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2022年10月28日 (金)

プレイバック北条時宗・(38)攻めか守りか

鎌倉幕府として敗北は認めないとした北条時宗に、北条義政はその真意を尋ねます。クビライが対等な付き合いを認めない限り、戦の脅威がなくならない限りはこの戦いは終わらない、と時宗は説得します。その上で、攻めるべきか守るべきか蒙古の出方を待つべきか、評定衆の意見を求めます。戸惑いながら評定衆は承知します。敵が退いた後にいかに戦うか、それを考える時宗の戦は始まったばかりです。

焼け野原となった博多の町ですが、徐々に建て直しが進みつつあります。謝 国明は、手っ取り早く博多の町を立て直すには銭をばらまくと北条時輔に説きます。資材がいる→人手がいる→賃金を払う→民が買い物をする→物が動く→人が集まる、という理論です。その上で謝 国明は、10年20年先を見て博多を栄えさせるにはどうすればいいか時輔に尋ねます。時輔は必死に考えますが、答えが上手くまとまりません。

大宰府の少弐館では論功行賞が行われていました。その内容は「えろう控えめな恩賞じゃのう」と菊池武房が皮肉を言うほどとても少ないもので、竹崎季長に至っては恩賞なしという結果です。敵地を奪って勝利を得たわけではないので恩賞も限定的なのですが、武房が心配しているのは褒美の大小よりも、この程度の恩賞では再び戦になった時に国を守る御家人がいなくなることです。

 

九州博多から高麗までの地図を見つめて思案する時宗のところに、祝子が幸寿丸のことで相談に上がります。幼いころは反抗して父に叱られたと昔を懐かしむ時宗ですが、祝子が言うには幸寿丸は最近明寿丸に会うと乱暴になるのが心配なのです。時宗直々に諭してほしいとお願いする祝子ですが、そこに北条実時が戻ってきたとの知らせが入り、祝子はひとり取り残されてしまいます。

北条義宗に兄・時輔の話を聞いていた時宗は、実時が博多の荒れ寺で対面したことを報告します。吉野に逃れ、瀬戸内から博多を経由して高麗へ渡り、蒙古の船で日本に戻ってきた──祥子も失い、二人の実子は時宗に引き取られたと知った時輔は、時宗に対する恨みも少しは癒えただろうと話す実時は、いつか必ず時輔と対面させると約束します。

源 頼朝に伝わり平治の乱を経て京に至った名刀「髭切(ひげきり)」を、今は安達泰盛が所有しています。髭切の名がついた由来(有罪の者を切らせたところ、髭まで切れた)を聞いた梨子は何やら恐ろしさを感じずにはいられませんが、何より恐ろしいのは武士が武士でなくなることだと言う泰盛は、戦で乱れた秩序を立て直し再度武士の魂を取り戻すと髭切の太刀に誓います。「それ以外に日本を守る術はない」

平 頼綱は真夜中に薪を割り、その音に禎子は不満顔ですが、頼綱に気にする様子はありません。庭に何本かを立てて博多と鎌倉に見立て、それをあちらこちらから眺めては、蒙古はどこから攻めてくるかを必死に考えているのです。頼綱の一生がかかっているとあって、それを考えている頼綱の表情はさも戦場のようです。

北条宗政は、芳子に目の包帯を取ってもらいます。宗政に心を開き出した芳子は宗政を甲斐甲斐しく世話を焼き、包帯よりも眼帯の方が気が晴れるかもと提案しますが、宗政はいきなり芳子を押し倒します。「二度と戦はごめんじゃ……今度はやられる」 そういって芳子の胸に顔をうずめる宗政、芳子はされるがままです。

義政は的に向かって矢を射て「的は所詮的じゃ」とつぶやき、北条時広は石ころに文字を書いてそれを並べていろいろ思案しています。時広にとっては国の行く末を考えるという大それたことは苦手分野でして、トホホという表情を浮かべますが、義政はすでに自分なりの答えを出しているようです。

時宗は幸寿丸と明寿丸を呼び、仲良くしているか尋ねます。はい! と元気よく答える明寿丸に対し、幸寿丸は「できませぬ! 兄弟ではございませぬ!」とそっぽを向きます。時宗は幸寿丸を引っぱたくのですが、明寿丸は(痛そう……)と目をつぶります。時宗は幸寿丸に、明寿丸はその痛みを共に受けてくれたと諭します。「ふたりはとうに兄弟じゃ。ともに痛み、ともに喜べ」

