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2022年9月 2日 (金)

プレイバック北条時宗・(22)京の闇

文永5(1268)年・秋、蒙古皇帝クビライ・カアンは日本からの返書が届かないことにいら立っていました。官僚のアフマドに、宋を攻めるために船を千艘作るよう命じたわけですが、数の多さもさることながら、宋を攻撃したその後 海を渡って日本も討つという思惑が見えてアフマドは顔が真っ青になります。クビライは「日本の返答次第だ」と厳しい表情です。

鎌倉では、蒙古に対してふたたびの国書を求めた北条時宗のやり方に、北条時章と教時兄弟は「手ぬるい」と戦で打ち負かすよう意見します。時宗は2人の意見を聞き入れつつ、蒙古を敵とみなしていないし、言葉も通じない相手に卑怯な手も通じないと答えます。時章は時宗の若さを心配しますが、時頼や時宗を愚弄した時章に斬りかかろうとした頼綱を睨みつけます。「お父上はもっと良きご家来に恵まれておりました」

天皇の御前での朝議には摂政関白は参加できないという習わしがあり、関白近衛基平も同様なのですが、基平の考えを覆されることを危惧した時輔は、習わしに縛られている時ではないと朝議に出て一人ひとりをつるし上げるよう提案します。長老たちが目論むように蒙古とよしみを通じたらいずれ日本は国を滅ぼされてしまう。そうなれば、基平や時輔が目指した「天下を我らの手で」という野望も果たせなくなるのです。

 

時宗が西国に命じた警護強化の命も具体的な方法はなく、少弐景資らができることといえば祈祷をさせたぐらいですが、博多などは蒙古に攻め込まれたらひとたまりもないと焦りばかり出て来ます。戦をしないよう訴えるために鎌倉に赴いた謝 国明は、商人だから宋や日本が戦場になっても何もできないと博多に戻って来ました。時宗を見捨てるかのような言動の謝 国明に、桐子は大いに悩みます。

松下禅尼に呼び出された頼綱は、嫁取りを勧められます。固辞する頼綱に松下禅尼は、北条得宗家を率いる時宗に仕える者が日蓮に働いたような乱暴は困ると、嫁取りをして人間的に大きく育てようとしたのです。松下禅尼の叔母の嫁ぎ先が飛鳥井家という縁で紹介したのは、飛鳥井雅有の娘・禎子。「切れ者でないと釣り合いが取れぬ」と言う禎子は、頼綱をしっかり品定めしています。

時宗が頼綱を重用することに愚痴をこぼす北条宗政を、役に立たないからだと涼子は笑います。時宗に取り立てを願い出るよう勧める涼子ですが、そこに割って入ったのは妻の芳子です。時宗に認められていないと返した芳子は涼子に出家を催促します。涼子を押し付けられて以来 宗政は損な役回りだと芳子は不満で、涼子を出家させたという“手柄”で得宗家に復帰させたいわけです。

涼子を訪ねた桔梗は、弟の時章や教時が執権時宗では不安だと、時宗を執権から退かせてほしいと言い出します。即座にその願い出を蹴る涼子は、時宗は大きな清い器、この世で最も強いのは清い心だと答えます。桔梗は、時頼を殺めた下手人を教えようと思っていたのにと、さも残念そうにつぶやきます。「時宗どのの身、しかとお守りくだされ」

 

京・内裏では、先日の後嵯峨上皇の御前での決定のやり直しが行われていました。異国とのやり取りについては帝が決めるのが筋と、西園寺実氏を筆頭に朝議が開かれていたのです。そこに基平が参上するのですが、実氏も一条実経もたちまち口をつぐんでしまいます。院政を敷く上皇に反発する亀山天皇は、上皇の寵愛を受ける基平が疎ましいわけです。「そのほう やかましい。下がれ!」

朝議を追い出された形となり、基平は「世も末だ」と哀しみます。基平は天皇に受けた屈辱から自暴自棄になっているのです。日本が朽ち果てるのを見るくらいなら血の海で溺れて死ぬと言う基平を時輔は勇気づけ、憤死しても老いぼれを喜ばせるだけと、命と引き換えに朝議の答えをひっくり返すように勧めます。それがしにも意地がござる──と時輔に言われた基平は奮起します。

