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2022年7月24日 (日)

大河ドラマ鎌倉殿の13人・(28)名刀の主 ~13人早くも崩壊危機 梶原景時の義~

「これより訴訟型の評議をいたします──」 土地争いの兄弟の件では、兄をよく知っていると肩を持つだの、弟の妻がどこの家の出身だの、私情を差しはさむ者ばかりです。鎌倉殿に代わって公正なお裁きとはまるで程遠い実情に、北条義時は深いため息をつきます。静観していた梶原景時は黙っていられずくぎを刺します。「便宜を図るのは政の妨げとなるので止めていただきたい。評議をやり直す!」

──若き鎌倉殿を補佐する十三人の御家人たち。父頼朝を超えようともがく頼家は、不信感を募らせていく──

源 頼家には、十三人の御家人たちが補佐役であるのは建前で、自分をのけ者にしようという魂胆が透けて見えるわけです。頼家は側近に、鎌倉の秩序を破る者がいないかどうかの見回りを命じます。義時の弟・北条時連には「お前はこの中で誰よりも若いが…臆するな」と激励しますが、彼の童顔が目立つだけで、実は側近の中でいちばんの年長者です。

義時と景時は、頼家と六人の側近たちがやっていることを北条政子に報告します。道の掃除をしたり迷い犬の飼い主を探したりと、やっていることは可愛げのあることばかりで政というものではありませんが、頼家はいずれは六人に力を持たせていくつもりのようです。ともかくしばらくは頼家の好きにさせてみます。

 

正治元(1199)年6月、政子の次女・三幡(さんまん)が長い闘病の末、14歳で帰らぬ人となります。三幡の乳母父であった中原親能(なかはらの・ちかよし)は嘆き悲しみ、これを機に出家し鎌倉を離れます。しかしそんな緊急の時にも、頼家は狩りに出かけていて不在です。夜遅くに戻った頼家は政子の手を握り、自ら朝廷と結びついて鎌倉を揺るぎないものにしてみせると約束します。

結城朝光に琵琶を習う実衣は、琵琶の稽古の休憩時に朝光から相談を受けます。宿老に耳を貸さず  に興じる頼家は鎌倉殿にはふさわしくない、と仁田忠常に言ったことが善児経由で景時の耳に入り、謹慎を命じられたのです。朝光が言った「忠臣は二君に仕えず」とは頼家に仕えるぐらいなら死んだ方がましだという意味なのです。反省しきりの朝光に、実衣は私がなんとかすると励まします。

頼家の長男・一幡をあやすせつは、頼家に会いたいとつつじの居室に向かいますが、つつじのところにもいません。しかもつつじは頼家との子を身ごもっているのです。吐き気をもよおすつつじに、食べ物は冷めてから食べるように勧め、出ていきます。実はそのころ頼家は、安達盛長の嫡男・景盛の妻であるゆうと密会していました。北条頼時は人の道に反すると頼家を諫めますが、まるで聞く耳を持ってくれません。

頼家は盛長と景盛を呼び出し、ゆうを譲れと迫ります。それだけはできないと固辞し続けますが、頼家は二人の首を刎ねるよう側近たちに命じます。景時が止めに入った時、義時と政子が来ると頼家は表情を一変させます。政子は頼家の横暴ぶりを叱りつけ、盛長ほど忠義心を持つ人物を知らないという義時は頼家を睨みつけます。「こんなことで首を刎ねるなど許されることではございませぬ!」

政子や義時まで担ぎ出したことに頼家は大激怒です。覚えておれ! との言葉に景時は「覚えておきまする」と言って頼家の居室から下がりますが、父も同じことをしてきたのになぜ自分だけ! と騒ぐ頼家に、景時は「困った御方だ」とため息です。

 

鎌倉殿に対する謀反は思い描いた時点で謀反であると、朝光には死んでもらうと言い出した景時。景盛の一件が尾を引いているのではと義時は考えます。あれ以来、頼家の御家人たちへの信頼を失ったことが念頭にあり、朝光を見せしめに御家人たちを束ねるいい機会と景時は言いますが、義時をはじめ話を聞いた者は誰も賛成しません。

鎌倉の内々に、景時の手の者が潜んでいる──。義時は三浦義村、畠山重忠、和田義盛を集めて相談します。ここで義時までも景時と対立するのは良くないと、唯一宿老ではない義村に白羽の矢を立てます。義村は裏で人数を集めて景時を訴える訴状に名を連ねてもらい、それを頼家に処分を訴え出るという作戦にいくことにします。

しかし北条時政や比企能員などに署名をもらっているうちに、66名が署名するほど騒ぎが大きくなってしまいます。意外にも景時は御家人たちから嫌われていたようです。しかし土肥実平のように、ようやく太平の世になったのになぜ身内同士でいがみ合う!? と静止する者もいます。そんな様子を「侍所で何やら大変なことになってるぜ」と八田知家から聞いた景時が、じっと見つめていました。

 

