉を盛り立てるように言葉を残し、義経が大将軍となり奥州の力を結集するように命じます。困惑する泰衡が出す言葉にかぶせるように、かしこまりました と藤原国衡が返事します。「もう少し……わしに……時があったら……」 よろよろと庭に下りた秀衡はそのまま倒れ、亡くなります。
文治5(1189)年 閏4月──。義経を抱えている奥州が強敵であるのは、数年経過しても変わりありません。平泉に赴いて義経を連れ戻すと言う義時に、頼朝は「生かして連れて帰るな」「決して直に手を下してはならぬ」と条件を出します。国衡と泰衡兄弟が仲が悪いのを利用し、泰衡を焚きつけて義経を討たせ、勝手に義経を討ったという大義名分を仕立てて奥州攻めの口実とするのです。
義時の屋敷では、相変わらず八重が子どもたちの世話に勤しんでいますが、預かる子どもたちが日に日に増えていっているような印象です。義時は、八重には秀衡の供養に頼朝の使いとして奥州に行くと伝え、戦ではないと安心させます。翌朝早くに屋敷を出発すると、門のところに梶原景時に遣わされた善児が立っていました。「何かと役に立ちますよ、さぁ参りましょ」
平泉に到着した義時は、謀反人の義経を匿えば泰衡も同罪と脅しますが、義経には鎌倉に歯向かう気持ちはなく、引き渡さないと強気です。義時は国衡に頼んで義経と会わせてもらいますが、畑仕事に勤しみ家来や妻子たちに囲まれて終始笑顔です。義時の前でも古い友人のように明るく振る舞いますが、サッと顔色が変わります。「平泉に手を出してみろ。鎌倉が灰になるまで戦ってみせる」
平泉の館を出るとき、義時は義経が本当に農業に勤しんでいるのか、それとも見せかけだけで義時を騙しているのかを善児に尋ねてみますが、善児の見立てでは義経の爪の間に泥がへばりついているところを見ると、本当に百姓をしていると見ていいようです。「やっちまいましょうか? 寝首を掻くのは造作もないことで」という善児に、余計なことはするなとたしなめる義時です。
義経が京で別れた静御前ですが、義経が都を落ち延びてすぐ、吉野から鎌倉へ向かうところを北条時政の兵が捕まえたそうです。さっそく鎌倉で尋問が行われますが、りくは静御前の座り方から 義経の子を身ごもっているから名乗れないと察知します。義時はそのりくの推測を頼朝に伝え、静の身柄をしばらく鎌倉で預かることにします。生まれた子が男の子なら、由比ガ浜へ──。
政子と実衣は静を逃がそうと画策しますが、義経の正室・里は比企能員の姪で比企一族出身なので、能員の妻・道は静を敵対視しています。さんざんに言われてしまい、よっぽど腹に据えかねたのか自分が静であると名乗り、その証として指折りの白拍子の舞を披露することになりました。大姫は、これ以上人が死ぬのはイヤだと義時に訴え、義時は舞を下手に舞って「偽物だ」と思わせるしかない、とつぶやきます。
果たして、静の舞はあまりに下手すぎて、途中で扇を落とすやらふらつくやらで ひどすぎると頼朝をはじめ皆がささやくほどです。「行きたければ……黙っていろ!」という義経の言葉を思い出しながら、静は万感の思いで舞い始めます。
しづやしづ
賤(しづ)のをだまき 繰り返し
昔を今に なすよしもがな
「──女子の覚悟です」 静が舞い終わり水を打ったように静まり返った舞台、静を見つめる大姫が「どうして……」とつぶやいた、政子の答えです。
その後、静は鎌倉から出ることは許されず、4ヶ月後に生まれた男子は頼朝の指示通りに静の手から離され……。静は鎌倉を出て行方知れずとなりました。尾張で目撃情報がありましたが、はっきりとは足取りを掴めません。聞いておいてよかったと言いつつ ショックを隠し切れない義経は、藁を切って怒りを露わにします。
義時は、義経の鎌倉への憎しみが抑えきれないほどに膨れていると泰衡に報告します。頼朝軍を過度に恐れる泰衡は義時に泣きつきますが、義時は義経の首を討ち鎌倉へ届けることを提案します。忠衡は泰衡を焚きつける義時を斬ろうと刀を抜きますが、逆に善児に仕留められます。「もう、後には引けませぬ」 義時の言葉に呼応するように、義経も挙兵する覚悟を決めたと国衡が言ってきました。
鎌倉へ出立する義時を武蔵坊弁慶が遮り、義経の元へ連れてきました。義経の暮らす高館はすでに泰衡の兵に取り囲まれています。義経の横には里と子どもの亡骸が横たわっています。京で義経を襲った土佐坊昌俊らは自分が呼んだと打ち明けた里を、勢いで殺害してしまったのです。弁慶は身体中に防御の木の板をくくりつけ、泰衡軍を防ぐべく出ていきます。
義経には、自分を討つための頼朝の戦法はお見通しです。義時が静の話を持ち出したのも、鎌倉憎しの気持ちを増大させるための演技。義経に挙兵する気持ちがなければ、泰衡を動かそうにも動かせないわけです。「そこまで分かっていてなぜ」と義時は悲しい表情を見せますが、お前に見せたいものがあると義経は鎌倉の地図を取り出し、奥州から鎌倉に攻め込む手段を義時に伝えます。
奥州から差し向けた大軍に対し鎌倉軍が北へ備え始めると北上川から舟で別動隊を送り鎌倉の浜へ乗り入れる。乗り入れの際に三浦海岸から丸見えながら、損得が分かる三浦義村を味方につけておく。そして各方面への街道筋を封鎖し袋のネズミにして街に火をかける。義経は、これらをしたためた書状を義時に託します。景時にでも渡せば、この作戦の見事さを分かってくれるはずだと笑います。
鎌倉に戻った義時は頼朝に報告をしますが、「行ってよい」と言うだけで頼朝は顔を見せません。義時も黙って頼朝の前から辞します。そして義経から預かった書状を渡された景時は、この通り攻められたら鎌倉は滅んでいたとつぶやきます。鎌倉にとっては惜しい人を失ったと感じずにはいられない義時です。
対面所で頼朝は、一の谷の合戦、屋島の戦い、壇ノ浦決戦の活躍ぶり、どうやって平家を滅亡に追いやったのかを義経に尋ねます。頼朝の前にあるのは義経の首が入れられた首桶です。「さあ……九郎……話してくれ……すまぬ……」 物言わぬ相手に、感極まって首桶を抱きしめる頼朝です。6月13日、義経の首が鎌倉に届けられたのです。
作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
新垣 結衣 (八重)
菅田 将暉 (源 義経)
小池 栄子 (政子)
中川 大志 (畠山重忠)
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山本 耕史 (三浦義村)
梶原 善 (善児)
堀内 敬子 (道)
小林 隆 (三善康信)
中村 獅童 (梶原景時)
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田中 泯 (藤原秀衡)
宮沢 りえ (りく)
大泉 洋 (源 頼朝)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・吉岡 和彦
演出:保坂 慶太
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