プレイバック北条時宗・(37)謎の撤兵
蒙古の大船団が博多の港から忽然と姿を消し、九州で戦った御家人たちが鎌倉へ戻って来ましたが、北条宗政は左目を失い包帯で隠していて痛ましい姿です。宗政は初めて見る蒙古軍の戦いぶりを報告しますが、博多を落とす勢いの蒙古軍が一夜にして逃げ帰ったのには疑問が残ります。平 頼綱は鎌倉武士の戦いに尻尾を巻いたと笑顔ですが、その実情はむごい戦だったとつぶやきます。北条時宗は宗政を称えてねぎらいます。
戦の残り火は鎌倉と九州にくすぶっていました。大宰府の少弐館に集まった御家人たちに、少弐景資が戦功を取りまとめて幕府に送るため各々報告するように伝えます。恩賞と聞いてはしゃぐ竹崎季長をよそに、菊池武房はなぜ蒙古軍が撤兵したか、相手が逃げたのに勝ったとしていいのかという疑問を景資にぶつけます。蒙古軍は日本の兵を恐れ、我が国は勝ったと主張する少弐資能と景資に、御家人たちは納得がいきません。
日本が勝ったとは思えない桐子は力を落とします。兄弟を失い、松浦も焼け落ちてしまいました。佐志 房も生きているとはいえ、どこかへ消えてしまいました。きっと生きては帰らないと桐子は涙目になります。確かに戦をしたことで多くの者が命を落としたのに、蒙古と日本の関係は変わっていません。時宗どののせいじゃ! 国を開かぬから! と言う桐子に、謝 国明は「恨むな桐子」と優しく諭します。
焼け落ちた博多の町には多くの民が戻ってきていました。戦で家族がバラバラになり、それがようやく再会できて喜びの声が各所から上がっています。炊き出しをしておいしそうに食べる子どもの顔を見て、ほほ笑む母親の姿など、北条時輔は戦後の様子を目の当たりにしていますが、目を伏せ再び顔を上げた時、目の前には北条実時がじっと時輔を見つめていました。
実時から祥子の最期を聞かされて、やはり本当のことだったのかと時輔は涙を浮かべます。異国の民として生きるつもりで高麗へ渡り、人生を変えた蒙古との結末を見届けるために戻った時輔の考えを理解した実時は、もう一度時宗に会って蒙古や高麗で見聞きしたことを報告し、ふたりが目指す新しい国づくりをしてほしいと懇願しますが、時輔は拒絶します。「祥子は帰らぬ……人が死ぬとはそういうことじゃ」
時宗は宗政の武功を評価し、評定衆に加えることにします。その祝いの席で宗政は妻の芳子と子作りに励む宣言をし、普段は毒舌な芳子もこの時ばかりは顔を隠して照れています。そこに涼泉尼がやってきて、目を失った宗政を抱きしめて悲しみますが、宗政は戦のことがフラッシュバックしてしまい、母を突き飛ばして後ろにのけぞり、頭を抱えて狂乱します。
時宗と二人きりになった宗政は、目の奥には戦場の有り様が残っていて、時宗に見せたくないほどすさまじかったと吐露します。みんなの前では威勢のいいことを言ったものの、本当は敵に奪われる目前の博多を捨てて大宰府に引いたと打ち明けます。なぜ蒙古軍が兵を引いたのか疑問に感じる時宗ですが、それは戦場にいた宗政でも分かりません。なぜ蒙古軍が消えたのか、なぜ我が国は勝ったのか。
時宗嫡男の幸寿丸の寝顔をじっと見つめる乳母父の頼綱のところへ禎子が入ってきました。褒美は時宗からのねぎらいの言葉だけという頼綱に、働きを時宗に主張して褒美を強く求めろとけしかけます。今のうちに出世しておかなければ、いずれ戦になった時にまた戦場に追いやられるというわけです。小声で威嚇する頼綱を面白がって抱き寄せる禎子がふと気づくと、幸寿丸がふたりの様子をじっと見つめていました。
祝子は宗政のことを気にかけながら、時宗の身も案じていました。蒙古との戦は終わったとはいえ、時宗の戦は続いていくのです。蒙古はもう二度と日本に襲来しないのか気にしている祝子ですが、それはこれからの時宗の対応次第になりそうです。何か手伝えることはないかと祝子は申し出ますが、普段通り泣いたり笑ったりしていればいいと答えます。「それが一番の助けじゃ。しかしそれが最も難しい」
蒙古の襲来に日本全土が揺さぶられた文永11年が終わり、新年は文永の役で亡くなった人々の鎮魂の供養とともに始まりました。朝廷は『敵国降伏』の祈祷こそが蒙古を追い払ったと公言し、大国蒙古を撃退した喜びに沸き返っていたのです。そして鎌倉には、恩賞のために軍功を訴える御家人たちが長く連なり、戦死者の供養のために大々的な恩赦が行われます。