訴状を広元に預けて頼家の前で披露してもらう、と義村が時政に報告すると、それを聞いたりくは訴状の最後の時政の署名部分だけ刀で切り離し、火で燃やしてしまいます。頼家と景時が結託したら、署名した者たちは処分されてしまうわけで、「時政には関わりなかったことに」というわけです。つまりりくが時政に最後に書かせた署名は、いざという時の保険でもあったのです。これには義村も舌を巻きます。

景時は心を開かないから誤解をされやすい。それを聞いた比奈は、義時もいつ狙われるかと心配します。「肝に銘じておこう」とさして気にする様子もありませんが、比奈は頼時に頼家から離れず、義時への不都合な情報が入ったらすぐに知らせるように言います。しかし頼時はゆうのことで頼家に諫言し、それ以来頼家と関係が良好というわけではないだけに、首をコクリと縦に振るのみです。

訴状を預けた広元は、まだ頼家に見せていません。訴状を見せるのは最後の一手であり、他に良策がないかを探っているのです。一方、政子の居室を訪れていた景時に、義時は評定が始まると伝えに来ました。政子は景時が私利私欲で動く人間でないことは頼朝からも聞いていて、自分が頼家と話をすると言ってくれますが、景時はこれを断ります。頼家は賢いから自分を手放すようなことはしない、と言うのです。

 

評定が始まりました。景時が訴え出た朝光の件は、謀反の疑いはないという結論に達しあっけなく終わります。次に景時の行いは目に余るという御家人たちの訴えについて、頼家は景時に申し開きを求めますが、「恥じ入るところは一点もごさらん」と堂々としています。頼家は、頼朝が御家人を束ねるために上総介広常を斬った話を持ち出し、66人の御家人の意見を聞き景時に謹慎を命じます。

「頼朝が死んで、さっそく仲たがいが始まったか──」とニヤリと笑う後鳥羽上皇です。頼朝に気に入られて鎌倉では最も力のある御家人であると土御門通親が報告すると、それほどまでに有能な人物であれば景時を手中に置きたくなった上皇は、試しにくすぐってみよと土御門通親に命じます。

自分の過ちは己を過信したことだと、景時は盆栽の手入れをしながら義時にこぼします。頼家と御家人たち、どちらも意のままに操れると思い込んで双方から疎まれたわけです。景時が指し示した机上には、上皇からの書状がありました。鎌倉を出てはならないと押しとどめる義時に、「捨てる神あれば拾う神あり。鎌倉にいてももはや……」と景時は我が身を嘆いて泣き出します。

今回の一件は実は義村が仕組んだ、朝光の処分をめぐって景時をつるし上げるという排斥の策だったのです。義村は朝光にしばらく身を隠せと大金を掴ませます。景時がそんなに憎いのですかと朝光が問うと、義村はニヤリとします。「別に……。ただあいつにいられると、何かと話が進まないんでね」

 

頼家は謹慎中の景時を呼び出し、上皇からの誘いがあったことを問いただします。頼家に報告しなかったということはその気があると判断されてしまったのです。「忠臣は二君に仕えず。お前は自分が忠臣でないことを認めたわけだ」と言う頼家は、忠義を誓わぬ者はいらないと奥州外(そと)が浜に流罪を命じます。

正治2(1200)年正月、上洛するつもりの景時は人質として一幡を連れ出そうとして露見してしまいます。比企館に駆けつけた義時が上皇からの誘いの件を頼家に伝えたのは、黙って上洛すれば朝廷との新たな火種になると頼家が景時を討つと考えたからです。「刀は斬り手によって名刀にも鈍(なまく)らにもなる」 鎌倉を離れ奥州へ向かうことにした景時は、置き土産に善児を義時に譲ります。

景時を見送った義時は、「鈍らで終わりたくはなかった」と吐露した景時が、最後は華々しく戦で死にたいと考えて、奥州に向かわず西に進路を取ると察知したのです。義時は頼時に挙兵の準備を命じます。


作:三谷 幸喜
音楽:エバン・コール
語り:長澤 まさみ
題字:佐藤 亜沙美
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小栗 旬 (北条義時)
小池 栄子 (政子)
坂口 健太郎 (北条頼時)
瀬戸 康史 (北条時連)
堀田 真由 (比奈)
中川 大志 (畠山重忠)
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山本 耕史 (三浦義村)
市原 隼人 (八田知家)
横田 栄司 (和田義盛)
新納 慎也 (阿野全成)
宮澤 エマ (実衣)
阿南 健治 (土肥実平)
小林 隆 (三善康信)
尾上 松也 (後鳥羽上皇)
中村 獅童 (梶原景時)
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佐藤 二朗 (比企能員)
梶原 善 (善児)
佐藤 B作 (三浦義澄)
岡本 信人 (千葉常胤)
栗原 英雄 (大江広元)
坂東 彌十郎 (北条時政)
宮沢 りえ (りく)
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制作統括:清水 拓哉・尾崎 裕和
プロデューサー:長谷 知記・川口 俊介
演出:安藤 大佑

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