奇しくもこの日は久方ぶりの皆既日食が起こります。日食は穢れた怒りとされ、帝がその光を浴びると天下安全と五穀豊穣に危険が及ぶと考えられていました。祈祷が行われる中 天皇の前に参上した基平は、蒙古に返書をしてはならないと言葉を残し、命をもって天下を守ると切腹します。後方で控えていた時輔は基平を介錯し、表に出て暗黒の空を見上げます。「闇じゃ……どこもかしこも」

 

鎌倉では頼綱と禎子の婚儀が盛大に行われていました。主君の時宗はとても喜び、恐縮する頼綱に盃を進めています。「それがしのような者が……」というのが口癖の頼綱に、公家の妻を娶ったのだから今後一切その言葉を使わないように厳命する時宗です。こういうこともあって次第に鎌倉内での立場を高めていった頼綱は、後に安達泰盛と戦を交えることになります。

関白切腹の報告が鎌倉にも届きます。時輔を何とかしない限り時宗の足元は定まらないと迫る涼子に、母までも時輔を除けとは…と時宗は反発します。しかし涼子は時輔を除けとは言っておらず、時輔を除くことから頭が離れないのはむしろ時宗だと指摘されます。時輔と同じように得宗家を追われた涼子は、過去に捉われてはならないと時宗を諭します。「恨みに生きてはこの国は一つにはまとまらぬ」

時宗はこの時初めて日本を一つの国として捉え、天下を取る者が誰かではなく、国としてまとまらなければ蒙古に立ち向かうことはできないと気づきます。時宗は、改めて式部大夫に推挙する旨をしたためた時輔に書状を送ります。しかしその書状を読んだ時輔は、書状をくしゃくしゃに握りつぶしてしまいます。基平亡き今、もはや官職は必要ないというのです

なんということを! と服部正左衛門が驚いたことは言うまでもありません。正左衛門は、天下の安泰か、天下を治めることかと時輔の真意を求めます。もし天下を狙うなら正道でなくとも時輔に従うつもりですが、今の時輔は何の望みもありません。いっそ天下が壊れればスッキリするとつぶやきます。様子をうかがっていた祥子は正左衛門を諫め、疲れているであろう時輔に温かいものを用意します。

美しい夕暮れの中、二人きりで屋敷の縁側に座る時輔と祥子。どこにも行かずに、愛娘の幸子のそばにいてほしいと祥子の気持ちを伝えると、居場所を見つけたのか時輔は涙目で祥子に身を預けます。その様子を遠巻きに見つめる正左衛門に、如月は「右大将頼朝さまと弟義経さまの時と同じでございますなぁ」と感慨深げにつぶやきます。

こうして、蒙古からの国書到着に幕を開けた文永5年は、激動のうちに過ぎ去ろうとしていました。

 

この年の暮れ、謝 国明は博多の屋敷で、長引く飢饉で食べ物に困る人々に盛大にそばがきをふるまいます。後に年越しそばと呼ばれるこの風習は、日本と蒙古の安泰を願って始まったものでしたが──蒙古の皇帝クビライの使節が再び対馬沖に現れます。舟4艘、総勢75名、今度は大挙しての到来でした。

そんなことは知る由もない時宗は、縁側に寄りかかってのん気に昼寝をしていました。祝子は、時宗が倒れないようにと手で身体を支えていましたが、自分の身体をぴったりと添わせて時宗を支えています。一瞬訪れた、夫婦の平和な時でした。

──蒙古襲来まであと2057日──


脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
浅野 温子 (涼子)
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
木村 佳乃 (桐子)
西田 ひかる (祝子)
池畑 慎之介 (北条実時)
ともさか りえ (祥子)
牧瀬 里穂 (梨子)
寺島 しのぶ (禎子)
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原田 美枝子 (桔梗)
川野 太郎 (少弐景資)
松田 洋治 (亀山天皇)
白 竜 (北条時章)
井上 順 (一条実経)
大木 実 (西園寺実氏)
バーサンジャブ (クビライ・カアン)
室田 日出男 (服部正左衛門)
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伊東 四朗 (北条政村)
藤 竜也 (佐志 房)
奥田 瑛二 (日蓮)
清川 虹子 (如月)
富司 純子 (松下禅尼)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:吉村 芳之

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