恩赦で足利家に戻ってきた桔梗は、実家の名越北条家も衰退してしまったために足利家に置いてほしいと頭を下げます。高 師氏と顔を見合わせた足利家時は、最後に足利が勝つために今は北条得宗家と手を結んでいて、官職も嫁も得宗家から得ています。得宗家を憎む桔梗を置くわけにはいかないと拒絶しますが、桔梗は得宗家を憎む気持ちはすっかり消えたと微笑みます。
死ぬ気で戦えと送り出した時宗が、頼綱は死んでいいと思っていたのか。これまでなぜねぎらいの言葉をかけてくれないのか。頼綱は積もった感情を時宗にぶつけます。時宗は頼綱の汚名返上で博多に赴かせ、その武功で時宗第一の家臣と安達泰盛や実時に認めさせるためだったのです。それでも納得しない頼綱を見る時宗の顔が、スッと無表情になります。「戦なのじゃ。死ぬこともあろう」
今度はわしが尋ねる番じゃ と時宗は頼綱を見据えます。我が国は本当に戦に勝ったと思っているのか。我が国の武士に恐れをなして蒙古は逃げ帰った、我が国は勝ったという主張は、頼綱の本心か。時宗は本当のことを知りたがっています。「クビライ・カアンにわしは勝ったのか?」 頼綱は伏し目がちになり、無言のままです。
博多の町が全滅し、蒙古軍の圧倒的な勝利であること、蒙古の力を思い知った日本はいずれ国を開くであろうこと。大元でも、戦の報告が行われていました。クビライはそれを確かめるために新たに使者を日本に送ることにします。その役目に名乗り出る趙 良弼ですが、クビライは今回は趙 良弼を生かせず、後で知らせると言って席を立ちます。
趙 良弼は、蒙古の船から忽然と姿を消した時輔という気がかりを日本に残しているのです。敵でありながら大陸にも通じる考えを持った時輔の存在は、蒙古と日本を取り持つカギになると考えていたのです。しかしクビライは、日本が目を覚ましたかはまだ分からないからこそ、危険な日本に大事な家臣である趙 良弼を送り込むわけにはいかないと笑うのです。
謝 国明は焼け落ちた自らの屋敷に足を踏み入れ、再建のために手伝うよう桐子に求めます。そこにふらりと現れた時輔は、蒙古軍は逃げ帰ったのではなく、変わらぬ意思を見せつけたから戻っただけだと主張します。日本の降伏を待ち、降伏しなかった日本に思い知らせるために博多を攻めた。「蒙古はふたたび来る。日本を征服するために」 それを時宗に伝えるにはどうすればいいかと謝 国明に助言を求めます。
評定を開いた時宗は、宗政や頼綱、軍功を訴えた御家人たちの意見を総合して、わが軍は負けたと言い出します。博多で蒙古軍を追い返したと泰盛は反論し、1,000艘もの船を高麗から買ってまで攻めた目的を尋ねますが、蒙古の力を見せつけ日本を従わせるため、そして日本が従わなかった時に再び攻めるため。日本の地理や武力を調べ、再び海を渡るために戦力を残したまま撤兵したことからも明らかです。
義政は、そう言われては戦った者の立場がないと宗政たちをかばいますが、蒙古軍は勝つ気がなかっただけで、その事実から目を背けてはならないと言うのです。その上で時宗は、鎌倉幕府として敗北は認めないとします。つまり、クビライが対等のつきあいを認めない限りこの戦は終わらないわけです。
文永12年3月、鎌倉はまた春の嵐を迎えようとしていました。
脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
浅野 温子 (涼泉尼(涼子))
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
木村 佳乃 (桐子)
西田 ひかる (祝子)
池畑 慎之介 (北条実時)
ともさか りえ (祥子(回想))
寺島 しのぶ (禎子)
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原田 美枝子 (桔梗)
渡辺 徹 (北条義政)
江原 真二郎 (高 師氏)
川野 太郎 (少弐景資)
うじき つよし (竹崎季長)
小西 博之 (菊池武房)
井上 順 (一条実経)
大木 実 (西園寺実氏)
修 宗迪 (趙 良弼)
バーサンジャブ (クビライ・カアン)
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石橋 蓮司 (北条時広)
富司 純子 (松下禅尼)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:吉村 芳之
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