 

桐子は、時輔が商人になる決意を固めたと知って心から安堵します。結果的に蒙古に利用されたのは己の甘さだと感じている時輔は、逃げるわけにはいかないという気持ちになりました。妻子の話をする時輔に、桐子はニッコリほほ笑んで羨ましがります。一方時輔も、血のつながらない兄弟を失って桐子が死ぬのではないかと考えていました。「おれは死なぬ。もう一度親父どのに会うまでは」

そのころ佐志 房は時宗と対面していました。房は死んだ者たちの声を届けに来たと言って、対馬、壱岐、博多、松浦の各所で摘んだ押し花を並べます。人も花もすぐに枯れてしまうと笑う房は、焼け落ちた松浦館の柱を削って作った木刀で立ち合います。力でねじ伏せる房に、止めに入る頼綱ですが、時宗は構わず打ち込みます。息子たちはじめ命を失った者たちの失った怒りを、時宗は真正面から受け止めるのです。

蒙古と商いをすると提案し出した時輔に、謝 国明は大胆な考えだと微笑みます。銭は人を集めるが去っていくわけで、その人たちを呼び戻すには博多にしかない宝を用意する必要があります。面白いものがあるところは、最も広い国の蒙古です。蒙古は日本を攻めた国ですが、だからこそ交流をするのです。言葉も考えも分かり合えるかもしれません。謝 国明は時輔の考えに感服しています。

住むところが見つかるまで逗留すれば? と言ったはずが、桔梗はちゃっかり居ついてしまっていました。亡き足利泰氏から外で作った我が子を探して家時を盛り立てさせよという遺言があったのです。初めて聞くことに驚く足利家時ですが、足利家執事の高 師氏は家時に話していなかったようです。このことは後に新たな火種を生むことになります。

夜になっても時宗は、房が地面に突き刺した木刀を見つめています。時広は「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と、その近くに小石を積んでいきます。親より先に亡くなった子供は三途の川の手前にある賽の河原で石積みをして塔を作る。積んだ端から鬼が崩すを繰り返します。これを哀れと感じたり、崩れぬ山を築けばいいのにと思ったりするのは煩悩と言うのです。時宗はじっと見つめています。

 

7日目の朝、時宗は評定を開きます。頼綱は博多湾沿岸に木柵を設置して蒙古軍の上陸を防ごうと主張します。一度敵の上陸を阻止できていることから、蒙古軍はさほど強いとは考えにくく、そういう意味では日本軍は有利な立場です。しかし宗政は、蒙古の攻撃を防ぐために和平を結ぶべく使者を送るべきと言うのです。戦の最中なら降伏の意味になるこの策も、戦で撃退した後であれば可能なのです。

九州の御家人をまとめるのが先だと言うのは泰盛です。次の戦には泰盛自身が博多に赴いて、御家人たちをまとめ上げると鼻息荒いのですが、義政は迎え撃つのではなく日本軍が蒙古に攻め込むことを提案します。無謀だと吐き捨てる泰盛に、大元の都を目指さなければいいと言うのは実時です。目指すは蒙古が船を造らせ兵を出陣させた高麗です。高麗を叩いて蒙古に手を貸せないようにするのが目的なのです。

一通り意見を聞き取った時宗は、高麗出兵を宣言します。みな時宗のまさかの発言に一様に驚きます。その上で、来春までに船と兵を調えるように命じます。


脚本:井上 由美子
高橋 克彦「時宗」より
音楽:栗山 和樹
語り(覚山尼):十朱 幸代
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[出演]
和泉 元彌 (北条時宗)
渡部 篤郎 (北条時輔)
柳葉 敏郎 (安達泰盛)
木村 佳乃 (桐子)
西田 ひかる (祝子)
池畑 慎之介 (北条実時)
牧瀬 里穂 (梨子)
寺島 しのぶ (禎子)
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原田 美枝子 (桔梗)
渡辺 徹 (北条義政)
江原 真二郎 (高 師氏)
川野 太郎 (少弐景資)
うじき つよし (竹崎季長)
小西 博之 (菊池武房)
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石橋 蓮司 (北条時広)
藤 竜也 (佐志 房)
北大路 欣也 (謝 国明)
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制作統括:阿部 康彦
演出:城谷 厚司

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